第059話 くだらない/くやしい(15)

 ……―—。


 夜闇に沈み、は、悠大な身をゆったりと横たえていた。


 尖った耳をぴんと立て、営みを、聞くともなしに聞いていた。


 闘争のための闘争。殺戮のための殺戮。破壊のための破壊。まこと不毛な戦の連環。外縁末席とはいえ、連なりの一部を形成する生物の群れ。


 同種殺しをこそ得手とする脆弱な兵隊ども。その野営の息遣い。


 やいのやいのと喧しいことこの上ない。本来、夜には活動を停止するのが習い癖の生き物なのに。


 余計な知恵で火など焚いて、目を焼く灯り中で酒精に賭博に無駄話。果ては、面白くもない喧嘩などに明け暮れる。


 雄の濁った低い鳴き声など、五月蠅うるさいいだけだ。聞くに値しない。


 ゆえ、少し離れ、灯りも遠い暗がりへ黒い毛並みを溶け込ませる。


 道行きを共にし、多少、爪牙と炎を貸すくらいはしよう。だが、同類と思われるのは迷惑もはなはだだしい。


 月が隠れ、星を見るにも飽いていた。さて、無聊ぶりょうを慰めるは、草木を撫でるそよ風か、はたまた、すすり鳴く虫の音か。


 だというのに、耳に障るは、異種の雄の濁声ときた。


 ―—おや、そうと思いきや、あにはからんや。、高く澄んだ音が漂ってくるではないか。


 だから、聞くともなしに、聞いていた。


 漆黒に塗られた馬車。夜の暗がりよりもなお深い、頑なの黒闇。灯りを拒絶するはずのそれ。珍しく窓が開いて、内より光が漏れていた。


 さらには、仔らとからす頭の遣り取りも。つらつら漏れては、漂って。立てた耳へと滑り込む。


 さきほどまで、ずっと泣いていた。しかし、いまはどうにか泣き止んだ。下手くそめ。


 あのからす頭、さほど不器用な質とは思わなかったのだが。


 、しかも長いこと、人とのまともな関わりを避けていたのが祟ったか。 


 仔とはいえ、戦士の矜持も慮れぬとは、なんと不様なことだろう。


 そもそも此度こたび、始めから終いまで、実に顛末だった。


 事の発端から、既にため息が漏れる。


 あの隻眼小躯の壊れ者が、村から仔らを連れ去って、……なのに、後事を誰に託すことなく、放置。壊れ者自身は、どこへやら姿を消す始末。


 直前に壊れ者が、仔に弓引かれた一件にて、怒り心頭に達した《人喰い》が側近くにいる状況でだ。


 仕方なく、《人喰い》が余計な手出しをしないよう、面倒を見る羽目になった。これは、まあ良い。不本意ながら、許容しよう。


 腹立たしいのは、この時点から、あのからす頭、ちらちらこちらの様子をうかがっていたことだ。面倒を見る気があるなら、始めから引き取れ。面倒な奴め。


 なぜ、人でない身が人の仔の面倒など見ねばならんのだ。


 正直なところ、あの壊れ者が仔らを連れて来たときから、この結末は予想できていた。


 あの壊れ者の、


 だいたい突拍子もないことを仕出かす原因は、あのからす頭に帰結する。鴉頭の側も気にかけているなら、あとは流れるままにすれば、に辿り着くはず。


 だから、一時のことと我慢し、仔らの庇護ひごを引き受けた。


 途中経過でいくつか突発的な事態アクシデントはあった。しかし、それは概ね馬鹿ひとくい馬鹿クリス馬鹿きょじんのせいだ。


 壊れ者とからす頭も、意味不明なところはあったが、あれらは、あれが平生。もはや指摘する方が馬鹿なのだ。


 結句、関わるだけ、無駄な骨折りを強いられる。あの禿頭グレゴリのように。


 どいつもこいつも馬鹿ばかり。返す返すも馬鹿馬鹿しい。


 ―—ふと、漂っていた食事の音が止む。お次は、少し慌てた雰囲気……何事か。


 と思えば、尻尾を生やしたため、穴の開いた仔の衣服をつくろっているらしい。


 仔らの恐縮するやら、恥ずかしいやら、か細い響き。


 罪人の瞼や口を縫い付けることに比べれば、さしたる手間でもなかろうに。気にすることなどあるものか。


 まあ、良い。


 事は落ち着くべきところに落ち着いた。


 さとい仔らだ。先の一騒動で、人ならぬ我が与えた庇護ひご仮初かりそめに過ぎぬと気付いたことだろう。懐かれるなど億劫おっくうに過ぎる。


 本件、からす頭にとっても不本意なのだろうが、知ったことではない。


 なるほど、何やら業を抱えているのは察している。それがであるということも。


 だからどうした。どの道、宿痾しゅくあから逃れることなどできはしまい。


 たとえ破綻が約束されているにせよ、せめてものを手に抗えよ。


 それが貴様らの言うところ、


 ……ふむ。仔らの声が止んだ。静かで、―—野営地の雄どもが、なお喧しい。


 馬車の窓から漏れていた灯も消えた。


 眠るか。結構。仔らよ、よく眠るが良い。何もかも始まったばかり。続く未踏どこか未来さき、まだまだ苦難はあるだろう。


 備えるが良い。伏して泣く間など、……そんなには用意されていない。


 そして、からす頭、貴様は忘れているようだから、仔らと歩み、いま一度目を開くが良い。


 。重ねるのは、日々の営為のみで良い。共に歩み、踏み固めた歴史にこそ、価値と意義は宿るのだと。


 今宵から始めるがいい。からす頭。もはや貴様にとり、


 喜ぶが良い! 当方、狼ゆえ、言の葉で伝えること叶わぬ身。ゆえ、ただ祈ってやろう! ! もう一度、


 その幼きの片割れおんなのこ途轍とてつもなく、!!

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