第058話 くだらない/くやしい(14)

 こんなもの、無惨を旨とする処刑人の手には負えない。まったくもって手に負えなかった。


 だから、ディアドラは、無意味に天を仰いだ。黒い天井が見えただけだった。当たり前だ。


 カンテラの淡い明かりを頼りに、その木目を読んで凌ごうとした。少年少女の涙は尽きることを知らない。当たり前だ。


 間抜けか、おまえ雑音ノイズ


 処刑人には、ひどく珍しく、舌打ちの一つもしそうになりがなら、視線を自らの手に落とす。


 出来ることは、あった。空白を埋める術は、あるのだ。どれほど淀んだ絵具でも無いよりマシだと言うのなら。


 ただ、実行は重かった。途方もなく重かった。


 因果を想う。もつれて絡んだ糸。切ってつないだ結び目。踏んでにじって、支離滅裂な模様に固着した糸屑の果て。


 これが復讐だというのなら、なるほど、随分皮肉が効いている。むしろ、よくぞやってくれたもの。そんな意図、皆無なのだろうから、ひどく質が悪い。


 エブニシエンが嗤っていたのも当然だ。あの巨人、。ならば、こんな始末、嗤う他ないだろう。性格の悪い。


 棄てられて、終わった。なのに、先は続いていた。


 だからって、続けようとする、その意義も価値も処刑人にはわからない。繰り返そうとする理由なんてもっとわからない。


 わからないくせに、ディアドラは、手を差し伸べてしまった。善いも悪いもない。既に不可逆の変質は始まってしまった。


 ならば、いまの躊躇ためらいは、きっと罪の苦しみに耽溺たんできしたいだけの、無意味な静止でしかない。


 細腕を伸ばす。ただ、それだけの単純な動作。なのに、ディアドラは、じれったくなるほど長い時間をかけた。


 ―—そっと、幼子二人の頭に手を置いた。


 壊れ物を扱うように、細心の注意を払って。撫でる。ぎしぎしと、軋む。機巧めいた、ぎこちなさ。


 行きつ戻りつ、繰り返す。続くたび、少しずつ、


 未熟な同胞に触れる、当たり前の人の営為……わずかとはいえ、そこに


 子らは泣き止まない。当然だろう。それほどに彼らは苦しんだのだ。アレによって、苦しめられたのだ。


 見ず知らずの気狂いに慰撫いぶされたとて、それがどれほどの救いになるだろう。


 やっているのは、あまりにも馬鹿げた、愚かしい、滑稽な行為。そうと自覚しながら継続する。


 


 ――五月蠅うるさい、黙って、鬱陶うっとうしい。


 罪を、生を、人を、破壊する裁きの怪物。魔女の血統がもたらす爛熟した業。宿痾しゅくあとして災禍。積み上げた残骸を想え。破壊したものを想え。


 そんなものが、掌で幼子を撫でる矛盾背反。こみ上げる吐き気に喉笛を握り潰したくなりながら、ディアドラは行為をやめない。


 口を、開く。


「くやしいと、泣けるのは、まだ心が折れていないから」


 知っている。知っている。首を断つ痛みとして知っている。四肢を分ける痛みとして知っている。臓腑を抉る痛みとして知っている。解体され、潰され、焼かれる痛みとして知っている。


「泣くのは、いいの。苦しくて、顔を上げられないときもあるでしょう。後ろを振り返って戻りたくなるときだってあるでしょう」


 生の価値も、死の意義も。すべて失い、それでも先へと続ける虚ろを知っている。そのとき、人は涙など流さない。そのとき、人は、――。


「ゆっくりでいい。。二人、生きて在れたのなら、ただ、そのことだけを貴んで。ただ、それだけでいいのだから」


 そして、――願わくば、


 最後は、結局、口にはしなかった。


 幼子には、まだ難しいだろうし。そんなもの、ディアドラにこそできないことだったのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る