第53話 くだらない/くやしい(9)
“やあ、ルグ。元気そうだな。デヒテラも健やかにしているかな?”
少し引き
なんでか、うまく言葉を返せなくて。顔を強張らせたまま、
ままに、ぼんやりと、いつだったか、
あのときは、縄で縛られた身体で必死に
“これは、私が決めたことだ。他の者、誰一人として
“恨むなら、恨むが良い”
“このためだ、このためなのだ。このために、あの子は、あの子だけは、身なりを整えさせた。乏しい食糧の中から、食事もきちんと与えた”
“皆が皆、ただ生きることにすら事欠く中、一人だけ、まともな生活をさせていたのだ”
“与えた分を返してもらうだけだ”
“いったい何の問題がある”
“エスリンの娘だ。きっと誰もが愛する美しい女性になるだろう。皆が皆、こぞってあの子を求めるだろう。あの子には、それだけの価値がある”
“こんな
粗末な納屋に陰々と響く、開き直った言い訳。吐き気を催す悪意の口舌。
醜い言葉を、醜いと知って、醜い顔で、……まるで血でも吐いてるみたい。
どうしようもなく引き
“だから、恨め、恨んで良い、――どうか、私を恨んでくれ”
“ああ、違う、違うんだ。こうではない、こうではないのだ、これではいけないのに。わかっているのに、――なぜこうなる”
あのとき、
“許しなど、請わない、請えるものか、請えるわけがなかろう”
……限界だったのだろう。どうしようもないほど、追い詰められていたのだ。
“同胞を、子どもを売るなどと、そんな畜生にも劣ることを考えながら、なぜ許されると思うのだ”
“父祖も、いくら貧しい時分でも、それだけはないようにと腐心してきた”
“こんな非道、為すならば、為すべきというのなら、せめて笑えよ。そうでなければならんのだ”
“仕方ないからと、みなしごから、姉を引き離す所業を許せというつもりなのか、私は”
“――なぜ、なぜ、弱いばかりか、外道に成り切ることもできんのだ。どうして、私は”
泣き崩れる大人の姿。見てはいけないものを見てしまったような気がして、どうして良いか、わからなくなってしまった。
ただ、この人は、この大人は、村を襲った悲劇を打開する力がなくて、――けれど、それでも村の長として、皆を、より多くを
その責任を、責務を。たった一人、必死になって背負おうとしただけ。手を汚すというのなら、せめて自分だけで。
そう何もかも抱え込もうとして、――けれど失敗した。まったくもって、目も当てられない大失敗。
だって、肝心要。売り払う者の家族の前で。その罪に恐れ
ひどい片手落ちだ。
これじゃあ、義姉を売り払った
きっと、いろんなものが憎くなる。ここで諦めてしまったら、自分だって許せない。
だから、あのあとで、必至に縄から抜け出して、頼りにならない、頼ってはいけない、大人を置き去りに。
デヒテラ以外の皆を棄て去って、一人無謀な賭けに挑んだんだ。
なるほど、
けれど、そうしないといけなかったから、それ以外の選択がなかったから、仕方なく、それを手に取っただけ。
賊に襲われ、多くの生命を、財産を、食糧を失った。果ては、尊厳すらも
そんな中、最小限の犠牲でもって、皆を救おうとしただけ。皆の未来を守ろうとしただけだ。
ほぉら、くそがき、自分自身のお
意に染まない悪。望まずして、手を汚そうとした
提案と実行。いずれも
同じもの。
弱い者。価値なき者。虐げられた者。
悲嘆の末、選び取った、たった一つの
都合が悪かったのは、自分ただ一人。デヒテラには、……拒否権なんて、初めから与えられてない。
それが許せなくて、どうしようもなく許せなくて、……でも、どうして良いかなんて、冴えたひらめきなんて、与えられなくて。
だから、必死に乞うたのだ。黒衣隻眼の外道畜生に。
伏して、頭を地に擦りつけるようにして、みっともなく、自身が持ち得るものを差し出した。
お父さんの形見だって、持ち出して、……それすらも、無価値と
ゆえ、残る手段は、ひとつ切り。父を失い、身寄りの無くなった、異形を持つ自分自身。受け入れてくれた人々へ、砂を掛けるようにして。
棄てられたから、棄て返すように。
傭兵の長に弓を引いた。それが、村を再び破滅へと誘う行いと知りながら。
デヒテラを売ったことが罪だというのなら、お前がやったことは罪じゃないのかよ?
結局、自身の犯した殺人未遂が許されたのは、対価として、自身の身をもって
笑えるだろう? こんなの、あまりに馬鹿馬鹿しい。無価値な
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