第53話 くだらない/くやしい(9)

 ながらえた人。村長おじさんが気さくに声をかけてきた。


 “やあ、ルグ。元気そうだな。デヒテラも健やかにしているかな?”


 少し引きった笑い。作ったみたいな、悪い人の笑い。ぜんぜん上手くない。どうして、村長おじさんは、そんな顔で笑っているんだろう。


 なんでか、うまく言葉を返せなくて。顔を強張らせたまま、村長おじさんを見返す。


 ままに、ぼんやりと、村長おじさんまくし立てていた言葉を思い出した。思い出して、しまった。


 は、で必死にもがいていた。そうして、芋虫みたいになりながら、自身を見下ろす村長おじさんの聞くに堪えない言葉を聞いていた。ただ、聞いていたんだ。


 “これは、私が決めたことだ。他の者、誰一人としてとがはない”


 “恨むなら、恨むが良い”


 “このためだ、このためなのだ。このために、あの子は、あの子だけは、身なりを整えさせた。乏しい食糧の中から、食事もきちんと与えた”


 “皆が皆、ただ生きることにすら事欠く中、一人だけ、まともな生活をさせていたのだ”


 “与えた分を返してもらうだけだ”

 

 “いったい何の問題がある”


 “エスリンの娘だ。きっと美しい女性になるだろう。皆が皆、。あの子には、それだけの価値がある”


 “こんな辺鄙へんぴな地で、つまらない生活を送るより、よほど楽しい暮しが待っているはずだ。


 粗末な納屋に陰々と響く、開き直った言い訳。吐き気を催す悪意の口舌。


 醜い言葉を、醜いと知って、醜い顔で、……まるで血でも吐いてるみたい。


 どうしようもなく引きった顔。つらそうで、苦しそうな、笑顔というには、あまりに壊れてしまった涙顔。


 “だから、恨め、恨んで良い、――どうか、私を恨んでくれ”


 “ああ、違う、違うんだ。こうではない、こうではないのだ、これではいけないのに。わかっているのに、――なぜこうなる”


 村長おじさんは、とうとう膝を折ってしまった。うずくまって、顔を覆って、全身を震わせた。


 “許しなど、請わない、請えるものか、請えるわけがなかろう”


 ……限界だったのだろう。どうしようもないほど、追い詰められていたのだ。


 “などと、そんな畜生にも劣ることを考えながら、なぜ許されると思うのだ”


 “父祖も、いくら貧しい時分でも、それだけはないようにと腐心してきた”


 “こんな非道、為すならば、為すべきというのなら、せめて笑えよ。そうでなければならんのだ”


 “仕方ないからと、みなしごから、姉を引き離す所業を許せというつもりなのか、私は”


 “――なぜ、なぜ、弱いばかりか、外道に成り切ることもできんのだ。どうして、私は”


 の姿。を見てしまったような気がして、どうして良いか、わからなくなってしまった。


 ただ、この人は、この大人は、村を襲った悲劇を打開する力がなくて、――けれど、それでも村の長として、皆を、ながらえさせる義務があっただけ。


 その責任を、責務を。たった一人、必死になって背負おうとしただけ。手を汚すというのなら、せめて自分だけで。


 そう何もかも抱え込もうとして、――けれど失敗した。まったくもって、目も当てられない大失敗。


 だって、肝心要。売り払う者の家族の前で。その罪に恐れおののく姿を見せている。


 ひどい片手落ちだ。


 これじゃあ、義姉を売り払った村長おじさんを、気持ちよく憎めないじゃない。


 村長おじさんを悪者にできない以上、憎悪の焦点は、一つ所に定まらない。向かう先が拡散してしまう。


 きっと、いろんなものが憎くなる。ここで諦めてしまったら、自分だって許せない。


 だから、あのあとで、必至に縄から抜け出して、頼りにならない、頼ってはいけない、大人を置き去りに。


 デヒテラ以外の、一人無謀な賭けに挑んだんだ。


 村長おじさんと自分自身。どっちがより選択をしたのかなんて、そんなこと、わかってる。


 なるほど、村長おじさんは罪を犯そうとした。自身でも過ちを認めている。


 けれど、そうしないといけなかったから、それ以外の選択がなかったから、仕方なく、それを手に取っただけ。


 賊に襲われ、多くの生命を、財産を、食糧を失った。果ては、尊厳すらもなぶられて。村は、誰も彼もが自分だけで精一杯。


 そんな中、最小限の犠牲でもって、皆を救おうとしただけ。皆の未来を守ろうとしただけだ。


 ほぉら、くそがき、自分自身のおつむで考えてみろよ。これが気に食わなかったっていうのなら、他にいったいどんな方法があったんだ?


 。望まずして、手を汚そうとした村長おじさん。どうして、行為の醜さだけをもって否定できる。


 提案と実行。いずれも村長おじさんだとして、村の皆だって、その行為を否定してないだろう。


 


 弱い者。価値なき者。虐げられた者。


 悲嘆の末、選び取った、たった一つの選択まちがいを。お前は、我慢のできない感情ひとつで、否定するのかよ。


 都合が悪かったのは、自分ただ一人。デヒテラには、……拒否権なんて、初めから与えられてない。


 それが許せなくて、どうしようもなく許せなくて、……でも、どうして良いかなんて、冴えたひらめきなんて、与えられなくて。


 だから、必死に乞うたのだ。黒衣隻眼の外道畜生に。


 伏して、頭を地に擦りつけるようにして、みっともなく、自身が持ち得るものを差し出した。


 お父さんの形見だって、持ち出して、……それすらも、無価値とわらわれて。


 ゆえ、残る手段は、ひとつ切り。父を失い、身寄りの無くなった、異形を持つ自分自身。受け入れてくれた人々へ、砂を掛けるようにして。


 棄てられたから、棄て返すように。


 傭兵の長に弓を引いた。それが、


 デヒテラを売ったことが罪だというのなら、


 結局、自身の犯した殺人未遂が許されたのは、対価として、自身の身をもってあがなううことが許されたのは、よりにもよって、あの傷跡だらけの屑が示した気まぐれなのだ。


 笑えるだろう? こんなの、あまりに馬鹿馬鹿しい。無価値な弱者せいぎに相応しい、なんとも惨めな末路じゃないか。

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