第050話 くだらない/くやしい(6)

「―—なあ、アントン。あんた、俺のことをどう考えている?」


 信徒に問う。


 うように歩んだ獣道。けがれた道行き、其のを振り返る。


 ジョンは、自らの矮小わいしょうなるを知っている。瑕疵かしを知っている。不実なんて、言うまでもない。望みなど、ただの一つも叶えられなかった、凡愚ぼんぐの器。


 だから問うのだ。


 “正真の、生まれついての悪党だと思うか?”


「―—おうとも」


 手を伸ばしても、背を伸ばしても、けして目指すべきには届かない。目を覆わんばかりの、悲惨なる欠乏。一人きりでは、どうあっても不足した。


 ゆえに、積み上げた、怨嗟えんさ残骸むくろ。踏みしめて、に手を掛けるため。


 だから問うのだ。


 “敵した誰もが、恨んで、憎んで、死を望む悪党だと思うか?”


「―—言うに及ばずよ」


 をもって。をもって。手に収めたのは、けがれた価値とよこしまなる意志。


 ここまで示しているのに。


 たまさか、思い出したみたいに、歯向かってくる弱者せいぎ。その存在が許せない。そんな間違い、許容できない。だって、そんなの馬鹿馬鹿しくて、笑ってしまいそうになるから。


 だから問うのだ。


 “備えた価値ちから悪意いしを知ったみなが恐れ慄く悪党だと思うか?”


「――もちろんじゃとも」


 それは、自らに問い続けていた、まるで意味のない問いだった。


 猜疑さいぎに淀んだ自らの眼で、問い、検めて、確認し続けた。一つ一つを、丹念に、丁寧に、執拗に。そうしていつも見つけるのだ、錯誤さくごを、過ちを、手抜かりを。


 隻眼に映るは、みっともなくて、見苦しい、見るに堪えない、欠陥だらけのすたり物。


 けして、完全足り得ないただの人の身で、”絶対”を目指して失墜しっついし続ける。


 この恐ろしい不完全。瑕疵かしに塗れた悪性。されど、けして、認めるわけにはいかない無価値くだらない


 ゆえ、価値こたえを求めるのだ。悪路を共にしたつわものども、果たして、我の所業、如何に見たのか、と。


「――旦那は、儂が、いやさ、この隊の皆が信じとる。この世に、旦那以上の悪党なんぞ、どこを探してもおりゃあせん」


 応えは、まるで揺ぎ無い。 


 アントンは馬鹿だった。馬鹿と自覚している馬鹿だった。


 一番たちの悪い、誠実極まる馬鹿だった。


 さかしい理屈なんてもっての他。当人がどんな不完全を嘆こうと、彼にはそんなもの。ゆえ、その言葉に嘘偽りなんて不純物、わずかばかりも入り込む余地はない。

 

 だから、――ジョンはその確信を笑った。


 笑って。笑って。笑った。肩を震わせ、腹を抱えて、涙さえ浮かべて。おかしい。馬鹿らしい。くらだらない。なんて、笑い続けて。


 ―—そして、小さく風に消えるような、


 確信は、ここに。猜疑さいぎに病んだ自らの内には、けして持ち得ない、に不可欠な断片ピース


 瑕疵かし遺漏いろうもない、無謬むびゅうの悪は、ここに確かに認められたのだ。


 そして、だとするならば。


 今日、ジョンは確かに負けた。


 けがれた悪意は、少女に通じること能わず。少年は、少女の意義の下、果敢に戦った。失笑にすら値しない、無力でくだらなくて無価値なくだらない抵抗。なのに、それがために心折ることなく、処刑人の救いを得ること叶った。


 まるで、おとぎばなしの一節みたい。綺麗で、ありきたりで、あり得ない結末だ。


 おまけに、それに感化された、取るに足りない、くだらない、善にも悪にもなれない半端な意志にすら否定される始末。


 恐るべき”怪物”を従え、数多の”兵”を率い、篤信とくしんの徒に大いなる悪と認められた男は、――此度こたび、確かに小さな義により敗北したのだ。


 ……だから、おかしい。なぜ笑う。自らを悪と認めるならば、何をそんなに嬉しげに。


 状況も道理もまったく顛倒てんとうした異常。仮に皮肉な嘲笑とするにも、あまりに清しい笑い。


 それが真実なのか、狂気から成る意味不明な理路なのか、それは誰にもわからない。きっとジョン本人にすらわかっていない。わかろうともしていない。

 

 不実で、つまらなくて、ありきたりな、ただの青年にも似た外装いつわり


「ああ、ならいいや。舐められたなら業腹ごうはらだけど、確かにお前の言うとおり、こんなくずの言うこと、一喜一憂するのは馬鹿らしい。身の程、分際を弁えない奴はどうしたって、すぐに死ぬ。働きたいって言うなら、働かせてやれよ」


 くつくつくつ。笑いの気配を残したまま、言葉を続ける。


「ただし、そうとなった以上、逃がすなよ。出ていくのなら、さっきグレゴリが決めた沙汰。腕一本を貰ってからだ。―—グレゴリも、それで良いよな?」


 巌の巨漢は、憂鬱ゆううつな眼差しを、頭一つ以上低い悪党へと向けた。


「旦那がそれで良いんでしたらね。後から、ぐだぐだ文句言わんでくださいよ」


 もちろん。なんて返答は軽い。


 はてさて、その軽さ、どこまで信じて良いのやら。悪を自認する青年の言葉は、きっといつだって不実なのだから。

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