第051話 くだらない/くやしい(7)

 歩く。歩く。並んで歩く。影みっつ。

 

 短いふたつ、長いのひとつ。てくてく、するする、歩いてく。


 少年は右から。少女は左から。繋いだ掌。間に挟む、すらりと長い影を見る。


 ディアドラ様。処刑人様。そして、あの巨人にすら立ち向かう、とてもすごい魔女様。


 美しい御顔。綺麗なんて言葉では、とても足りなかった。それこそ奇跡と言っても良いような。いまは、残念。あの場を辞して、すぐにからすの被り物で覆ってしまわれた。


 けれど、ぴんと伸ばした背筋、伸びやかな手足、そして、銀嶺ぎんれいに艶めく御髪おぐし。麗しさの余韻。いまなお、心に響くものがある。


 見上げたとき、否応なく目に入ったもの。黒衣に包まれた、けれど豊かに柔い胸部の曲線。


 男の子、慌てて目を逸らす。


 ルグは、手を繋ぎながら、周囲を見回す。処刑人と子どもの行く先は、不自然なほど、人の姿が絶えていく。恐れるように、畏れるように。


 兵が群れなす野営の平地。煮炊きにたなびく煙とにおい、がちゃがちゃ擦れる金属音、がやがや騒ぐ笑声怒声。


 なのに、処刑人と共に歩む進行方向のみ、ざわめく兵たちが割れていた。陽気に響く濁声だって、近づくごとに絶えていく。


 “私の元にいる限り、ここの輩は誰一人手出しできない”


 ディアドラが告げた言葉。それが、確かに具現していた。


 処刑人。罪を裁く人。とても残酷に殺す人。どうして、この人はそんなものを生業としたのか。


 誰一人、声を掛けてくることもないままに、兵の営みの隙間を抜けていく。


 ふと、喚くような耳障りが、ルグの頭を掠めた。


 “一人でいるのは、絶対良くないって!”

 “そんなに何もかも遠ざけて、いつまで一人でいるんだよ!”


 あれは、……もしかして、本当にごく普通の意味で心配していた、そういうことなのだろうか。


 理解不能わからない意味不明わからない。くらくらするほど……訳がわからない。


 繋ぐ手の確かさと冷たさを、想う。


 少年の中には、未だ確かに疑念が息づいている。


 先の一幕でデヒテラと共に掌を握ったものの、――あのとき、この女性に何一つ偽りがなかったとしても、人とは容易く、裏切り、切り捨てるもの。


 少年は、経験としてそれを知った。


 義姉を売って、ながらえようとした故郷の大人たち。


 そして、また彼らを切り捨て、一人無謀な反抗へと踏み切ったルグ自身。


 棄てられる可能性を排除する理由はなかった。

 棄てないで、なんて願う権利すらもないと心得ていた。


 ルグは、自らの持ち得るものだけで、デヒテラを守る算段を立てなければならない。それは、託され、また自らが定める責務であるがゆえに。


 けれど、少年の持ち得るものなど一つ切り。ちょっと他の人と違う、この左半身の異形という呪いギフトだけ。


 こたび、その可能性、未踏の未来さきへと繋ぐ価値の片鱗が示された。だが、まだまだ足りない。圧倒的に不足している。この程度では、あのの足元にも及ばない。


 だから、今は、雌伏する他ない。デヒテラが、再び心折られる事態のないように、目を光らせて。そのときには、いつでも、何度でも、どうなっても、


 バーゲストは、もう助けてくれない。結局、あれは、……ただの気まぐれなのだから。


 トーマスは、……多分、助けてくれる。けれど、そうすれば、きっと殺される……クリスのように。


 クリス、クリス、クリス、やさしいひと、よくも、よくも、よくも、……ぐらぐらと視界がにじむ。揺らぐ。融けていく。


 おかしいな、おかしいな……どうして、こんなに、……ぐらぐらと。


 唐突に訪れた、世界が融け落ちる予感。委ねるように、少年はまぶたを閉じて。


 すとん、と意識を手放していた。

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