第48話 くだらない/くやしい(4)

 ジョンは、血と吐瀉物としゃぶつの付着した手を振るう。反吐を催す、反吐の臭いに、反吐が出る。


 賊を見下ろす。れ上がり、血反吐にまみれた顔。息も絶え絶え。なのに、未だにこちらを睨んでいる。


 ”そこの賊、あなたグレゴリの裁量で処しなさい。そこで潰れているジョンを関わらせないで”


 過失にくさびを刺し込むように。ふと、よみがえる託宣。災悪の怪物あいするひとの声が脳をかき混ぜる。ぎょろぎょろと、落ち着きなく彷徨さまよう隻眼。素早く頭を回転させる。


 言葉を、咀嚼そしゃく反芻はんすう、再構築。詰まるところ、行く末さえ、グレゴリの意志に依っているのなら、過程までは問われていない―—そのはずだ。


 立ち上がる。よりにもよって、こんなくだらない奴に、くだらない奴呼ばわりされて、放置せざるを得ないなんて。実にくだらない始末だった。


「腕一本だったか。もういい。どうせ、このご時世だ。そんなあからさまな前科者やらかしたやつ、どこにも受け入れられない。野垂れ死ぬのが関の山だ」


 ジョンは、溜飲りゅういんを下げるつもりで言った。なのに、胸のつかえは取れなかった。頭蓋なんて、まるで泥でも詰まったみたい。鬱屈うっくつした閉塞へいそくおりは、どこにも排出されず、淀んで濁って停滞していた。


「―—おい、若造。まだ起きてるか、返事、できるか」


 グレゴリが屈み込んで、声をかける。仰向けに寝転がった賊。虫の息ながら、小さく首肯した。


「旦那がやらかした詫びだ。とりあえず、その怪我が多少ましになるまで、面倒、見てやる。片腕もらうのは、その後で勘弁してやるよ。済んだら、あとは、もうどこへなりとでも消えてくれ」


 ジョンを見る。お好きなように、と投げやりな視線が返る。嫌な目つきだった。


「―—なぁ、な、旦那に、、そこのの扱いだけんども」


 控えめに投げかけられた、しゃがれ声。


 声の主は、場に残っていた傭兵の一人だった。


 もう随分年嵩としかさ。グレゴリよりも一回り年上、下手をすれば、ジョンなど孫と言ってもいいくらい。ずんぐりとした体格の男だ。


 白髪の入り混じる頭を掻きながら、ジョンとグレゴリと苦痛にうめく賊の青年を順繰りに見た。


「なんだよ、アントン。あんたまで話をややこしくしようってか?」


 空気を読めよ、とグレゴリが睨みつける。しかし、相手は、気心の知れた身。しかも目上とあって、さほどの効果はない。


「いや、いや、そんなつもりはなんじゃけども。そこのが体張って守ったっちゅう娘っ子がな。どうも、行き場がのうて、と言うとんのよ」


 絶対、ややこしい話だった。今このときは。なんで言うんだよ、今このときに。


「なんでも、父娘二人で行商やっとったらしいんじゃけど、……そこのの仲間が、ほら、旦那が言うたとおりよ。勢い余って、父親を殺してもうてな。身寄りもろくにないんとよ。盗られた商材も、さっさと流されてもうたみたいで、無一文とは言わんけど、娘一人、生きていける財もないんとよ」


 やめてくれよ、と言いたいが、いまさら聞かなかったことにもできない。グレゴリは、当人にとってのみ非常に残念なことに、そういう男だった。


 ジョンは、ただ静かに不気味に押し黙って、年嵩人としだかびとの語りを聞いている。


「でな、傭兵隊ここに若え娘っ子を置くっちゅうことは、つまり、まー、。見た目、別嬪べっぴんいうか、まだ可愛らしい嬢ちゃんでな。まー、そんな事情の嬢ちゃんら、この隊に付いてるの、いっぱいおるし。別にいまさら言うたら、いまさらなんじゃけど……」


 アントンは、そこで少し悩んだように、言葉を切って。


「――そこのが命張ったいうんに、この始末は、なんというか、儂、いかんと思うんよ」


 アントンは、平たく言えば、頭があまり良くない。つまり馬鹿だった。馬鹿と自覚している馬鹿だった。

 一番たちの悪い、自分が見たもの、見せられたものをそのまま信じる馬鹿だった。


「なあ、そこの、腕も立つんじゃし、度胸もあるでな。ここで雇って、兵にしてやったらどうかと思うんよ。したら、二人で暮していけるでな、旦那、そのくらいの給金出してくれるじゃろ。見習いの時分は、儂が面倒見るでな」

 

 暗く淀んだ隻眼もなんのその。なんて、そんな小利口、彼は、読む以前に認識すらしていなかった。

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