第047話 くだらない/くやしい(3)

「俺もまだ詳細は聞いてないんですがね。まあ、嘘か誠か。で、行商人やらの、狙いやすい少人数で行動している輩を相手に強盗をしていたとか。まあ、周辺で聞き取った話からすれば、まんざら嘘ってわけでもないようですが」


 ジョンは、この時点で心底つまらない話を聞かされた体になった。ほぼ興味が失せた模様。これまた傷跡の目立つ己の手、その爪の伸び具合など検め出した。


「ふーん」


 自分から聞いてきたくせにあんまりな態度の雇用主。しかし、グレゴリは、義務的に口を動かす。


「で、俺の手下がに押し入ったときには、賊の連中、仲間割れをしていたそうで」


「え、なんで?」


 ぱちぱちと、一つ目、開いて閉じて。ちょっと興味が戻ったご様子。


「なんでも、とっ捕まえた女の処遇で揉めたらしいですね。こいつ、仲間を五人殺してたんだとか」


 ジョンが賊の青年を呆れたように見下ろす。 


「うわー、なにそれ、真正のアホだな」


「ええ、そうですね」


 とっ捕まえたも同然な子ども二人のために、怪物と多数の兵を巻き込んだ大騒動を巻き起こし、人死にまで出した青年アホをグレゴリは静かに見下ろした。


「それで、こいつは、とっ捕まえた女をどうしようとしてたのさ。ああ、独り占めにしようとしたとか?」


「――なんでも、手を出さずに解放しようとしたんだとか」


「はあ?」


 心底、理解不能わからないとジョンは、戸惑いの声を上げた。


 賊の青年を見る。猿轡さるぐつわを噛まされ、縄で縛られひざまずいていた。割と見目好い容貌。高い鼻梁びりょうと、細い切れ長の目が鋭利な印象を強調する。如何にも女に不自由しなさそうな男振り。


 隻眼の青年と賊の青年、ふたりの視線が交錯する。賊は不貞腐れたように、何が悪いと見返してくる。


「くっ」


 思わず、と言った風情で飛び出した、吹き出すような、発作めいた、喉の痙攣けいれん

 ジョンは、天を仰ぐ。


「っっっだらねええええええぇぇぇぇーーー!!!!!」


 賊の髪を乱雑に掴む。いきなり膝を顔面の正中に叩きつけた。倒れた身体を無造作に踏みつける。鉄板を仕込んだ靴でもって。一、二の、三度、繰り返される。たまらず、賊は、転がるように逃げようとしたが、ジョンは執拗に追跡する。踏んで、踏んで、踏みつける。拘束され、まともに身動きの取れない賊は、辛うじて背を向け、腹とその中に詰まった臓腑を守る。けれど、できたのはそこまで。後は、なされるがまま。ただ暴力を受け入れる他ない。肉が潰れる、骨が軋む、血は点々と。


 苛立ったジョンが脇腹を蹴った。噛まされた猿轡さるぐつわの隙間から吐瀉物としゃぶつが漏れる。排出しきれない流動物が口腔を圧迫したと見えた。窒息の危機に痙攣けいれんする身体。賊は、懸命に、全霊で、死に物狂いで、それを再び飲み下す。びくびくと芋虫のように身を縮める。ジョンは弱った芋虫に屈み込み、馬乗りになる。硬く握った拳を顔面に執拗に振り下ろした。殴って、殴って、また殴る。薄汚れ、多少の怪我はあってもまだ充分、端正と言えた顔。無惨に潰れ、血と吐瀉物としゃぶつに塗れていた。


「なんなんだよ、なんなんだよ。それは、お前、どういうつもりなんだよ。くだらないことしやがって、悪党のくせに実は善人なんですよ、とか言いたいのか。仲間を五人やったんだろうが。どうせ、襲った奴の中にも一人二人、勢い余ってっちまった奴だっているだろう。そうでなくたって、ものを盗られた奴らの中には、身持ちを崩して起き上がれなくなった奴だっているだろう」


 咳き込むように、糾弾する。手落ちの悪を。不実の善を。そうしないと息すらできない不自由にもがくように。痛切に、切実に、実を焦がすほどに。追い詰められた有り様で責問を続ける。悪にも善にも染まれない、中途半端で、くだらなくて、ひとつ所に定まらない、白くて黒い、混ざって灰にも成れない凡庸なる意志を。


「そんな中途半端じゃ、、殺してもらえなかったんだろ。どうせ助けようとした女だって守れなかったんだろ、ここでつくばってるってことはそうなんだろう。守ろうとして、守れきれずに手放してるんじゃないか」


 罪咎つみとがを負い、けれど、そのままに堕ちることもできず、義のために伸ばした手も無力ゆえに無価値と化す。果ては、こうして小悪党になぶられる。滑稽こっけいで、不様で、ありきたりな、弱者の末路。


「こういうのだよ。こういうのが一番いらいらするんだよ。さっぱり気分よく殺させろよ、そうじゃなきゃ、さっさと死んでくれよ。なんで生きてるんだよ。気持ち悪い。そういう余計なこと仕出すから、兵の奴らも中途半端に情けをかけて殺さずに連れてきたりするんだろうが、そうなんだろう。くだらないくだらないくだらない。どいつもこいつもなにもかもくだらない。おい、なんとかいってみろよ、みっともなく命乞いでもしてみせろよ。そうしないとつり合いがとれないだろ」

 

 帯革ベルトに忍ばせていた短刀で、猿轡さるぐつわを切る。


 賊は、もごもごと口を動かす。吐瀉物としゃぶつと血と唾液の混合物を力なく吐いた。れ上がって、切れた唇はまともな言葉など発すること能わず。けれど、確かにその口は動いて。


 ―—くだらないのは、てめえ、だろ。


 れたまぶたが片目を閉ざし、傷跡こそないけれど、それはどこかの誰かの似姿めいて。惨めで、不様で、醜悪なくせに。瞳だけは、まだ腐っていない。


「くだらない、くだらない、くだらない。誰がどうくだらない。俺がくだらない? お前みたいな、中途半端な悪党未満の塵屑ごみくずが、俺をくだらないとほざくのか」


 ジョンは、短刀を逆手に持ち替える。暴虐にれて、けれどまだ閉じ切らない一つ眼に向けて、刃を振り上げ、振り下ろし――手首が強い力で掴まれる。


 構わず、振り下ろそうとする。じりじり、じりじり、刃先は進む。意外と抵抗は強い。


 賊の眼球まで、あと指一本分。その辺で、とうとう億劫おっくうになったジョン。不貞腐ふてくされたように自身を止めた側近を見た。


「なんで、邪魔をする」


「旦那こそ、そこの賊の沙汰さたは俺に投げられたってこと、もう忘れたんですかね?」


 グレゴリのごつい掌が、ジョンの手首を握り潰すようにして止めていた。子どもの胴回りくらいありそうなたくましい腕。筋肉は限界まで張り詰めていた。


 舌打ちするジョン。これで勢い余っての体では、殺せなくなった。不愉快ながら、不愉快を、不愉快のままに放置する他ない。

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