第44話 拭い去れない不明の悪意(4)



「ふふ」


 巨人は、笑う。深く優しく密やかに。


「なんて……なんて、誠実で健気で美々びびしい御方……まるで“姫”でありながら“騎士”にも似た……ああ、旦那様が入れ揚げるのも無理からぬこと……けれど、けれど、良いのですか……よろしいのですかぁ……構わないのですかァ……


 不吉の外見そとみいでさらしたその麗しさ。うたうように、褒めて称えて、――、ちくりちくりと突いてみせた。


 魔女の瞳、すぅっと細まる。


「ご存じないかもしれませんが、……実はわたくし、とぉっても強いのですよ!」


 まるで、とっておきの秘密でも打ち明けるみたい。あからさまな、舐め切った挑発。


「……知ってるわ。私では、あなたには敵わない」


 ここに来て、ディアドラのかんばせに感情の彩が混ざる。わずかに、微量に、有るか無し。それは、きっと致命的な間違いエラー


?」


 吐き捨てた。

 

 美貌は、極限まで研ぎ澄まされた刃も同然。


 無情、無機質、無色に無温、そんな分厚い地層そとづらの底に抑圧された溶融流体マグマにも似た激情の発露。


 ふふふ、あはは、うふ、あっはぁ! 軽やかに、肩を震わせる巨人。成功した悪戯にステップでも踏みかねない上機嫌ハイテンション


 やれば、もちろん、大激震の大惨事。ええ、ええ、もちろん、そんなはしたないこといたしません。


「いえ、いえ、冗談、ちょっとした冗談です……脅かしてしまったのなら……お許しを。元より、ここで我らが争えば、……殿方らはどうなるか……みなみな、きっと潰れて、伸びて、平らになってしまいます」


「そうでしょうね」


「そうなのです……そして、それは……わたくしの望むところではございません」


 握っていた左拳を開くエブニシエン。ほら、もう安全ですよ。大丈夫。危険なんて、これっぽっちもございません。だなんて、取り繕って見せる。


「本当のところ、実は、わたくし、……その子どもたちにお話したかっただけ」


 淑女のように、左手を頬に寄せ、くすくすと。


 穏やかな風情ながら、しかし、そびえる怪物は、あまりにも生命としての規模スケールが違い過ぎた。、なんて言われても、子どもは竦み上がる他ない。


 けれど、少年は、少女は、能う限りの精一杯として、震えながらも巨大な眼球を見返した。


「あら、あら、……以前、遠目に見ておりましたが、……近くで見るとなお一層……やはり子どもは良いものです」


 緩々ゆるゆると、ろと、瞳の不屈、そのいとけなさをたたえて愛でる壮大な人型。


「男の子……以前見たときより、随分、顔色が良くなりましたねぇ……しっかりと食事を摂らなければ、……大きくなれませんものね……


 ルグの顔が強張る。糧を失い、ろくに食べることができなかった故郷でのこと。そして、ジョンに連れ去られてからの五日間、きちんと与えられていた食事。それによって、小さな身体に戻っていた活力。


 巨人の揶揄やゆするところは明らか。反抗できたのは、結局のところ、嫌悪し、憎悪する傭兵隊長がお前を養っていたからだ、と。


「賢い子……おわかりいただけたようで何よりです……では、最後にもう一つ……や、あのお転婆なが…………その意味よぉく考えて」


 巨人は、未だ魔女の束縛に虫のように潰されたままの主人を目線で示す。


「勘違いをしているようなら……あなたたち、虫のように死んでしまいますよ?」


 少年少女は絶句。当然と言えば、当然の疑問。


 なぜ、こんな強力無比な怪物たちが、弱者をなぶるばかりの小柄な青年に従うのか。


 あるいは、ルグやデヒテラには想像もできないような、あり得ない解答があるとでも言うのだろうか。


 声もなく地虫のもがきをかさかさ続ける青年。惨めで、不様で、醜悪な有り様なのに、――まるで、得体の知れないのようにすら見えた。


「――話は終わり?」


 淡々と刺し込まれる処刑人のとげ


「ええ、ええ、……お耳汚しを……わたくしとて、……幼子を徒におびやかすこと、本位ではございません……ああ、お気になさっていた、あちらの賊の殿方も、……


「そう」


 為すべきは、為した。ならば、もはやここに用はない。

 

 いくわよ、と。ディアドラは子どもを促して。ルグとデヒテラと手を繋いだまま、背を向けて、歩み去ってゆく。繋いだ影。伸びる暗さの色彩は、どこかほのかに、淡く柔らかで。


 ……―—。

 

 だから、なんで俺を巻き込むのか、なんて悲哀。グレゴリは内心だけに留め置く。これ以上の面倒なんて、ご免だった。

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