第045話 くだらない/くやしい(1)

 影三つ。端から、短い、長い、短い。後引くように伸びる薄暗がり。いつしか見えなくなって、ややあって――ようやくジョンに圧し掛かっていた魔女の手になる枝や根が緩んだ。


 うの体で抜け出す。顔やら服やらに付いた土をぱんぱんと払う。


「いてて、いったぁ、ああもう、酷い目にあった。ただ、まあ、多少の違いはあったけど、一応狙いどおりになったわけだから良しとしよう」


「処刑人殿に折檻せっかんされるところまで狙いどおりなんですかね?」


「そこは狙ってないけど、想定内だな、――想定内でまだましな方だ」


「少しは見栄を張ってほしいんですがね。地べたを這いつくばったりして、下にいる俺たちに示しがつかないとは思わないですかい?」


「耳が痛いところだけど、俺にそんな外面を求めても無駄だぞ? そういうところが気になるようならこの隊から出ていけばいいだけだ」


 飄々ひょうひょうとしたものだ。まったく堪えた様子はない。


 グレゴリはため息を一つ。丘に集った兵たちに、もういい、終わりだ、解散だ、さっさと戻れと声をかけた。


 皆、さすがにこれ以上の面倒はご免といった風情。早々に三々五々に散っていく。


 残ったのは、もともとジョンに呼ばれ、この場にいた内の数名。律儀に縄打たれた賊の青年を見張っていた。


 グレゴリは、戻っていった者らが羨ましい。残念ながら、彼には、まだ仕事が残されているのだ。押し付けられた、気の乗らない仕事が。


 しかも、我らが隊長は。


「だいたい、あれだ。俺だって、捕まってからずっと抜け出す努力はしてたんだぞ?うまく抜けられそうかなって、ところになると、枝が追加で絡んできたり、力加減が変わったりで、結局だめだったんだけどな」


 このとおり、まだ、喋くり続けていた。ずっと、かさかさうごめいていた理由が氷解したので良しとするか。アレについては、さすがに気色悪いな、とグレゴリも思っていたのだ。


 自分よりも頭一つ以上小さな青年を見て、重い息を吐く。確認すべきは他にもいろいろあった。


「アニス嬢とクリスの奴のことは、どう思ってるんですかね?」


 子どもを庇い、《人喰い》アニスによって、噛み裂かれたクリス。そして、その死後に現れたへと落とされ、消えたアニス。非情に馬鹿馬鹿しい、身内同士の因果応報の復讐劇。


「尊い犠牲だったよ――うそうそ、さすがにあれば事故だ。クリスの間の悪さとアニスの抜けたところが組み合わさると、ああなるわけだ。反省してる。次からは気を付けるよ」


 仲間クリスの死を冗談で片付けようとしたジョンだが、さすがに側近の目が厳しくなったのを見て、ぺらぺらと言い訳を述べた。


 もっともこの軽さでどこまで行動の改善が見られるのかは怪しいもの。


 この青年、自身でも正しいと考える忠告には耳を貸すが、どうでも良いと判断したものは右から左へ通り抜けるだけ。


 もうそこそこ長い付き合いのため、そういう性質をグレゴリはよく理解していた。


 エブニシエンがのんびりと口を開く。


「おや、おや……あのおつむの足りない人喰い……よもや、クリス様を手にかけたと?」


「そうそう。クリスの奴って、ほら、ときどき、ときがあるじゃないか」


 亡霊のように。あるいは、物語の背景として名も与えられず、いつの間にか消える犠牲のように。あれだけ可憐な容貌なのに、ふとした瞬間、ちょっと目を離すと、その存在が希薄になって、見えなくなる。


 まるで、そういう法則を持った不可思議な現象のように。


「今回見事にまったな。いや、あれは前々から機会を伺ってたって感じかな。からだと思うけど。なんだかんだで、クリスの奴、アニスのことを妹か、でかい愛玩動物ペットくらいに思ってる節があるし」


 最近の人喰いアニスのはしゃぎ過ぎた様子に思う所あったのだろう。、と密かに心に決めていたと見えた。


 とはいえ、相変わらずの螺子ねじの外れ具合にジョンは内心笑う他ない――グレゴリの目が怖いので笑わないけれど。


「ははあ、それは、それは……あのお転婆てんば、このまま、……わたくしとしては、とても喜ばしいのですが」


「ま、そう言ってやるなよ。俺としては、まだまだアニスには働いてもらわないと困るんだ」


「旦那様がそうおっしゃるのならば、……まあ、あのお転婆てんばもなかなかにしぶとい……クリス様も意図してのことならば、……大事には至らないでしょう」


 異常者と怪物の会話。常識人を自認するグレゴリは、頭痛がする思いだ。 

 仮にもを評しているのに、まあ、なんて軽い軽い。


「まあ、そっちはとりあえず、収まるところに収まったし、……後はこいつか」


 事ここに至ってようやく再び注目を浴びることになったのは、として連れてこられた盗賊の一味。


 異常な光景に目を奪われた衆目。その隙に逃げ出そうと考えていたようだが、……生憎とグレゴリの部下はだいたい勤勉なので、そんな安易な逃亡は許さない。


 賊の青年、向けられた無数の人の目、そして何よりの眼球に動揺している様子が伺えた。しかし、……あるいは、、ジョンにやや反抗的とも言える視線を向けている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る