第041話 拭い去れない不明の悪意(1)

 子とつなぐ手をそのままに、処刑人は立ち上がる。


 樹枝によって、地べたに潰された獣。未だかさかさうごめいていた。


 周囲を囲む、数多の傭兵。ざわめきながら、しかし処刑人と子どもに干渉してくる様子はない。


 大体において、始めからここにいた者たちなど、ジョンのくだらない悪ふざけに付き合わされただけなのだ。


 、なんて実にアホらしい理由で呼びつけられた。


 彼らは別段必要もないのに、わざわざ子どもをなぶって喜ぶ趣味はない。ああ、、なんて思っただけで。内心、この手の無意味としか思えない所業あそび辟易へきえきしている者もないではない。


 けれど、この隊、意外にも給金その他の待遇が他所よりも良いのだ。ために、多少の気色の悪さは我慢して、雇われを継続している者が多数派と言えた。


 。労働や多少の不快を甘受するから、対価を得られる仕組みなのは道理。


 傭兵に身を堕とすような、寄る辺なき者、ならず者、すねに傷ある輩ども。そこそこ条件の良い職場を、たかだか雇用主の頭がくらいで放棄することは少ない。もっとも、隊の初期からいる、中核とも言える者たちには、もっと別の理由もあるらしいのだが。


 ――話が逸れた。


 詰まるところ、兵たちは、この寸劇に対して始めからやる気がない。


 騒ぎを聞きつけ、おっとり刀でやってきた兵たちも、ある意味、怪物どもを越える特級の厄種ディアドラが出張ってきた瞬間、積極的介入を放棄した。場を離れないだけでも、彼らの職務に対する意識の高さを褒め称えて良いのではないだろうか。


 処刑人ディアドラ。罪人をこの上なく過酷に責め壊す狂気の住人――そして、


 兵の間で共有されつつも話題に出すことが憚られた不思議。なんで、ジョンはこんなに愛をうたうのか。


 暴いてみれば、なんて、ありきたり。なるほど、これだけの美貌、滅多にお目にかかれない、なんて言葉すら軽過ぎる。傾城けいせいの域にある魔性だった。


 もっとも、それをまじまじと鑑賞するには、きっと命を対価にする必要があって。ために大半が極力から目を逸らしている。とある馬鹿が、ひゅう、なんて口笛を吹いて、処刑人の眼を呼び、慌てた同僚から拳の制裁を喰らっていた。


 そんなのどかな死線ハプニングはあれど、全体を見れば、どこか兵たちには、やや弛緩したような雰囲気が漂っている。くすぶっていた疑問、ジョンが処刑人に入れ上げる理由がはっきりしたのだから。


 古今東西、およそ男というものは、美女に惹かれるもの。まったく柄ではないものの、英雄色を好むなんて格言からすれば、この麗しきの魔に理性が狂うは、至極当然。


 陳腐、月並み、ありきたり。。そんな、祈るような安堵。


 だから、彼らにあるのは、もはや事後処理の緩やかさ。さあさ、さっさと巻いて、お開きといたしましょう。


 そうして、うち数名が、ジョンを地に抑えつけた根や枝を持ち上げようとしたが、――びくともしない。斧を振るって切断を試みるものの、あろうことか切り込みを入れた箇所が瞬く間に癒着ゆちゃくを始め、すぐ元通りに修復してしまう。


 さて、それでは火でも付ければどうか。しかし、これは抑えつけられたジョンに影響を及ぼす可能性も考えられた。


「こりゃ無理ですな」


 一人が呆れたように禿頭とくとうの巨漢――グレゴリに告げる。


 グレゴリは重く息を吐く。荒々しく彫られた魔除けの像にも似た厳めしい面。鋭くて、どこか憂鬱ゆううつな視線をの処刑人へと向ける。


「処刑人殿、その餓鬼共、預かってくれるってことで良いんですよね?」


 麗人は言葉を返さず、しかし、小さく首肯した。


「なら話は終わりだ。この樹、どかしてくれませんかね? ご存じのとおり俺らはアニス嬢らと違って、弱っちいただの人だ。あんたの不思議な力をどうにかするのは随分と難儀するんですよ」


 応えはない。このときディアドラが見ていたのは、手を繋いだ子どもたち。そして子ども二人が見ていたのは、で。


 自らの手でもって命を奪うだなんて、デヒテラには、どうしてもできなくて。けれど、大好きな母を、共に過ごした皆を殺して、虐げ、奪った悪意。ただ許すことも、またできなくて。


 処刑人の手に伝わる、無意識に強くなった子どもたちの握力。特にデヒテラのそれが明らかだった。葛藤かっとうは、幼い身を未だ苛み続けている。


「―――そこの賊」


「ああ?」


。半端で滑稽こっけい愚昧ぐまいな男。どうしてここで縛られ、ひざまづかされている?」


 グレゴリの要請を完全無視し、問いを発した処刑人。


 禿頭とくとうの傭兵は唸る。なんて面倒なところに気付きやがる、と。


 わずかな逡巡しゅんじゅん。だが、結局のところ見た目そのままの愚直ぐちょくさを持ついわおの巨漢、ただ事実のみを口にした。


「旦那が、そこの餓鬼を処刑人殿の助手にするってんで、仕事で粗相そそうをしないように、あらかじめ殺しの経験を積ませるためなんだとか」


「なぜ、その男を選んだの?」


「どうも、こいつは、そこの餓鬼共の故郷を襲った賊の生き残りなんだとか」


 冴え冴えとした湖水色、細まる宝玉の輝き。


「――


 断定の重さと鋭さ、断頭のなたにも似ていた。


。俺もここに連れてきて、旦那に聞いて驚きましたよ。はずのこいつが、どっかの山奥の廃城を根城にしてた山賊の一味だなんてね」


 彼もまた内心いくらか呆れるものがあったのか、ディアドラを肯定し、肩を竦めた。


 ふたりの遣り取りに、デヒテラとルグはもはや開いた口がふさがらない。


 もし、仮に。


 少女が殺意を否定せず、諾々とその賊を殺していれば、どうなったか。

 

 そう。きっと、そのときジョンはわらって事実を明かしたことだろう。


 お前が殺したのは、あだとは、まったく関係のない、殺されるほどの罪もない、つまらない小悪党だったのだと。祝福するように、呪うのだろう。殺めた罪におののく少女の未来さきをさらに暗く暗く閉ざし、二度と浮かぶことのない無明の沼に沈めようとしただろう。


 


 魔女の不条理に囚われた青年。いったいどんな悪意どくを、どこまで埋伏させているのか。意図が不明なら、総量も見積もれず、深度もまた測れない。


 彼は、いったいどこまで腐れ果てているのだろう。どんな生を歩めば、こんな呪詛ものが形成されるのか。あるいは、――これは、辿ったわだちなど関係なしに、始まりからして、こんな理解不能な呪詛ものとして生を受けたのか。


 真相こたえは不明。地虫は、唯々ただただうごめき続けていた。

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