第038話 無価値な抵抗、されど(3)

 ぐるん、と敵が独楽のように回転する。勢い良く、一回、二回、三回転。最中に追撃に移ろうとしたルグ。


 目が、合った。


 左側の独つ目。隻眼。刹那、仔細に意識できたのは、金に染まった瞳と変化した神経束がもたらしたもの。過剰駆動オーバークロックされた認識。


 敵もまた、ルグが自身の意図を認識したとわかった上で、つい、と目線を動かした。


 ――少年は、すぐに状況を察知。


 追撃を諦め、――デヒテラの元へと、一飛びに戻る。


「ルグちゃん」


 涙の跡の残る顔、小さく告げる。ごめんなさい。


 ジョンの指示どおり、手を出さず、半ば観客の体にあったはずの傭兵たち。いまや、その大半が弓に矢を番えて、。いつの間に、なんて問うのは愚かなこと。


「詰みだな、男の子」


 いてて、などと軽く口の端から流れた血をぬぐう敵。


 与えた損害ダメージは、きっとわずか。殴りつけた感触。けれど同時にあったのは、不快感。


 ジョンは、ぱちぱち、と賛辞を贈ってきた。そして、けらけらと笑う。


「よく頑張った。けど、ちょっと惜しかったな。だめじゃあないか。


 騒ぎを聞きつけたか、追加の強面。丘を登ってぞろぞろ、と。手に手に凶器をもって、異形の子どもと無力な子どもを制圧おしおきしようとやってくる。


「お前の左腕、いや左半身、あと尻尾か。随分、頑丈そうだけど、他の部分はどうかな? 大事なお姉さんもどうだろう。これだけの弓で狙われて全部防ぎ切れるか? これだけの兵を殺し切れるか? 俺みたいな弱っちい、ただの人も倒せないのに?」


 心底腹の立つ敵の言い様。しかし、的確にルグの弱点と限界を突いていた。


「いけないな、こんな後先考えない行動。これじゃあ、


 あえて、口にする。少年の悔恨かいこん憤怒ふんぬなぶるように。


「あとは、――そうだな。また逃げてみるか? いいぞ、逃げてみろ。。追いかけっこは俺も嫌いじゃない」


 実際問題、ルグに活路がとすれば、先のにジョンが乗ったときに一撃で彼を気絶させ、人質に取った上、逃亡を図ることくらいか。


 それとて、果たして、どこまで有効な手立てであったことか。


 あとは、そう、まるでに語られる“騎士”のように、さらなる都合の良い奇跡でもって、この害獣の群れを圧倒できる力が降って湧いて来るとか。


 どちらも実現可能性という意味では、限りなくゼロに近い。


 だというのに、ルグは、反抗へと踏み切った。


 だって、仕方ないだろう。


 義姉が嫌だと泣いたのだから。命に懸けて否定したのだから。見過ごすも、従うもあり得ない。死を賭してでも、そんなことは許せない。


 そもそも、ここまで性根の腐り切った人間クズがいるなんて、幼い少年には想像することもできなかったのだから。


「あんた、ぜっっったい、ロクな死に方しないぞ」


 負け惜しみではなく、明白な事実としてルグは吐き捨てる。


「知ってるよ」


 いったいなぜだろう、そこばかりは、自嘲をにじませた苦笑。


 ここに、少女の決意も、少年の反抗も、終わる。意義は、喪われる。荼毘だびに伏される。


 彼らを取り囲むは、すべて眼前の外道畜生の爪牙。さらには、ここに姿を見せない怪物きょじんすらも控えている。


 仮初に庇護ひごを与えてくれた大狼は、きっと助けてはくれない。さとい彼のことだ。少年少女の窮状きゅうじょうに気付いていないはずはない。


 けれど、姿を見せない。終幕いまこのときに至るまで。不定に揺れる幕間くらい、せめて安らかに。そう、わずかな慈悲を示したに過ぎない。


 すでにクリスはルグを庇って命を落とし、きっとトーマスがここにいても同じ犠牲が生まれるだけ。


 ここに、少年少女の味方はいない。助けはない。救いは、ないのだ。


 ――本当に?


 たったひとつ、誰もが見落とす陥穽かんせいがあった。


 あり得ざる、呪わしい間違いきせき。罪を破壊する裁きの具象。長く伸びる不吉な影。


 ざわめき、兵の群れが割れる。誰も彼もが、かの忌まわしきを避けるように。恐れるように。畏れるように。


 黒衣に包まれた長く伸びやかで、同時に優美な曲線を描く肢体。背の半ばまで達する髪は、艶やかに沈む白銀。


 頭部は、からすを模した被り物で覆われて、そのかおは伺い知れない。


 歩んでくる。実体のない空虚な影めいて。だというのに、重苦しい凶兆の香を漂わせて。


 少年と少女の近く、舞台の上に立った者。


 傭兵と道行きを共にする処刑人。名を、ディアドラと言った。

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