第39話 きっと泡沫の救いの手(1)

「――ディアドラ。お前の方から来てくれるなんて」


 ジョンにとっても望外の事態だったのか。この青年には珍しく心底喜ばしいと、破顔した。きっと、そこに嘘偽りはない。純粋とすら言って良い。まるで、笑顔。


 しかし、ディアドラは応えない。ただ、幼い子どもたちを見下ろすのみ。


「あ、その子どもたち、気に入ってくれたか?」


 喋るジョンを無視して、――めきめき、めきめき、と。音を立て、芽吹くものがあった。。処刑人の背後、地にあらわれたのは、まだ青い若木たち。捻じくれ曲がり、絡み合って、天に向かって手を伸していく。


「まだ小さいし、ちょっと反抗的だけど、大丈夫。しつけければ、特に男の子の方は労働力として結構使えるはずだ」


 ほら、見て見て、なんて。子どもを指差し、ぺらぺらと。ジョンは口を動かし続ける。その間にも、樹はせっせと成長し続ける。幹は、とうとう大人でも抱えきれなくなるほどに。枝は際限なく分かれて伸びて。広がる新緑の葉が天蓋を覆う。わずかな刻に、目を見張るほどの大樹へと至る。


 ここに来て、……ジョンは唐突に出現した大樹に怪訝そうな顔をした。


 この事態を。ただ、これが発生した意図が腑に落ちない、と。

 しかし、彼は止まらない。あるいは、止まれないのか。疑問を棚上げして、ひとまず口を動かし続ける。


「……どうかな? そういう見てくれなら助手として側に置く気になるんじゃないか? ああ、もっと別の奴が良いなら希望を言ってくれれば――」


 ――黙れ。


 罰の宣告、吐息のように。


 大樹がうねる。うごめく。動乱する。枝葉末節から地に張った根に至るまで。圧倒的な数と質量と範囲でもって押し寄せる。


 


 あり得ざる大樹の打擲ちょうちゃく。傲然と、地をどよもした。

 震える丘。大いに揺れる兵の群れ。刹那、空へ浮かぶ子どもたち。


 獣のを知るがゆえの大破壊。たった一つに向けられた、過剰投下の、不可避の絨毯じゅうたん爆撃。


 果たして、罰を受けた害獣が如何なものに成り果てたかと言えば――。


「いたい痛い痛い! ちょっと待て、ちょっと待って! 今回は何が気に入らなかったんだ!」


 すぐに元気にわめき立て始めた。


 まるでねずみさながら。明らかな致命の質量を持つ枝と根を避け、脅威密度の低い隙間へと逃げ込んでいた。


 だが、そこまで。


 即死こそ避けた。けれど、身の上を縦横に覆い被さる樹枝が獣の動きを完全に封じている。実際のところ、常人ならば骨折程度では済まない相当な打撃に見舞われているはずなのだが、ジョンのわめきは止まらない。


「言ってくれたら改善するから、せめて、どこが悪かったかをおおぉぉぉーー」


 後半の叫びとも呻きともつかないもの。頭を踏みにじるよう、追加で圧し掛かった一際太い根によるもの。みしみしと、頭蓋が割れんばかりの圧力が衆目にも伝わるようだった。


「なあ! ディアドラ! 俺、思ったんだよ! 思ってるんだよ! 一人でいるのは絶対良くないって! そんなに何もかも遠ざけて、いつまで一人でいるんだよ! 子どもの奴隷なら反抗も抵抗もあんまりしないし、できないようにするから! とりあえずは道具として使って――っっっ!!」


 なおも諦めず、わめき続けていたジョン。しかし、とうとう完全に顔面を地面に押し付けられて口を封じられてしまう。ふごもごと呼吸すら難儀している始末だった。


 へのを終えた処刑人。この間、彼女は、ジョンに一切視線を向けていない。


 彼女が見ていたのは、身を寄せ合う幼い子どもたち。歪に成長した蜥蜴とかげの腕と尻尾を持った少年、そして彼に庇われた涙の跡の残る少女。


 子どもたちはというと、からすの頭を持つ狂った戯画ぎがめいた怪人物に明らかに怯え、警戒していた。唐突にそびえた大樹による怪現象。どうもその担い手がこのからす頭の女性であると察することはできた。


 けれど、まったく意図は不明。


 ジョンと良好な関係と言い難いのも理解できる。しかし、何故この場に現れ、彼を打ち据えたのか。


 大人に裏切られ、信じていた者を喪い、悪意に弄ばれ、すっかり疑心暗鬼に陥った子どもたち。助けてくれたとして、この怪人物がどんな恐ろしい意図を秘め隠しているかなんてわかったものじゃない。


 そういう機微を理解したのか、しないのか。ささやかな吐息が漏れて、消える。


 処刑人は、からすの被り物に手をかけた。

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