第37話 無価値な抵抗、されど(2)

「お前ら、俺が合図するまで手出しは無しだ。せっかく“騎士”が“姫”のために立ち上がったんだ。悪党こっちも相応の覚悟で歓迎してやらないと非礼に当たる」


 無礼討ちだなんて勘弁だ、などとジョンは周囲の兵につまらない冗談を飛ばしていた。

 未だこちらを子どもと玩弄がんろうするけがれた獣。


 ――― 一対一だと、上等だ。お前、ぜっったいぶん殴る。


 手近にあったルグ自身の頭に少し足りないくらいの、ごつごつした大きな石。変異し、拡張され、強靭に再誕した左手で握りしめる。力を込める。


 


 見た目も中身も子どもの規格を逸脱し、膨張した左腕。仰け反るように振りかぶる。ままに、オーバースローの全力投石!

 発射された無数の石礫いしつぶて。疾風のごとく天翔ける。やじりのように空を裂く。


 さえぎるように広がったのは、黒い暗幕。


 ジョンが着込んでいた外套。主人に引っ掴かまれて、石の散弾と邂逅かいこう

 ずたずたに引き裂かれる。破れたそこかしこにのぞくのは、編み込まれた鋼線。おそらくは防刃性を企図したもの。もって、身と引き換えに主人の守護を完遂する。


 その結果も確認せず、ルグは、変異したてのひら、その鉤爪を地面に深く突き立てていた。ざりっ、と大地の肌をえぐって削る。出走前の前傾姿勢よーーーーーい射出ずどん


 弾けて飛んだ、小さい身体。


 巻き上げた、大量の土砂を置き去りに。矢弾と化して。悪党目掛け、突貫した。

 敵は、つぶてを払うため、刹那せつな、視界を奪われている。

 破けた外套の穴からちらりとのぞく、傷跡の目立つ頬の一部。凶器と成った拳で打ち貫く。

 感触は、わずかな擦過さっか

 ジョンは、瞬間、見えていないはずの一撃を首を傾けて避けていた。

 けれど、そんなこと、想定できる。この敵は、至近距離からのふいうちでさえ、どうやってか防いでいたのだから。

 ゆえに、―――かたしなやかな、が敵の後頭部を狙う。

 本命は、いつの間にか生えていた尾っぽ。大人の腕ほどの太さと、ルグの全長ほどもある、重厚なる生体の鞭。風を切り裂きながら、疾駆した。


「うわっ」


 驚きを漏した敵。つまり、ということ。

 接触の瞬間。頭ひとつ分、屈み込んで避けていた。後ろに目でもついているのか、こいつ!

 ままに、目を見張るほどの敏捷びんしょうでもって、もはや明確な脅威と認識したルグから距離を取る。


 そして。


「アントン。寄越せ」


 へえ、と返事をした兵の一人が敵に何かを投げる。

 すかさず手に取る青年。ルグへと、を向けた。木材、金属、動物のけん。複合された理知による殺戮機巧。いしゅみ、しかもそれは。


使?」


 かつて、自らルグが差し出した父の形見に他ならない。

 ぎりぎりと張られた弦、子どもの命を貫くために解放される。


 ―――火に油を注ぐ醜行でしかない。


 猛速で飛来した獣狩りの矢弾。黄金の瞳。左右でずれた動体認識の差に吐き気がする。奥歯を砕かんばかりに噛み締めて耐えた。


 やってきた鉄の穿通せんつう無垢むくの鱗に鎧われた腕が弾く。石火の残響、重く鋭く消えてゆく。

 板金鎧すら貫くはずの一撃もなんのその。およそ尋常とは言えない対応。なのに。


 ひゅう。いらえは、安い口笛。敵の軽さが神経を逆撫でる。


 弩はいしゅみ、扱い易く、威力が高い。反面、矢の装填そうてんに時間がかかる。次弾装填そうてんの時間など与えない。


 踏み込もうとした、瞬間。


 じゃ、しゃら、じゃら。金属のきしる不快が耳をこすったとき、ルグの左腕にそれは既に巻き付いていた。とぐろ巻く毒蛇みたいな、鋼の鎖。


 いくら腕が変異し、尻尾が生えようが、体重ウェイトそのものは、まだ幼子のもの。加えて、盗賊の襲撃から、傭兵に売り飛ばされるまでの間、満足な食事を摂ること叶わなかった身体は、悲しいほどに軽い。


 地面から引っこ抜かれる。さながら、芽吹いたばかりの柔らかい草の芽か。鎖を握るジョンへと一直線に引き寄せられた。


「やっぱり、しつけは手ずからやらないとなぁ!」


 尋常から外れた異形。あえて接近させるのは、おそらくそれだけに自信があるということ。反射神経、動体視力、あるいは、ただの勘働きか。この敵は、ただ速いだけなら、前からだろうが後ろからだろうが、無関係に平然と対応してくる。

 少なくとも、態勢を大きく崩されたルグに先の交錯を超える反撃は見込めない。

そして、この敵をぶん殴るには、きっと必要があった。


 だから、左腕を引き抜いた。


「はあっ!?」


 《脱皮》、否、もはや《自切》というべきか。

 極度に肥大した左腕が肩の根本から外れてぶちっとれてずぼっ―――代わりに一回り以上、細く短くしなやかな腕が現れる。


 外れた腕、鱗の隙間に鉤爪を立てる。ぐいっと、引き裂くように。鎖の牽引による慣性、加算することの異形の膂力。想定なんて置き去りに。さらに加速し、かっ飛ばす。


 明らかな想定外びっくり。敵は、唖然あぜんと阿保面を晒していた。


 白い鱗に覆われた手。怒りを、強く強く握りしめる。


 ―――よくも泣かしたな、この野郎。


 風巻き、唸りを上げた拳骨。どこまでも、ただ真直ぐに伸びて。敵の頬桁を殴り飛ばした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る