第036話 無価値な抵抗、されど(1)

 けして、触れてはいけないけがれ。気負いなく口を開く。


「まあ、いいか。それで、―――話を戻すが、まだ反抗するのか、男の子?」


 ジョンは、少年少女の恐れにまるで関心がない風情。

 致命的な問題がいまだ継続中であることを告げる。


しつけが必要なところだけど、。ただ、一度だけだ。俺は無駄なことが嫌いだ。―――まだ、お姉さんが処刑なんて、をするのが許せない、そうほざくのか?」


「っ」


 その選択はんこうの先に待つものは、何なのか。トーマスの言葉が蘇る。


 ―――姉ちゃんがで酷い目にあってもか?


 自らだけでなく、他者をも道連れにする愚かしい自己満足。

 故郷の大人たちの選択を忘れたか。彼らは、みんな善良だった。そんなことルグにだって、よくわかってる。本当は、みんなで可愛がっていたデヒテラを売るなんて、そんな卑しい行い、したかったはずがない。


 弱いということ。弱者の選択。弱きの果ての罪。


 だって、仕方ないじゃないか。それしか選べるものがないのだから。

 口に合わないからって、食べなければ、飢えてしまうのは子どもだってわかる道理。

 いままさに、ルグの選ぶべきではない選択によって、一つの命が喪われた。

 愚行の対価。代わりに支払ったのは、優しい人クリス


 力が無いなら、どうやったって、抵抗に価値は見出せない。


 無情な葛藤が幼い少年をむしばんでいく。

 その手を、そっと優しく包むものがあった。彼と同じように小さな手。

 大好きな姉が微笑んでいた。消え入りそうなほど、酷く澄んでいた。


「もう、いいの」


 凍り付くルグ。

 デヒテラが、笑顔でジョンに向き直る。

 縛られ、ひざまずかされた供物くもつを見る。母の仇、隣人の仇、自身と義弟の運命を狂わせた悪意の一欠片。


「わかりました、旦那様」


 ―――そのひとを、ころせばいいんですね。


 用意された言葉、運命を定める呪い、唯一無二の選択。

 少女は、致命の未来を自ら口にしようとして、……―――止まる。言葉が、続かない。


 ジョンが、やや怪訝そうな顔をした。


 デヒテラは、ぱくぱくと、口を動かして、言葉を紡ごうとしている。必死に、自らに呪いをかけようとしている。きっと、全霊でもって、自らの未踏の先を暗く覆い隠そうとしていた。

 けれど、彼女の善性たましいは、決意に反し、唯一のはずの選択を選べない。それしかないにも関わらず。その選択の後に待つ未来さきを知って。


 少女は、故郷を襲った賊、その末路を思う。と、を。すべてを見たわけではない。そのだけ。

 けれど、少女にとり、この青年の暴虐と悪意を知るには、充分に過ぎた。


 苦痛に、恐怖に、憎悪に、狂ってしまえば良いのに。故郷の皆がそうであったように。

 ……彼女もまた残された狂気すくいに身を委ねてしまえば良い。それは、けして幸福ではないかもしれないけれど、葛藤いたみを忘れる熱病の安寧あんねいがあるはずだから。


 とうとう、ぽろぽろと透明な涙を零して、強く歯を噛みしめて、大きく身体を震わせながら。


「でぎまぜん」


 唯一無二の絶対解を否定した。

 

 反逆なんて、思いもよらない。もとより少女は他者を害する攻撃性を有しない。

ただ、耐えるだけ。じっと我慢して、嵐が過ぎ去るのを待つばかり。


 無力で無価値な抵抗。

 何一つ益をもたらさない幼い徳心。

 けして、自らに返ることのないあまねく命への慈しみ。


 ―――それを、幼さゆえの愚かと見るのは簡単なこと。


 けれど、少女は、この傭兵隊長の悪意を知っている。暴虐を知っている。自らの無力さなんて知るまでもない。

 なのに、それでもなお、狂気すくいに抗い、殺意せいぞんを否定する。

 その無価値のを、いったい誰がさかしらにわらって否定できるだろう?


 だから。


 少女の選択は、少年をあらゆる縛鎖から解き放つ。は、如何な聖剣をもってすら為し得ない、を彼に与えた。



▼▲▼



 拳を握る。

 これは、間違いだ。きっとぜったいに間違いだ。みんなが、みんな、こぞって間違いだと叫ぶだろう。

 まったく後先を省みない愚行。


 その選択の先に待つものは、―――


 少年にとり、もはやそんなさかしらは何の意味も持たない。価値の有る無しなんて、もっての他。

 そうしたいから、そうする。

 やりたいから、やるのだ。

 既に自身にとり、唯一無二のは示されている。

 ならば、後は、自らの望みとその身に責務にかけて、為すべきを。


 だいたい、もうとっっくに怒りは限界を越えていた。


 嚇怒かくどに沸騰する頭蓋。

 眼前にある、人の形をした害獣。

 姉を泣かしたに一発叩き込まないと、どうやったって気は収まらない。

 左半身が疼く。

 どくん、どくんと脈打って。

 ぞわぞわ、ざわざわ、鱗がさんざめく。

 腕が焼ける。腕が重い。腕が、違うものに変っていく。


「わお」


 わずかな感嘆を含んだ不快な声。


 ルグの左腕、白く白い鱗に覆われたそれが、どんどん肥大し、伸長していく。ぎちぎち、みちみち。もはや大人の腕をも遥かに超えて強靭に構築されていく。


「なんだそれ。み子って、そんな風になるもんなのか?」


 指の一本、一本が炸裂するように成長する。爪が変質を来たす。幼子の柔らかい角質から、さながら金属めいた光沢を帯びた鉤爪へ。

 さらには、とび色だった左目が綺羅綺羅きらきらしい黄金に染まる。


 とうとう変生を終えた少年は、を見定める。


 いまや、作り物ではない笑顔を浮かべたジョン。歓迎するように大きく両腕を開いた。


「思ってもない拾い物だったかもな、―――せっかくだから遊んでやろう。さあ、かかっておいで」

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