第33話 善意の奈落(2)

。お前に初仕事をやろう―――


 デヒテラの頭が真っ白になる。ジョンは笑顔だ。笑顔のままだ。だが、冗談を言っているていではなかった。気負いなく、幼い子どもに殺人を命じている。


 あまりの事態に思考が停止したデヒテラ。

 代わって、抵抗を叫んだのは、ルグだった。


「待ってください! 人を殺すなんて、そんな恐ろしいこと、お姉ちゃんにできるわけがありません!」


「いやいや、そんなって。ついこの間、?」


 必死の形相の男の子。さも可笑しそうに、まぜっかえす青年。


「それは、貴方が―――」


 あまりに巫山戯ふざけきった大人。さらに少年は言い募ろうとして。


「―――うるさいな、お前」


 さながら真冬の河。生命の熱を奪う、せせらぎ。

 春の野に舞う花の精、そんな可憐が冷然と告げる。


「いまは旦那が喋ってるんだよ、黙れ」


「―――」


 ルグの身体がまるでように動かせなくなる。


 ジョンを翻意ほんいさせようと、必死になって口を動かそうとするものの、まったく動かない。舌も、喉も、動く自由を奪われていた。


 恐怖による硬直ではなかった。もっと、根源的な、身体ではない何かが芯から丸ごと凍てついているような―――。


「余計は、やめろ」


 つまらなそうな、ジョンの呟き。


 瞬転、さきほどの凍結が嘘のように、身体が自由を取り戻す。思わずよろけて、地面にしゃがみ込んでしまう。寒くなんてないのに、凍えている。冷たくなんてないのに、歯がかちかちと鳴る。すぐ隣を見ると義姉も同様だった。


 いま、一体なにをされたのか。

 

 見上げる先にあった、見眼麗しい女の人。急に得体の知れないのように感じられた。そして、―――は、ぞっとするような凄惨せいさんな面持ちでルグを見詰めていた。


「俺は、余計なことをするなと言ったんだ。意味わかるよな?」


 ジョンが重ねて発する警句。殊更ことさら荒げてもいないのに、その響きはなぜか重い。

 娘が盛大に舌打ちして、そっぽを向いた。


「悪いな。話の途中で余計な邪魔を入れて。怖い思いをさせたなら悪い。こいつは、悪い奴じゃないんだけど、少しばかり我慢が効かないところがあるんだ。あー、そういう意味では、男の子と似てるかな? お前たちは、きっと仲良くなれるよ。俺が保証する」


 とたん、またぺらぺらと語り出す。

 そうして、まだ屈み込んだまま言葉も出せないデヒテラとルグを見る。


「―――少し順を追って話そうか。うん、そうだな、いきなり、は突然過ぎたかもしれない。いろいろと心の準備は必要だろうし」


 そっと、素敵な秘密を打ち明けるように。


「実は、お前たちには、

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