第030話 仮初めの庇護(8)


 トーマスが述べた、バーゲストと一括りにされる二人の

 

 一人は、あのなのだろう。


 少年少女が見たものの中、黒狼や巨人と同列視されそうな

 無意識の内、考えることを拒絶していた恐怖。


 失敗した逃避行の中で遭遇そうぐうした、生命としての正常な形象デザインから外れた出鱈目でたらめな怪物。


 青ざめて、沈黙する少年少女。

 

 狼が干し肉を口の中に収める。ため息のような、吐息を一つ。

 鼻面を青ざめた小さい者たちに寄せた。仮初かりそめ庇護者ひごしゃの感触。少しだけ、心が落ち着いた子どもたち。


「あー、もしかして、お前たち、姿? 確かにお前たちを連れてきた日、やたら怒ってて、


 トーマスも、やや気まずそうだ。彼の軽い様子が、子どもたちには信じられない。あんな錯乱した人間の妄想が、そのまま形になったような化け物を仲間として扱っているのか。


「そんな目で見ないでくれよ。信じられないかもしれんが、アニス嬢も普段なら、姿、案外と良い奴なんだぜ。お前たちが見たときは、、とかって、怒り狂ってたから、いろいろとヤバい感じになってたけどよ」


 傭兵の言葉。ルグは、また身体を強張らせる。


 失敗したとはいえ、―――どうして、どうやって、至近距離からのいしゅみを防いでいたのかわからないが―――ルグは、彼のいう『旦那』、つまり傭兵隊長ジョンを


 バーゲストにしろ、クリスにしろ、トーマスにしろ、あまりに親切なものだから、もしかしたら、不意を狙って、ジョンを殺害しようとした事実を知らないのではないか、なんて無意識に都合良く解釈していた。


 傭兵隊という組織が、どれだけ内部的な結束を持っているのかは定かではない。

 けれど、少なくとも名目上、長といただく者に弓を引いた輩に敵意を抱かない、なんてことはないだろう。


 このトーマスだって、本当は、あるいは。


「あー、ってことは、聞いてるけどよ。気にしてる奴は、そんなにいないんじゃないか」


 ルグの深刻な懸念。トーマスは、軽く否定する。


「あの旦那が、子ども一人に殺されるわけないからな。しぶとさとか、生き汚さとか、悪運とかって、いったらだって呆れるくらいなもんだからよ」


 からからと笑う顔に含むものは見えない。

 だが、それから、やや逡巡しゅんじゅんしたように。


「―――ただなぁ、今後は、そういうのはやめとけ。姉ちゃんを連れてかれたくなかったってのは、わかる。けど、繰り返すようなら、さすがに俺らだって黙ってるわけにはいかんし、そもそも無駄に反抗する奴に旦那は容赦ようしゃしない」


「いやです。同じことがあるようなら、俺は同じことを繰り返します」


 小さくて細い身体、その全身の毛を逆立てるようにして、抵抗を示す。


「それで姉ちゃんが、酷い目にあってもか?」


「それは―――」


 自身の言葉がどれほど酷で、下劣なのか、トーマスは理解している。いながら、あえて事実を口にした。

 この少年にはかせがいる。首輪がいる。重しがいる。

 それがなければ、きっとすぐに破滅へ至ることになる。そんな想像は容易だった。


 穏便に済ませたいのなら、あえて強い事実でもって拘束するより他に術はない。 


「トーマスさんの言う通りだよ。私のことはいいけど、ルグちゃんはもっと自分のことを心配しないと」


 トーマスの重い言葉。明確にくつがえす力を持たないルグは、黙ってうつむく他ない。自身の左腕を掴む。異形と呼ばれた、蜥蜴とかげじみた鱗を持つ半身。子どもには、見合わない力が出せる。けれど、ただそれだけ。とはいえ、暴力を生業とする、多数の大人に勝てる道理はない。


 気まずい沈黙に包まれる。


「―――トーマス」


 裂くような、低い声。


 割り込んできたのは、トーマスと同じ年頃の、こちらは、いかにも傭兵らしい強面。唇を縦に裂いだ傷跡がひときわ目を引く。男は目を眇めるようにしてトーマスたちを見ていた。


「持ち場を離れすぎだ。に頼まれたからって、無駄に油売ってんじゃねえ」


「ああ、わかったわかった。そう怖い顔するなって」


 一瞬で引き締められた場の空気。和ませるように、トーマスがへらりと笑う。

 男は次いで、デヒテラを見て、そしてルグを、正確にはその首筋にある鱗を見て、舌打ち。


「ちっ、か、ツキが落ちるな」


「おい、そんな言い方」


「うるせえな。油売ってた奴が偉そうに俺に説教か? あ? 坊主にでもなったつもりかよ、トーマス」


「わかったわかった、ほら行きゃいいんだろ」


 トーマスは、はふはふ、とまだ熱い煮込みを手早くかきこんだ。あっという間に空になってしまう椀。


「―――あ、トーマスさん、洗っておきますので」


「いやいや、自分の分くらい自分でやらんとな。


 デヒテラの申し出に、からからと返して「じゃあ、またな」と背を向けて。パンをかじりながら、強面の男と共に去っていく。


 強面の男は、一度だけ、振り返って、ルグとデヒテラをじろりと見た。口元が吐き捨ているように動く。


 ―――


 誰と比較したのだろうか。そんな言葉が宛所もなく、溶けて消えた。

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