第029話 仮初めの庇護(7)

 デヒテラとルグが傭兵団に売られてから、二日が経った。


 その間に何があったか、といえば、―—―クリスの言のとおり、特筆すべきことはない。


 縄打たれることもなければ、鎖に繋がれるでもない。

 殴られ、蹴られ、叩かれ、といった暴力もない。

 過酷な労役をさせられるとか、もっと陰湿で仄暗い、あの盗賊どもが仕出かした醜い欲望のけ口にされるわけでもない。

 食事を与えられなかったり、寒空の中、放り出されるわけでもない。

 ずっと、馬車で移動しているだけだが、食事に言及するなら、村にいた頃よりも良い物を与えられているくらいだ。


 バーゲストとクリス以外にも、トーマスという名の四十絡みの傭兵が何くれと二人の面倒を見てくれた。


 ルグもデヒテラも当初は警戒していたが、――――傭兵とはとても思えない、彼の温和さに少年少女も次第に警戒を解いていった。


 他の傭兵たちにしても、荒っぽい者もないではないが、概ね気さくに接してくれる。


 村で出会った、あの得体の知れないジョンという隊長には、その後、まだ一度も出会っていない。


 そういえば、とルグが思いついたようにトーマスに問う。


「あの巨人、大きい人はどこに行ったんですか?」


 村を出てからまったく姿が見えない巨大な姿。あんな小山じみた生物が身を隠し切れる場所など周囲のどこにも存在しない。ジョンに付いて行ってしまったのだろうか、と。


「ああ、な。いや、あいつは旦那には付いていってないぜ。いまも坊主の近くにいるぞ、あいつ」


 ルグがむむ、と難しい顔をする。あちこちきょろきょろするが、巨大生物は影も形もない。


「いったいどこに?」


 眉間に皺を寄せる少年。トーマスは、からからと笑うばかり。答えは、自分で捜して見ろ、といったところ。

 それはともかく、いまは行軍は休止し、糧食の配給が始まっていた。


 トーマスに付いて、ルグとデヒテラも配給の列に並ぶ。


 時折、じろじろと奇異なものを見る眼差しが飛んでくるが、トーマスもいるせいか変に絡んで来るような者はない。


「あの、こういうのお手伝いしなくていいんでしょうか?」


「おいおい、いまはお前たちが逃げ出さないかどうか、見張ってないといけないんだぜ? ちょろちょろ動き回られたら、その方がやり辛い」


 真面目腐った物言いだが、―――実際のところは、自身の預かり知らぬところで余計なちょっかいをかけられることを心配しているといった風情。


 不器用な気遣いの気配に、デヒテラがはにかむ。

 そうこうしているうちにも列は進む。


「あ、ルグとデヒテラじゃないか、いらっしゃい」


 柔らかい、というか弛緩した笑顔。

 配給係の中には、柔らかな髪を一つに縛ったクリスがいた。


 忙しく働いているためか、肌の蒼白さが幾分か緩和され、幽玄ゆうげんな少女のかおがよりなまめく香る。以前のこともあってか、ルグが赤面し、


「あらら、どうしたの。恥ずかしがらなくてもいいじゃない」


 その手ずから、煮込みと硬いパンを受け取ったルグは、恥ずかしそうに俯いたまま。デヒテラはそんな義弟をにこにこと見守る。そしてトーマスは、どこか苦笑気味にクリスを見ている。


「相変わらずだけど、、夜は気を付けろよ。どこに狼が潜んでるかわからないからな」


「そういうときは、潜んでないおっきい狼に助けを求めることにするよ」


 微笑んだクリスにこたえた様子はない。


「あと、これバーゲストの分。届けてあげてね」


 ルグに小さな布袋が追加で手渡される。中身は、軽い。男の子は、しっかりと受け取って、何度もうなずく。


「よし、良い子良い子」


 ともあれ、仕事に精を出しているクリスと暢気に話し続けるわけにもいかない。


 早々に場を辞して、三人は、デヒテラとルグがされている馬車へと戻る。


 馬車の外には悠大な身を横たえた黒い狼が彼らを待っていた。

 閉じていた眼をうっすらと開く。

 

 とてて、ルグが近づく。


「はい、今日の晩御飯」


 クリスから渡された袋から、バーゲストの体躯たいくに比すれば、あまりに小さい干し肉を取り出す。

 せいぜいがところ、ルグの小さな手のひらより少し大きいくらい。

 、差し出されたものをくわえる黒狼。

 目線で礼らしき気配が伝わってくる。


「ほんとに、これだけでいいの?」


「お腹すきませんか?」


 子どもたちの心配にバーゲストは問題ない、とひとつ頷く。


「あー、俺も何だかんだで、そこそこの付き合いだけど、こいつ本当にこれだけしか食べてないなあ。どういう体してんのかね? は、やたら食い意地張ってるのになあ」


 トーマスも呆れたように補足した。


 


 その言葉が指し示すものに、ルグとデヒテラがびくりとした。


 一人は、あの巨人なのだろう。

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