第028話 仮初めの庇護(6)

 ひとしきり話を終えて、クリスは、一旦馬車を出た。


 よいしょ、ぱたん、と扉を閉じる。


 周囲では野営の準備がほぼ終わっていた。料理番が夕餉ゆうげを兵たちに配給している。

 

 子どもたちの分も含めてもらいに行こう。クリスも夕餉ゆうげの煙に漂って行こうとして。


 ―――視界の端、至近に映ったからすの頭。


 ぎょっと、目を見開く。見間違いではなかった。


 クリスのすぐ傍、彼の目線よりも少し高い位置にあった

 正確には、それを模した被り物。そこから伸びた首やら胴体やら手足やら、まごうことなく、人のそれ。


 。声もなくたたずんでいた。

 

 まったく気配を感じなかった。いやそれどころか、いまこのときでさえも気配が、生命としての息遣いが感じられない。まるでそういう形の悪趣味な置物のように。


 微動だにせず、ただ在った。


「―――びっくりしたぁ、脅かさないでよぉ。ディアドラ。君、何しているの?」


 クリスは、ちょっと涙目になっていた。


「奴隷を、買ったのね」


 澄んだ音色。クリスの問には応えず、むしろただすかのようにささやかれた。

 果たして、どういう意図をもっての言葉なのか。クリスとしては、この女性と会話する機会があまりないために測り兼ねるところ。


「―――この間の盗賊退治の報酬だってさ」


 ジョンが貰い受けた、とは言わなかった。この女性の前では、きっとジョンの名を出すべきではない。それは、この隊に属する者が共有する不文律。


 返ったのは、そう、と一言だけ。

 まるで情動の色味がない、吹き抜ける風にも似た呟き。


「なに? 君もあの子たちとお話したいの? なら、とりあえずその被り物を取ろうよ。僕も最近ようやく気にならなくなってきたけど、初対面だと、ちょっーと変に見られることもあるからさ」


「子どもに、用はないわ」


 ふにゃふにゃと柔らかく誘うクリス。この不吉な人物を平然と子どもたちに対面させようとするあたり、やはりこの少年もどこかしら


「なに? その被り物を取るの恥ずかしいの? それならそのままでも良いと思うけど。ほら、もちろん僕も一緒に入るからさ。あの子たちって、いま知らない人たちの中にいきなり放り込まれて心細いと思うんだ。仲良くしてくれる人が多ければ、少しずつそういうのも和らいでくると思うし―――」


「貴方、その悪意に鈍感なところ、自覚した方が良いわ」


 刺し込まれる、言葉のくい。クリスは、ぱちくりとまばたき。


「いまさら矯正きょうせいは、不可能でしょうけれど。、それを伝染させるのも、巻き添えにするのもやめなさい。正常な人間にとって、貴方の感性は毒よ」


「自覚、と言われても難しいんだけどね。僕は、これが当たり前だと思っているから。―—―うん、でも努力はしてみるよ」


 クリスは、微笑んだ。


「でも、少し安心した。僕以外にあの子たちの面倒を見てくれる人、あんまりいないかな、と思っていたけど、そうでもないらしいね」


 えへへー、と嬉しそうに眼を細める。バーゲストだって、なんだかんだで、面倒を見てくれているっぽいしね、と。


「そういうところを正せと言っているのだけれど」


 囁くような、温度が欠けた応え。もはや確認すべきは終わった、と。長く麗しい影は背を向ける。


「ねえ、ディアドラぁ、あの子たちが何か困っていたら、助けてあげてねぇー」


 遠くなっていく、暗い影。クリスの気の抜けたお願いが、茜色の空に溶けて消えた。

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