第27話 仮初めの庇護(5)

 バーゲストは、ふい、とクリスから頭を背けた。


「えぇー」


 どういう意図の仕草なのかは、さておいて。お前に答えるつもりはない、という、とても強い意志を感じる。


 今度は、困惑もあらわわに少年少女に目を向ける。

 

 慌てて、黒狼の下から出ようと、もぞもぞ動き始める子どもふたり。しかし、――どうも、バーゲストがそれを阻止しているらしい。


「出してもらえないでしょうか?」


 デヒテラが願い出るも、狼は不動。その威容、さながらいわおのごとく。


 あるいは、こいつクリスに気を遣う必要はない、と。そう、少年少女に伝えているのだろうか。


 猛々しい戦獣の、揺ぎ無い意志。


 もはやここから出ること敵わないとあきらめたルグ。生首みたいな状態のまま口を開く。


「ええと、どういったご用でしょう?」


「んー、用というほどの用はなくて、ほら、子どもふたりを報酬として身請けしたなんて聞いたものだから、ちょっと様子を見に来たんだ」


 恐怖に震えているものとばかり思い込んで。まさか狼の下でぬくぬくしているとはつゆ知らず。


「そっちの男の子、ジョンに手酷くやられたって聞いたけど、大丈夫? バーゲストがこうして上にのっかっても大丈夫だって思ってるくらいだから、大丈夫なんだろうけれど」


「―—―はい。やられたときはとっても痛かったんですけど、今はそれほどでも」


 子ども相手に手加減する程度の良心は残っていたのか、なんてクリスは思う。


 が、ことその手の楽観は、ジョンという青年を評するにあたって、非常に危険。


 クリスは、。利用価値があると見れば、寛容かんように振る舞うことがあるから、そちらの方が有力か。


 まあ、考えても仕方ないかー、なんて、すぐさま考察は放棄。


 少年の怪我の様子くらいは見ようかと思ったクリスだが、こうしてバーゲストに乗っかられていては、どうしようもない。嗚呼、残念無念。


 本当に危険な状態ならば、さすがに狼もこのような振る舞いには及ばないだろう。


 研ぎ澄まされた野生と、深い知性を兼ね備えた優越の生命なのだから。


「――」


 もっとも、ぷい、とそっぽを向いたままの姿は、その評価に若干の疑問をていしてはいるが。


「――」


 クリスのじとー、とした眼差しにも一向動じる気配はない。


「ふう。無事ならいいけど、あ、鱗。これは立派なの生えてるなぁ」


 気を取り直したクリスは、すぐに少年の露出した首元に生えた異形の形相に目を向けた。


「え、あの」


 やや気まずそうに表情を強張らせたルグ。構わず、クリスがルグの首筋の鱗に触れる。


「この地方だと鱗が生える人がいるって聞いたけど、初めて見たよ」


 つるつるとした触感と、子ども特有の体温の高さに目を細め、頬を緩ませる。


「綺麗な爪みたいだねぇ。魚じゃなくて、蜥蜴とかの方が近いかな。触ったときって感触あるの? 生え変わりとかどうなるの? もしかして、脱皮したりする?」


 ぷにぷに首筋に触れてくる、綺麗な人。


 それこそルグ自身もどことなく忌避きひしていた身体的特徴なのに。気恥ずかしくなって、口を閉ざしてしまう少年。


「あれ、触られるの嫌だった? 珍しいから、ついつい触っちゃったよ。ごめんね」


 ふにゃりと力なく笑う。柔らかく可憐ではかない、溶けて消えるような甘やかさ。


 ルグは赤面し、ますます口を堅くしてしまう。デヒテラがくすくすと笑う。


「ルグちゃん、綺麗な人に弱いんです」


 デヒテラの発言に、クリスが金の睫毛まつげが縁どる宝石じみた瞳をぱちぱちさせる。そして、うーんと困ったように頬を掻く。


「んーとね。僕、男だよ?」

 

 デヒテラの目が点になった。ルグがぎょっと目をいた。


 ふたりがまじまじとクリスの顔を検める。長い睫毛まつげに縁どられたつぶらな瞳。


 小作りな品よく整った鼻。血の気の失せた、けれど柔らかそうな小さな唇。綺麗に整った頬の輪郭。


 どこからどう見ても、清楚可憐な少女としか判別できない。だというのに、当の本人は男だという。この大いなる難題。女の子と男の子の頭は揃って混乱を来した。


 子どもふたりの反応に、まあ、よくあることだけどね、とクリスは小さくため息。


 ルグの顔が羞恥しゅうちに染まる。ぷるぷる震えたかと思うと、頭まで狼の下に潜り込んでしまった。逃亡。否、戦略的撤退。


「あらら、そんな恥ずかしがらなくてもいいから。そこから出ておいで」


 返る言葉はない。ただ、うゔー、と閾値いきちを越えた感情の唸りが聞こえてくるばかり。


 ふと、バーゲストの視線を感じたクリス。狼の視線は、完全に馬鹿を見るそれだった。


 さすがのクリスも、ちょっとばかり、むっとする。


 そうこうしているうちに、デヒテラもまた狼の下に完全に潜り込んでしまう。


 何をしているのかと言えば、何事かルグにささやいている。声は小さく、話している内容は聞き取れない。


 けれど、とても幼い少女とは思えない、大人びた優しい響き。思わずクリスも、によによと微笑んでしまう。


 ややあって、ルグへと言い聞かせていたデヒテラが、ひょこっと再び顔を出す。


「申し訳ありません。クリス様。ルグちゃんには私からきちんと言い聞かせておきますので、どうか今回はお許しくださいませんでしょうか」


 真摯しんしに丁寧に許しを請う女の子。よく出来た子だなあ、と思わず頭を撫でてしまう。さらり、さらり。


「クリス様だなんて、単なる食客にそんな大げさな呼び方はしなくていいよ。クリスさんとか、いっそ呼び捨てでもぜんぜんいいからね」


 くすぐったそうにしながら、でも嬉しそうに頬を緩めるデヒテラ。手のひらの優しさに勇気づけられたのか、おずおずとクリスさん、と呼ぶ。


「はい、何かな?」


「あの、……私たちは、どうなるんでしょうか?」


 漠然とした、それゆえに、多義的で重要な問い。


「気になるよね、当然。けどその辺りを決めるのは、ジョン――君たちも見たことあると思うけど、顔にたくさん傷跡のある人なんだよねぇ」


「あ、あの方はどういう人なんでしょう?」


 まだ幼いルグに容赦のない暴力を振るった、怖い人。そして悪い人。


 被害者のルグもまた不意打ちでジョンを殺そうとした手前、酌量しゃくりょうの余地がないこともない。


 しかし、デヒテラにとっては、到底許容しえない存在だった。


「悪い人だよ」


 クリスが端的にデヒテラの評価を肯定する。


「ただ、わりと無駄を嫌う性質たちだから、君たちをただ痛めつけて喜ぶ、とかそういうことは考えてないと思うよ。君たちも何かに使えると判断したから連れてきたんだと思う」


 、なんて軽い。


「その、何かっていうのは、どういう?」


「う~ん」


 クリスはしばらく、うんうん、唸って考えたが。


「わかんない」


 きっぱりと言い切る。綺麗な笑顔だった。


「ただ、ジョンは先に別の部隊と合流しに行ったから、三日か四日はこのまま放置されるんじゃないかな。だから、その間はそう気負わずに、てきとーに過ごしていればいいんじゃない? ちゃんと君たちの分のご飯も用意されるよ」


 なんというか、ひどく気の抜けた話だ。こうして、狼の下でぬくもっているのも。 このクリスなる美しい少年の、わりといい加減な物言いも。


 なのに、不安だけは相変わらず、デヒテラの胸中に巣くって離れない。


 あのジョンなる傷跡だらけの不吉。


 村を襲った盗賊たちは、怖かった。とてもとても恐ろしかった。いまなおその恐怖はデヒテラの中で痛みと熱を持ち、血を流す傷として残る。


 しかし、あのジョンなる青年は、暴力的で恐ろしい上に、ひたすら不気味だった。彼が考える自分たちの使い道。それが如何いかなる意味を持つのか、デヒテラの懊悩おうのうは消えない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る