第008話 裁く獣、裁かれる獣(8)

 さてさて、次はダレから頂きましょうか?


 ふふーん、ふふふーんと鼻歌混じりに餌へとにじり寄った怪奇の人喰い。


 ところが、――どかん、と。唐突に、冗談のような破壊音。


 天から砕けた石材が降り注ぐ。


 天井の一部が崩落し、月明かりが舞い散る粉塵を鮮明に照らす。


「ああ、やはり、……ここでしたか……ああ、……ああ、なんと痛ましい……潰され、裂かれ、焼かれ、……とりわけ、ああ、なんとおぞましい……そんな醜い怪物に食べられてしまうなんて……」


 さほど大きくはない穴。そこから、ぎょろりと、大きな、とても大きな、人ではあり得ない大きさの瞳が覗き込んでいた。


『ちょっとー、いきなり何してくれちゃってんのー。せっかくの肉が埃塗ほこりまみれになるじゃねーか。―――てーか、だぁれぇがぁ、醜い怪物だってぇ? 


「ええ、ええ、……自覚があるようで、何よりです……お腹が空くのは、ごく自然なことではないですか……多少、人よりは食べる、とはいえ、……


《巨人》と《人喰い》。


 二つの怪物が睨み合う。気安い様子もありがなら、同時にその間に漂う剣呑。


 いま一つの怪物たる黒狼。呆れたのか、単に面倒がったのか、二体に干渉することなく佇むばかり。


 その間、犠牲者になることが確定した盗賊はどうしていたか。


 もちろん、彼らは命を繋ぐため必死に努力していた。


 凍結した足を松明で溶かし、逃亡を図ろうとした者。ここではないどこかに助けを求める者。三匹の怪物に命乞いをする者。あるいは、これまでの成功体験にすがって、怪物を威圧し続ける者。などなど。


 その様子、死を強く意識した者として、ありきたりかも知れないが、バリエーションに富んでいた。


 しかし、彼らに対する三体の反応は、ほぼ無関心。


 地をう虫が、薄汚いねずみが、晩餐ばんさんに供される鶏が、何かを喚き、生を求めてもがこうとも関心を払う者がいるだろうか?


『うるさい』


 一際大きかった金切り声が途絶えた。近くでわめき散らされる、そんなちょっとした苛立ちで、頭を丸ごとかじり取られる男。


 どうやら、軽い不快感をもたらす程度の関心を引くことは出来た模様。


「ああ、……なんと、……なんと、いとわしい光景でしょうか。……そんな怪物に食べられるくらいなら……そんな最後を迎えるくらいなら、いっそ……ああ、いっそ、この私が潰して差し上げましょう」


 言葉の終わりと、地を揺るがす衝撃は同時。

 

 崩れた天井から野太い丸太が差し込まれていた。さながら、小枝で蟻を突つく気安さで、に潰れた人間。


『おいコラァ! なにいきなり全身潰してくれちゃってんのォ!?  糞とか小便とかも飛び散ってるだろぉーがよぉ!!』


 辺りに飛び散ったが強烈な臭気を放つ。


 血や臓物の匂いは気にしない人喰いだったが、これには流石に抗議した。


 一方、獣らしい勘の良さか、直前にちゃっかり距離を取って退避していた黒狼。しかし、それでもやはり彼の鋭敏な嗅覚には、わりと不快なのだろう。幾分げんなりした様子で耳を垂らしている。


「慈悲ですよ、慈悲なのです……さすがにこれでは、……食べる気にならないのでは? ……ええ、ええ、後はこのわたくしにお任せを、……すべて、すべて、ぺしゃんこに潰して差し上げます」


『これは、アタシの食いモンだぞ。後で、川で洗って食うから、テメーはもう余計なことすんなよ。でねーと、ぶち殺すぞデカブツ』


「ああ、ああ、……まったく、どういたしましょう……そんな羽虫のように喚かれると……潰してしまいたくなります……」


 《巨人》と《人喰い》の間にあった殺意の濃度が上昇する。


 怪物同士の仲間割れを歓迎する声はない。だって、大半の人間は、理性を喪失しているし、――そもそもこの二つの凶悪な生命が争って暴れ出したら、近くにいる者たちは一体どうなってしまうというのか。


 ――ふん、と鼻を鳴らす音。


 それは、けして大きなものではなかったけれど、《巨人》と《人喰い》は、耳聡く察知した。


 黒狼がその雄壮かつ優美な面相に侮蔑を浮かべていた。人と獣。顔貌がんぼうは異なるも、《巨人》と《人喰い》には、それがはっきりと理解できた。


『アアン?  おいコラ、犬、ムカつく面しやがって、なんか言いたいことあんなら、はっきり喋ってみせろや、ああ?』


「いつも思うのですが、……この御仁、本当に……話せないのでしょうかねぇ……火を吹くくらいですから、それくらいできても……言葉は完全に理解しているご様子ですし……」


 《人喰い》の凄みも、《巨人》の疑問も、さも面倒げに黙殺。鼻面で《人喰い》の背後にある空間を示して見せる。


「ああ、これは、――派手にやってるな」


 状況にそぐわない、いかにも気の抜けた笑いを含んだ男の声。


 ぺしゃんこに潰れた死体モノ、黒焦げになった死体モノ、頭を喪ったまま佇立する死体モノ。そういうものが見えているはずなのに。


 《巨人》、《黒狼》、《人喰い》。三体の視線の先にあったのは、顔を傷跡で埋め尽くした隻眼せきがんの青年ジョン。


 取り立てて飾るものもない黒の外套がいとうで全身を覆って立つ姿は、どこか薄っぺらい影法師かげほうしにも似ていた。

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