第07話 裁く獣、裁かれる獣(7)

 花とたわれる妖精にも似た可憐かれん。にこりと微笑む。


「ちょっと気ぃ変わった。そんなに張り切るつもりなかったんだけど、今日は、汚い男は趣味じゃないけど、この際、贅沢ぜいたくは言わない方向で。まー、旦那もいっつも質素倹約しっそけんやくがどうのこうのってうるさいいしな」


 かぱり、と気の抜けた音が響いた。


 見目麗みめうるわしい娘、その麗しさを留めたまま、口を大きく開ける。


 人体の限界など超えて、大きく、大きく、――あごの関節が外れたように、だらん、とだらしなく。


 口の端は、なぜか唇の範囲を超えて、耳元まで至っている。さらには、ごき、ごき、ぐぎり、と骨がきしむと共に、ほっそりしたあごが皮膚を破って、突出し、拡大し、伸長していく。


 血は流れない。昆虫か、爬虫類だかの脱皮のように。まるで初めから、そういう造りの生き物であったかのように、真っ白な骨だけで構築されていく巨大なあぎと


 形状だけでたとえるなら、わにが近いだろうか?


 だが変化した少女のカタチには、およそ生命としての統一感、ある種の機能美といったひとつの方向性が存在しない。狂った理性の元に造られた、まるでデタラメな奇形。


 口腔には、人間でも野を駆ける肉食獣でも有り得ない、鋭い剣先のような歯が二列に渡ってびっしりと生えていた。


『はーい、準備かんりょー』


 いくらかくぐもっていた。しかし、声は普通に出るものらしい。あるいは、奇形化した大顎おおあごと発声に使う器官は、別になっているのかも知れない。


『王よ、今日のかてに感謝しまーす』


 気の抜けた、食事への祈り。


 ここに、きょうされる食物など無いのに。あるはずが、ないのに。そう盗賊たちは王に祈った。


 するり。手近な男に歩み寄る怪奇の娘。男は、いやいやをするように身を捩り「く、来るな!!来るなぁーー!!」手に持つ剣を娘に向けた。


 ぴしり、と。強引に動きを拘束された肉。凍えてきしむ。「なんでっ、なんでっ動かない!!動かないぃぃーーぃぃぃ!!」先の剣を突き出したままの姿勢で固まる男。


 唯一、自由になる首から上、激しく振り回す。ぶんぶん、ぶんぶん。一生懸命に。「来るなっ、来ないでっ、来ないでくれーー!!」哀願の絶叫もむなしく、娘は、そっと彼の手を取った。


 来ちゃった。言の葉はつむがず、されど理解できる大口の動き。


 そして、――がちり、とあぎとが噛み合わされる。


 その間にあったはずの前腕部など無いものであるかの如く。


 結果、男の肘の辺りに綺麗な肉と骨の断面が生まれていた。やはり凍結しており、出血はない。おそらくは痛みも。


 そして、消失した男の腕。消えた先は言うまでもなく。しゃりじゃり、ぐっちゃぐっちゃと咀嚼そしゃくを始めた娘の口の中。


 ――盗賊たちの生命を振り絞る、咆哮ほうこうじみた、叫喚きょうかん


 先に、足がぽっきりと折れてしまった男のことなど既に頭にはない。全力で身を捩り、凍りついた足を動かして、人喰いの怪物から逃ようとする。


 が、もちろん彼らの試みは成功しない。


 たまさか、げたのが、左足の指と、右足の甲の半ばまでで済んだ者がひょこひょこと頼りない足取りで走り出そうとして、――目も眩む炎に包まれる。


 成したのは、人喰い娘に意識が集中したために、盗賊たちの背後で一時存在を忘れられていた黒狼。


 ちろちろと、蛇の舌じみた残り火を口元から漂わせながら、人喰い娘に向かって、面倒げに鼻を鳴らして見せる。


 “遊んでないで、さっさとやれ”


 なんとはなしに、そう言われた気がして、娘は目元だけでむすっとした表情をして見せた。視線で言い返す。


 “はいはい、わかりましたよー”


 人喰いの怪物が犠牲者の両肩をしっかりと掴む。


 顎が当たり前の人の限界など大きく超えて、大の男の頭を


 ギザギザと尖った白い歯列、先に咀嚼そしゃくされた『腕』の残りかす、朱に染まった舌と口腔こうこうの内壁――視界を埋め尽くすそれらが、男が現世で最後に見た光景。


 歯が、皮膚、肉、頚椎けいついに至るまでを、あっさりと貫き、首を切断する。硬い頭蓋ずがいもなんのその。


 柔らかい果実を咀嚼そしゃくする程度の気安さ。からは砕かれ、内容物があっという間に原型を失い、流動物のそれに変わっていく。


 ぐしゃ、ごき、もちゃ、ぐちゃ。かたい、柔らかい、水気がある、ない、弾力がある、ない、などなど、口を盛大に動かして、実に様々な食感を堪能たんのうしていた。


 ただし、口の端からこぼすなどという品のないことはしない。悪食あくじきではあるものの、しつけはきちんとなされている怪物だった。


 切断された首から噴出する血液が、娘を頭から盛大に濡らし、その奇貌きぼうを恐ろしげに飾り立てる。


『げぇっぷ、――ああ、まっず。やっぱ、不味いなぁ。不味いけど、定期的に食べたくなるんだよねー。仕方ないよねー、アタシってば、そういうものだし。ふう。さてさて、黒焦げのはいらないんだけど、ひいふうみいのいっぱいいるし、少しくらい残しても怒られないよね』


 男の頭ごと、空気も思いきり飲み込んでしまったのか、少々品のないげっぷをひとつ。


 真っ赤に染まった怪物が、そこは愛らしいままの緑瞳で、きょろきょろと獲物にんげんを見定める。


 よりどりみどり、というには、あまり美味しそうではない品揃えラインナップだが、――まあこれはこれで楽しみようはある、と前向きに考える娘。


 さてさて、次はダレから頂きましょうか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る