第06話 裁く獣、裁かれる獣(6)


 盗賊たちが、童子のような抑制を失った叫びを上げた。


 黒狼かいぶつに背を向けて、――遁走とんそうしようとする。


 戻ったとて、あるいは、城内のどこかに隠れたとて、城ごと容易く破壊するであろう巨人かいぶつがいることなど分かりきっているはずなのに。


 あるいは、かの巨人に一思いに潰してもらった方が、狼の牙にかかるより、さらには、その炎に焼き尽くされるよりは幸せな結末である、と。


 狂いながらも、脳髄のうずいの片隅にある理性の残滓ざんしが判断したのかもしれない。


 その思いが奈辺なへんにあったにせよ、彼らの願いは叶わない。いや、彼らの願い、欲望は既に叶えられている。ゆえに、この先にあるのは、願いの果てにある当然の結末だ。


 ――足が、動かなかった。


 まるで、石畳に足が貼り付けられたように、まったく動かなかった。


 疑問とそれを遥かに上回る黒狼への恐怖に、ある者は、滅茶苦茶に手を振り回し、ある者は、強引に足を動かそうとして、――ばきんっ、――と何かが割れるような音がした。


 唐突に、盗賊の一人が地に倒れ伏す。無理やりに足を動かそうとしていた者だ。


「あーあ、そんな無理に動かそうとするから」


 場違いなほど、明るく華やいだ娘の声。


 一体いつの間にそこにいたのか、まるで、娼婦しょうふのような際どい衣装をまとった娘がひとり立っている。おそらく年の頃は十代の後半といったところか。


 夜も更けた城内の仄暗さの中にあっても、さらりとした光沢を放つ肩口で切りそろえた金の髪。初夏の森を思わせる翠緑すいりょくの大振りな瞳。そして薄桃色に潤った唇。


 どこか幼さを残しながらも、それらが程良く調和するように精緻せいちに計算されたうえで配置された、愛らしい容貌。


 すらりとした肢体も出るべきところは出て、引っ込むところは引っ込むという具合で。


 こういう状況でなければ、盗賊たちはよだれを垂らして歓迎したことだろう。


「旦那からの命令でね。お前らはひとりも逃しちゃいけないんだとさ。ほら、アタシも雇われの身だから。こう、なんていうのか、結構ひどいことしてると思うけど、我慢してくれる? 大人しく捕まってくれるなら、保証はしないけど、そこまでひどい死に方しないんじゃない?」


 やる気やら真剣味、といったものが致命的に欠落した気安さ。


 城壁を破壊する巨人、炎を吐く黒狼に続いて現れた、ようやく盗賊たちにとって


 原理は不明。


 けれど、どうもその唇から漏れる言葉から察するに、盗賊たちの足を動かなくしているのは、この見目麗みめうるわしい娘であるらしい。


 そうと分かれば、話は早い。彼らは、この数年に渡って鍛えられた交渉術にいささか自信があった。


「てっ、てめえっ、この、女ぁっ、早くこの足を何とかしやがれっ!! 犯すぞごらぁ!!」「舐めてんのか、おお!! ぶん殴るぞ!! こっち来いや!! その面、二目と見れないようにしてやんぞ!!」「斬り殺されたくなかったら、さっさとこの足、元に戻せや!!」


 犯す、殴る、斬る、口々に叫ばれる威圧的な言葉たち。すなわち恫喝どうかつという名の彼らの得意なコミュニケーション。


 本来はここに暴力の行使が伴うわけだが、さっきからまったく動かない足がそれを阻んでいた。ために、なかなか効果的な説得になっているとは言い難いのが玉にきず


「おい、小娘っ! この五十人からの兵隊を率いてる俺に楯突いてタダで済むと思うなよ、てめえもてめえの縁者も腑引き摺り出して、ぶち殺してやるからな!!」


 とはいえ、吠えるように大声を出し、脅し文句を吐いていると、自然、彼らも調子が上がってくるご様子。


 最後に吠えた盗賊の頭目など、足を動けるよう元に戻してもらうという交渉おねがいの当初目的、ついつい忘れていたくらいだ。


 今も、彼らの背後に黒狼がいるという事実を完全に忘却して、この夜の悪夢に現れた、彼らにとって唯一の獲物にんげんに示威行為を繰り返す。


 あるいは、それこそが恐怖によって、彼らの精神が破綻はたんしかけている証左しょうさなのかもしれなかったが。


「おいっ、てめえも! いつまで転がってやがるっ!! このアマにてめえもなんか言ってやれや!! おいっ!!」


 先に足を強引に動かそうとして転倒した者が、伏したまま、呆然ぼうぜんと沈黙を保っていることに気づいた頭目。お前も協力しろよ、と目を血走らせて叱咤激励しったげきれいする。


 ここが正念場なのだ。ここで、この娘の心を折れば、あの巨人からも、黒狼からもきっと逃げられるのだ。そんな祈りにも似た希望が頭目の心を支配していて。


 だから、それに気付くのが遅れていた。


「お、お頭、……お、おれ、俺の、俺のあ、足、あし、足」


 仲間たちが恫喝どうかつに忙しい中、倒れた男が、寒さにこごえたようにあごをかちかちと鳴らし、不明瞭ふめいりょうに足、足、足、と繰り返す。


 それは、一時の狂熱に支配された彼らの中、染み入るように響いて。そちらに目をやった。やってしまった。


 足がすねの半ばから、切れていた。分断されていた。いや、もっと正しく表現するならば。切断面は、ぎざぎざとささくれ立ち、肉の赤と骨の白が隠すものもなくのぞいている。


 それでいて、血は一滴足りとも流れていない。


 まるで、時間が止まったかのよう。しかし、よくよく観察してみればもっと単純な事実に気付く。すなわち、その切断面にまるで冬に訪れるしものように、細やかな氷が付着していたことに。


「別に痛くないだろ?  やってるアタシも実はよくわかってないんだけどな。ってぇ話だから。まあ、長い間ほっといたらどうなるかはわかんないけど? ――それにしても、ねえ、さっきからさ、お前らさあ、殴るだの、斬るだの、刺すだの、殺すだの、こんな可愛い女の子に向かって随分ずいぶん、おっかいないこと言うよな」


 鈴を転がすような澄み切った声が、明るい調子で言葉を紡いでいく。


 彼らは、決定的な間違いにようやく気付いた。


 城壁を打ち壊す巨人、炎を吐く黒狼、そんな怪異が現れた夜、さらに遭遇する存在など、姿


 そんな単純な間違いに。

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