第009話 裁く獣、裁かれる獣(9)

 薄い影絵の口元が弧を描く。ジョンという名を持った傷跡ばかりが目立つ小柄な青年。


「皆殺しは良くない。頭目だけは生け捕りにする必要がある。さっきそう言ったろ? エブニシエンもアニスも、そこのところ忘れてない? お前たちがじゃれあったら、そこのお兄さんたち全員、あっという間に挽肉ひきにくだぞ?」


 どうにも真剣味が足りない青年の指摘。


 しかしながら、《巨人》エブニシエンがびくりと、とても大きくちいさく身じろぎした。《人喰い》アニスも気まずげに目を逸らす。


「それは、このゲテモノ好きの方が――」


『それは、デカブツが――』


 罪のなすりつけ合いを始めようとしたエブニシエンとアニス。


 《黒狼》バーゲストが処置無し、と頭を左右に振る。


 意外と細かいことを気にする質なのだろうか。露骨に馬鹿扱いされたと思った《巨人》と《人喰い》。


 エブニシエンは、、と唸るだけで済ませた。しかし、アニスは、こめかみを引くつかせ『ケンカ売ってんのか、クソ犬?』と大顎を戦慄わななかせる。


「まあまあ、そう怒らなくても良いだろ、アニス。バーゲストがそういう態度なのは、今に始まったことじゃないし、――ほら、結果的にそいつの指摘で、盗賊さんたちが誰が誰かもわからない有様になることも避けられたわけだし。依頼主から報酬を頂くために、頭目殿は丁重にお連れしないといけないからな。気に入らないことは色々とあるだろうけれど仕事は仕事。きちんとやらないと、報酬が貰えない。そうすると、食べる物にも困るし、着る物にも困る。お前たちだってそれは分かるだろう?」


 周囲の状況、そして言葉の内容にさえ目を瞑れば、その口調はどこか子供を諭すようで。


 いまここに正常な感性を持った者がいれば、この青年のひどい違和感に、明らかな異常性に眩暈めまいを覚えたかもしれない。


 けれど、いまここに彼の致命的な間違いを指摘する者はいない。


 巨人も人喰いもそんな気持ちの悪さは感じていないようで、大人しく彼の言葉に耳を傾けている。


 付け加えると、食べる物、着る物という点が特に効いたのか、エブニシエンとアニスは何とはなしに不服そうながらも。


「ええ、ええ、……潰すのは、後でもできますし」


『けっ、あー、ムカつくわ、気に食わねぇ』


 この場ではほこを収める気になった模様。


 黒狼はといえば、小さくため息ひとつ吐くばかり。知性を宿す瞳には若干の疲労が見てとれた。


「いや、わかってくれたようで嬉しいよ―――さてさて、それじゃあ、本来の用件を、と」


 ジョンは、肩を竦めると盗賊たちに目を向けた。へらへらとした愛想笑いを浮かべる。


「待たせて悪いね、そこのお兄さん方。こんばんわ。こんな夜更けに、ちょっと騒がしくしてしまったようで申し訳ない。用件はなるべく手早く済ませる予定だから、少しの間、我慢してもらえるかな? さーて、それじゃあ、挨拶と前置きはこのくらいにしてサクサク行こうか。まず、頭目殿は誰かなー?」


「俺だ!!」「お、俺だ!!」「テメェら!! 嘘ついてんじゃねえ!! 俺だ!! 俺が頭だ!!」「ふざけんなよ!! 生き残りたいからって勝手ほざいてんじぇねえ!! 俺だ、俺が頭なんだ!!」「いや、俺だ!!」


 などなど、餌をねだる雛のように、生を求めて一斉に喚き出す盗賊たち。


 どうも先の会話から、頭目だけは命をつなぐことができると判断したらしい。


 仲間意識など何処へやら、ひたすら自分が頭目であると主張し続ける者はまだ良いとして、手の届く範囲にいる仲間を殴ったり、つかみかかったりで、黙らせようとする者までいる始末。


 大の男が多数集まり、抑制を欠いて騒いでいるのだ、そのうるささといえば、尋常ではなかった。


 傷跡だらけの青年が愛想笑いを貼り付けたまま、アニスに視線をひとつやる。


 全身を朱に染め、鉄錆てつさびしずくしたたらせた怪物。むぅ、と唸りながら、――それでも男の意を正確に読み取り、その命を執行した。


 強弓のげんを鳴らすような、鋭利で静謐せいひつな震えが走る。


 すると、盗賊たちの喚きが一斉に止んだ。如何なる業によったものか、彼らの口も、その声を発するための喉も、意に反して動きを止められていた。


 さきの喧騒から、一転。凍結による懲罰ちょうばつが、夜の静けさを取り戻す。


 盗賊たちに出来ることは、せいぜいが身じろぎする程度。


 硬直した喉は、足のように凍った様子はない。冷たくもない。ただ、動かないだけだ。


 なのに、どうしてだろう。何か形容できない、心、精神、あるいは魂、そういったものが冷たく凍えている。そんな認識が彼らの内にあるわずかな望みすらも黒く塗り潰していく。


「聞いた俺が悪かった。やっぱ、楽しようとするとロクなことがないなー。んー。ええっとぉ。ああ、頭目殿はアンタだな?」


 ジョンが声をかけたのは。盗賊たちの中で、一際体格が良く、略奪したと思しき品々――きらびやかな宝石をあしらった首飾り、精緻せいちな紋様が刻まれた金の腕輪、柄頭の細工も典雅な細剣などなど――、まったく似合いもしないそれらで身を飾った男。


「―――」


 声はない。


 しかし、がくがくと、勢い良く上下に振られる頭が必死の肯定を示していた。


 同時に、周囲の者たちは一斉に頭を左右に振り振り否定の意を示す。


 ジョンの笑みが少し、深くなった。


「うん、良し良し。――ははは、良くない御仁ごじんも多いようだけど、まあ、気にしたところで仕方ない。正直、間違っていたところで大した問題はないし。アンタが頭目ってことでよろしく。それでだ、頭目殿たちは、ここらでさらったご婦人方を何処どこに置いてるんだ?」


「―――」


 頭目の目が泳ぎ、上半身と首が右方向から背後を向こうとし、顎先でその先を示そうとする。


「ああ、ありがとう。その先か。牢にでもなっているのか? ああそう、ありがとう――さて、じゃあもう良いな。アニス、その頭目殿以外は喰って良いぞ。腹一杯になったなら、別に喰わなくても良いけど全員確実に殺しておけ。あ、あと、喰うにしろ、殺すにしろ、最低限、顔は残しておいてくれ。


『へー、へー、わーかーりーまーしーたー。とりあえず、洗ってから食べるとするかぁ。あー、運ぶのメンドい。おい、デカブツ。外にいる男連中、呼んでくれよ。川まで運んでもらうから』


「……デカブツ、デカブツ、と失礼な……ご自分で……呼びに行けば良いではないですか……」


『さっき、ひとりぶっ潰して、糞尿まで撒き散らしたの、どこのどいつだよ? 旦那も、こいつらは、アタシの飯って言ってたろ――テメーだって、後で、牛やら豚やら菓子やら喰いまくるんだろうが。それが、アタシにとっては、こいつらだってこと。まだ、グダグダいうんなら、アンタのご馳走にも、コイツらの中身ぶちまけてやるけど?』


忌々いまいましい……ええ、ええ、忌々いまいましい……旦那様の禁なくば、……いますぐにでも踏み潰して差し上げるのに……」


 じっとりと恨みがましい視線でアニスを睨めつけた後、エブニシエンは、覗き込んでいた天井の穴から顔を離す。


「殿方たち、盗賊は皆捕らえました!!  外に運び出しますので、どうぞ城内にお越しになってください!!」


 ひっそりと眠る夜をつんざく大音声。


 事前に予想して、耳をふさいだジョン、アニス、耳をぺたりと伏せたバーゲスト。それでも身体を内臓まで揺さぶる声の衝撃、筆舌に尽くし難い。


 もちろん、それをまともに聴いてしまった盗賊たちは溜まったものではない。


 戦場のときの声をも超える音の衝撃。事前の覚悟がない者に甚大じんだいな被害を与えていた。


 鼓膜が破れるようなことはなかったと見えるが、皆一様に悶絶もんぜつし、泡を吹いて気絶している者すらいた。


『相変わらず、うるせー。てか、アイツ、やろうと思えば、普通に喋れるくせに、なんでいつもあんなトロくさい喋り方すんだろ?』


 いかにもうんざりした風情のアニス。


『――ん、旦那、何処行くの?』


 身動きを封じられた盗賊たちの間を縫って、通路を奥に進んでいくジョン。


 アニスが訝しげに尋ねる。ジョンの手には、今しがたひとりの盗賊の腰元からくすねた鍵束がじゃらじゃらと音を立てている。


「もちろん


 いかにも面白い冗談を言ってやったという感じで笑うジョン。


 いかにも面白くない冗談を聞いたという感じで目を細めたアニス。


『クリスにでも行かせたら? 今回あいつ何もしてないじゃん』


「んー、かもしれないけど。ほら、あいつ力ないからさ。姫を運び出すのに苦労しそうだし。他の奴らに頼むのもな。見た目がそこの賊のお兄さんたちとそう変わらないから可哀そうかなって。なので、仕方なぁーく、俺が直接出向いているわけで。おい、そんな目で見るなよ。別に役得だなんて思ってないから。本当だよ?」

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