第018話 弱者の生き方/無価値な抵抗(2)

「――を呼んできなさい」


 震える声ながらも、はっきりと村長が村人に告げた。


 おや、と。予想と少しばかり違う村長の反応。


 そしてという名にジョンは、片眉を上げる。


 ゆえに、慌ててその場を立ち去る村人が戻ってくるまで、ジョンはしばし待つことを選択した。


 そして、――中年の女が、ひとりの女の子を連れてやってくる。


 おそらくは、十かそこらの年齢のとても愛らしい少女。


 肩口で切り揃えられた砂金めいてきらめく髪。晴れ渡った蒼穹そうきゅうを内包した瞳。


 ふっくらと柔らかそうで、なめらかな頰――いまは、やや血の気が引いていることもあるのだろうが――染みひとつ無い白磁はくじのそれ。


 わずかに震えながらも、潤いをたたえた小さな唇、はにかむように引き結ばれて。微かに透けた血の朱が映えていた。


 あと、四、五年もすれば、多くの男を狂わせる、美という可能性を内包した存在。


 けれど、いまはまだ庇護ひごを必要とする童子に過ぎない。


 暗い牢、ひとりの名も知らぬぎせいしゃが末期に紡いだ祈りなまえを思い出す。


 “


 村長はその少女を、ジョンの前に差し出し、震える声で、しかしはっきりと言った。


「この村で、いま差し出せる一番のがこちらです」


 ジョンは、村長と、いまだ彼の両手が肩に置かれた少女モノを交互に見る。


「――なるほど」


 なるほど、と、もう一度呟くジョン。


 ――思わず、大笑いしそうになったのを寸でのところで留める。


 あのははおやはこの未来を見ていたのか、と。


 素晴らしい! なんて素晴らしい! なんという慧眼けいがんか!


 救い主が清廉せいれんな騎士などではなく、悪辣あくらつな傭兵と見抜き、次に訪れる確度の高い結末を予期したのだ!


 まさかまさか、同じ村に住まう者たちがここまで卑しい挙に出ると、あの状況下で確信していたなんて!


 内心で盛大に喝采する。まさしく、と判じた死者が示したこの奇跡。

 

 ジョンは己が目の不確かさを反省する。所詮しょせん、我も只の人の身。あらゆるあやまちを犯し続ける凡愚ぼんぐに過ぎない。


 そんな己が弱者だからと、他者を侮るとは、なんと度し難く、愚かしい。幾度も自戒してきたはずなのに、こういう奇跡に行き会うたびに己が目を開かれる思いが拭えない。


 ああ、自分は何と不出来な存在なのだろう、などと。


 憂鬱ゆううつとも満足とも取れない息を吐いて、――瞬転、さて、と。


 今度は少女をじろじろと無遠慮ぶえんりょに観察する。さしたる背丈もないその体躯を上から下まで。


 それはけしてヒトを見る目ではなく、家畜の品質を見定める商人の目である。


 たったひとり差し出された少女にどれほどの財産的価値があるのか。それが此度こたびの盗賊退治に見合うものなのか。そういう卑しい品定めをしていた。


 対する少女は、細かく震える体を押し込めて、流れそうになる涙をこらえて、漏れでそうになる悲鳴を噛み殺して、――小さな笑顔を浮かべた。


 恨み、辛み、憎しみ、そういう悪性のにごりを内包しない、んだ笑みだった。それはどこか散る間際の花弁にも似て。


「デヒテラと、いいます」


「―――」


 儚い笑顔、丁寧な口調、十かそこらの年端もいかない幼子の、まるで殉教者じみた態度。それは、激烈なまでにジョンのかんに触った。


 呵々大笑かかたいしょうから、冷静な計算を経て、一気に癇癪かんしゃくを爆発させる。


 もっともそれは、あくまで彼の頭の内だけの話。けして表出はしなかった。そうでなければ、ジョンの短時間での極端な変遷へんせんを見た者は彼の正気を疑ったことだろう。


 ジョンは、破裂寸前の頭蓋の内圧を無理矢理に抑えつける。


 気を取り直すため、ふむ、と意味のない頷きをひとつ。そうして口を開こうとした、そのときだった。


「姉ちゃん!!」

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