第017話 弱者の生き方/無価値な抵抗(1)

 激情の発散を終え、やや虚脱きょだつした雰囲気が漂う中で、ジョンが柔らかく村長に声をかける。


随分ずいぶんと盛り上がってましたね。罪人の処刑なんかはあまりやってこなかったんですか?」


「――はい。見てのとおり貧しい土地でございますので」


 いまだ笑いと涙の名残なごりが残る顔で村長が応える。


 寒村ゆえの切なさ。労働力は貴重。


 共同体として村を運営して行くには、多少の罪には目をつむるしかない。


 無論、完全に秩序ちつじょ崩壊ほうかいさせる者が現れれば、その限りではないのだろうが。幸いにして、この村ではそのような事態が起こることはなかった。


「それは平和で結構なことだと思いますが。大きな都では、罪人の処刑を見世物として、定期的にやってるところなんかもありますよ。嫌でしょう? そんな殺伐さつばつとした生活なんて」


「なんと、それはとても良いことでしょう。幸せなことでしょう。罪がさばかれる様を、正義が示される様を目撃する。これほど素晴らしいことなど、そうはありますまい。私は、いまこのときそれを実感いたしました」


 せこけたほおを紅潮させ、瞳をぎらぎらと血走らせ、口の端から泡混じりの唾液を滴らせ、―――明らかに精神の均衡きんこうを崩した体で、まくし立てる。


 大いにしいたげられた弱者の報復は、ときにひどく残虐ざんぎゃくな様相を見せる。


 過去の経験からそれをよく知るジョンは、村長の狂態きょうたいをさして気にした風もなく、「あ、そうですか」と適当にうなずく。


「罪を裁く、正義を示す」


 なるほど、そのような考え方があることはジョンにも理解できる。


 だが、その言葉をそのまま信じるには、村長のかおは、いささかに貪婪どんらんで、淫蕩いんとうだった。村人たちも多くが同じ。


 まるで、罪を裁くことではなく、とでも言う風情。


 そういう者たちが辿り着く先にある、滅びの風景に思いをせる。


 ただただ、裁くべき、あるいは、咎人を探し出しては、祝祭としての処刑を遂行していく。そんな救いようのない結末を。


 ――が、この寒村の行く末などジョンにはどうでも良かった。


 この見世物としての処刑は村人が望んだこと。もちろんディアドラが処刑人としての職務遂行を望んだから、ということも非常に大きなウェイトを占めるが、あくまで依頼人の要望が出発点。


 結果として、妙な嗜好しこうに目覚めたとして、ジョンの知ったことではない。


 ゆえに、収穫もなく、財産も奪われ、働き手の多くを失い、傷つけられて、さらには病的な嗜好しこうまで植え付けられた者たちの住まう寒村に対する用事など、後は、ひとつきりしかなかった。


「それはそうと、村長殿、我々は依頼を遂行しました。――なので、ここいらで約束の報酬をいただきたいんですが――」


 傷つき疲れた人々と、焼けた麦畑と、焼け落ちた家屋の数々と、そういったものをぐるりと、見渡してジョンは、告げた。


 びくり、と村長が身を硬ばらせる。


 先の陶然とうぜんとした表情から瞬転、引きつった、こびいる、弱者の面相が現れる。


「え、……ええ、も、もちろん、もちろんですとも……お支払いいたします。いたしますとも…………ただ、……ええ、ただ、ええ、私どもとしましても、……その、なんと言いますか……、言えば、良いのか……」


 要領を得ない言葉を吐きながら、眼球を忙しなく縦横にさまよわせて。


 傷つき疲れた人々と、焼けた麦畑、焼け落ちた家屋の数々と、そういったものを視線で指さす村長。


「言えば良いのか?」


 村長が言外に示す意味を充分に理解していながら、ジョンは貼り付けた笑顔で先をうながす。


「……………………………………………、お、お約束した、額を、支払う、たくわえが、……ございません」


 ようようしぼり出した乾いた言葉。


「へえ。――それはそれはおかしな話ですね。道理に合わない。俺たちは、村長殿が報酬を約束されたからこそ、あのとても恐ろしい盗賊たちに立ち向かったんです。兵は皆、命をかけて勇敢ゆうかんに戦いました。危険極まる奴らの根城に臆することなく、挑み、勝利を得て、――、ああ、そう言えば、忘れてましたぁ。囚われていた女たちも、これこのとおり取り戻したのです」


 近くに控えていた部下に一瞥いちべつをくれる。心得たもので、彼は荷車から風呂敷をひとつ取り出し、その場に広げて見せた。


「…………」


 半ば以上、いやほぼ確信していたのだろう。


 囚われた女たちの残骸ざんがい。人骨の群を憂鬱ゆうつな視線で見やりながら、村長は吐息を吐く。


「まともな死体がひとつもなかった上、腐った部分も多かったので、火に葬しました」


 死。そのあまりに呆気なく、確かな実感を持つ物体が村長に問いかける、訴えかける。


 其の選択の先に待つ未来さき、如何なるものか、と。


「なんとも哀れなことだと思いませんか? 可哀想なことだと思いませんか? ああ、本当に、気の毒で気の毒でしかたありません。さて、村長殿。――俺たちにも、あの盗賊たちと同じことをやれと、そうおっしゃる?  罪もないあなた方たちから一切合切、命を含めたすべてを取り立てて、報酬に代えろ、とでも?」


 彼らは傭兵。正義を掲げる騎士でもなければ、無償の愛を説く聖職者でもなく、ましてや聖人君子の類であるはずもなく。


 むしろ、山賊やら盗賊やら凶賊やらといった輩共と、極めて近い位置に立つ。否、場合によってはでしかない。


 いずれも暴力を生業なりわいとして、かてを得るために暴力を振るう。


 彼らの間にある境界は、揺らめく湖面のそれだ。曖昧で、頼りなく、ふとしたはずみで、呆気なく。


「…………」


 充分に想定してしかるべき、されど、そんな当たり前の思考をめぐらす余裕もなく、目をらしていた事態――つまり、報酬が支払われない場合に、傭兵どもがどのような挙に及ぶか。


 憎く、恐ろしい盗賊が無残な死を遂げ、幾ばくかの心慮しんりょを取り戻した村長の脳髄のうずい。ことここに至って、ようやくまともな解を導き出した。


「お、お待ちを、……どうか、どうか、お待ち下さい!!  お慈悲を、お慈悲を!!  どうかなにとぞお慈悲を!!  見ての通り、あの盗賊どもによって、働き手を多く失い、麦畑も多くが焼け、たくわえすらも奪われて、これ以上、本当にこれ以上、なにひとつ差出せるものがないのです……本当に、本当に、……ああ、ああ、そうだ、そうですとも、ジョン殿!!  あの盗賊の根城には、彼奴きゃつらの奪ったものが多く溜め込まれていたはず!! この村から奪ったものも!!  それを返していただく必要はございません!!  どうぞどうぞ、お持ちください、ですから、なにとぞどうか、これ以上は―――」


「あー、そうですか。もう差出せるものが何ひとつないんですかぁ」


 揉み手をして、必死に慈悲を乞う村長の口上の最中、ジョンが口を挟む。


 声は、軽く、平坦で、ただの事実確認でしかなかった。


 だが、村長には、それが、その声が、その確認が、致命に至る何かを含んでいると理解できてしまって――だから、口を閉ざしてしまう。


「つまり――冬越しの備えもない、とそういうことですか?」


 このとき、村長は、なんと答えればよかったのだろうか。


 真実を、つまり盗賊から隠し通した、この冬を越すための最後の、最低限の、なけなしの備蓄があることを申告すべきか。


 虚偽を、冬越しの備えなどない、と涙ながらに訴えるべきか。


 脂汗を絞り出し、苦悶くもんの表情で黙り込む村長。結論として、それはどちらでもよかった。


 なぜなら。


「ああ、すいません。そう悩むことはありませんよ。村長殿。――決断するのは、苦しいことです。けれど、いまこのとき、その苦しみは必要ありません。――要するに、アレです、冬越しの備えが有るならもらって行きます。無いなら、無いで、あなたたちの命であがなっていただく。ほら、遅いか早いかくらいの問題で、結果は変わらないでしょう?」


 軽い調子で宣告されたのは、明確な死。


 冬越しの備えすらも奪われて、餓死がしするか。いまこの場で傭兵に殺されるか。


 死という結果の変わらぬ、二者択一。どちらがよりマシか、それは、個々人の感性によるだろう。


「――を呼んできなさい」


 震える声ながら、はっきりと村長が村人に告げた。

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