第01話 裁く獣、裁かれる獣(1)

「潰しても潰しても湧いてくる。こういう輩はやっぱり虫だな」


 暗い空。白々とした真円をいただく闇。灰の肌持つ球形がただひとり、しんと輝き宙にあった。


 辛うじて整備された山道を外れ、あたかも人を拒絶するように群生する深緑の合間を進むことしばし。


 いつしか放棄されて久しい道の名残が現れた。さらにしつこくその先を辿る。


 在ったのは、緑に覆われた石造りの建造物。ほのかな明りに照らされ佇んでいた。


 てられて、幾年月いくとしつきを経たと思しき小さな城。


 山中の森に潜み、ひっそりと朽ちていくはずの抜け殻――そんな感傷を懐かせる外観。


 しかしながら、しっかりと掘られた空堀、切り揃えた岩石を丁寧に丁寧に積み上げたはるかに見上げる城壁、いくつも配された城塔、そこだけはきちんと修復されたと思しき、城門に至る跳ね橋などなど。


 大小様々な設備が、いまもなお城塞じょうさいとしての剣呑けんのんさを十分に維持していた。


 おそらくは、王によって闘争を生業なりわいと定められた者たち――すなわち騎士がかつて生活した場所。


 経た時の長さにも関わらず、いまだ無骨ぶこつに威を示して佇立ちょりつするその威容。


 風化し、その機能を喪失するまでには、きっと気の遠くなる時間が必要だった。


 まったくもって、こんな辺鄙へんぴな所に居を構えたことは驚嘆きょうたんすべきであり、築城の労がしのばれようというもの。


 とはいえ、守りに適した場所というのは、山の頂上やら洞窟の中やら、そも攻め入る前に行軍だけで力尽きそうな地形であったりするわけで。


 してみれば、もともと人の寄り付かない、こんな僻地へきちに築城したことも、けして異常とまでは言えない。


 しかしながら、幾らか神経質なものを感じることもまた事実。


 ゆえ、その防衛への執念しゅうねんに挑む者は、相応の犠牲を覚悟する必要あるということ。


 城の外、一人の小柄な男の姿があった。先の虫云々の感想を呟いた者。


 彼は、いままさに、この城に――より正確には、この廃城に勝手に住み着いた山賊に――挑む心算を抱いてここに在る。


 けれど、まったくと言っていいほど緊張感に欠けていた。


 城砦じょうさいというものが持つ脅威、人という獣に対抗するために、人の英知を束ねて形作られた異常な構造体の恐怖を知らない馬鹿なのか。


 あるいは、単にそういうものを感じる精神が欠落した壊れ者なのか。


 小男は、木々の合間に潜み、捨てられた城を眺めている。


 身にまとった漆黒しっこく外套がいとうは、周囲の闇と同化してしまって、男の異様な顔貌がんぼうのみを宙に浮かばせていた。


 周囲は、鬱蒼うっそうとした樹木にさえぎられ、ほのかな月明かりしか差さない。


 最中、この男の顔を見た者は、まず、なぜそんな顔中に悪戯書きをしているのか、と呆れるかもしれない。


 あるいは、子供にそんな悪戯をされたのか、と微笑ましいものを覚えるかもしれない。


 しかし、その顔面を自由気ままに走る線条やら突点やらが、すべて傷痕であると分かれば、また、は潰れているのだと知れば、その印象も逆転する。


 人によっては、非常に剣呑けんのんなものを覚えるかもしれない。


 あるいは、小さな体躯たいくを見て、しいたげられた者であると同情の念を抱くかもしれない。


 いずれにせよ、目を背けずにはおれない凶相きょうそうあるいは悲相ひそう


 傷痕だらけの顔貌がんぼうをさらにまじまじと観察する者があれば、意外と年若いこと。


 顔全体の造作は物柔らかで割合と整っている、なんてことに気づいたかもしれない。


 ただ全体として身にまとう雰囲気は、飄々ひょうひょうとして軽い。いや、ひどく薄っぺらいというべきか。


「こんなところに城があれば、ああいうやからにとっては、そりゃあ都合がいいよな」


 表情も言葉も軽佻浮薄けいちょうふはく。ふぁ、と最後に大きな欠伸あくびまでする始末。


「――だよねえ。本当に。これを建てた当時はよかったんだろうけど、後始末もちゃんと考えないからこういうことになるんだよ」


 応じた声は高く澄んだ響き。


「人間なんて、生きてもせいぜい四、五十年なんだから。使わなくなったんなら、そのとき取り壊せばよかったんだ」


 小首など傾げ、物柔らかに甘やかに続く。


「それでどうするの? あそこに引きこもった怖い人たちと、どうやり合うつもり?」


 着古して裾のほつれた白い長衣に身を包んだ細い肢体したい。背丈は傷痕だらけの青年より、さらに少し低い。


 金の髪は、短刀で適当に切ったと思しき不揃い感。くしをあまり入れていないのか、ぼさぼさと乱れ気味。


 肌はつるりとしていたけれど、蒼白くて精気に欠ける。目の下にはどんよりと濃いくまが浮かぶ。


 全体的に、どこか病がちではかない雰囲気。


 ただそういうアレコレを差し引いたとして――文句なく見眼麗みめうるわしいと評せる可憐かれん容貌ようぼう


 年の頃は、十代の半ば。長い金の睫毛まつげが縁どる、ぱっちりと大きな紫水晶アメジストの瞳が大層魅力的。


 血色やくまを化粧で誤魔化し、髪を整え結い上げて、さらには礼服ドレスを着込んで楚々そそと微笑めば、ごく自然にさる名家の御令嬢ごれいじょうで通りそうな有り様。


「城攻めの用意なんてしてなかったでしょ? まさか可愛い子飼いの兵たちを無策で突っ込ませる気?」


 暗い月光が照らすその姿は、どこか幽玄ゆうげんなまめかしさすらあった。


「どうするって、そんなの――使?」


 つい先ほどと指摘されたにも関わらず、そんな応えを返す。

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