第8話

 桜の舞う前日のことだった。

 臼田直義は呆けたように輝くシャンデリアを見つめていた。

 街のはずれには城がある。校内で噂は何度か聞いていた。誰が住んでいるのかは、人によって様々だった。ドラキュラと言う人もいれば、東京のヤクザと言う人もいた。

「君だったなんてね」

 臼田は目の前で背を向ける少年に言った。

「驚いた?」

 少年がくるりとこちらを向いた。臼田に比べると小柄に見えるが、160センチはある。ポロシャツの袖から見える肌は白く、青い血管が透けて見えた。

 薄緑色の眼が臼田に微笑む。その顔には白い靄──死のヴェール──が揺らいでいた。

 図書館の利用者、畑アーデルベルトは城の主人だった。

 母のように何も伝えられないまま死なせるのは恐ろしかった。焦燥感にかられるまま、死の接近を畑に伝えると、臼田は城に招かれたのだった。

「どうしてって顔してるね」

「だって会ったばかりだし……」

「臼田くん。僕の家系はね。みんな短命なんだ」

 畑はそう言いながら、屋敷の奥へ進んでいく。臼田は後を追った。

 歩きながら、畑は廊下に飾られた絵を指差す。描かれているのは20歳にも満たない青年だった。貴族のような出立ちだった。諦念にも似た眼差しでこちらを見つめる。

「あれは祖父だ。19で死んだ」

 左の絵を指差す。

「これは、曾曾お祖母さん。15で死んだ」

 畑は廊下に飾られた絵を次々と紹介した。絵の中に大人といえる人物は一人もいなかった。

「若くして死ぬ代わりに、僕たちは一つだけ才能を持っている。だから、この家を持つまでに繁栄した」

 臼田は肌寒さを感じた。屋敷の奥へ向かうにつれて温度が下がっていた。肌寒さはそれだけが原因ではないように思えた。

 畑は廊下の突き当たりで立ち止まる。黒い大扉が臼田たちの前に現れた。

「畑くんにも才能が?」

 畑は同意の代わりに、鍵を取り出した。古めかしい装飾が施されている。鍵を錠に差し込むと、重たい音がした。

 部屋のあちらこちらに白いものが転がっている。獣にしては太い骨、ヒトの大腿骨だ。中には肉がついたものもあった。

 屠殺場。一瞬見ただけではそう思ってしまう印象を、真ん中に立つ西洋甲冑が払拭していた。

 甲冑を囲むように、夥しい量の血が撒き散らされている。ただ、無秩序にあるのではなく、図形が血液で幾重にも描かれているのだ。

 立ちこめる異臭よりも、臼田は目の前の光景に惹かれた。

 召喚陣だ。何かを喚ぶための儀式めいたものだと臼田は直感した。

「僕には悪霊降ろしの才能があった」

「バカな」

 がしゃんと勢いよく兜が臼田に向いた。まるで臼田の言葉を責めるようだった。

「あの甲冑には先祖の霊を全部詰め込んでるんだ。きっと臼田くんのヴェールは、この死の匂いを嗅ぎつけたんだろうね」

 畑の目に妖しい光が宿った。そうなのだろうか。臼田は思案する間に、畑は語り続ける。

「ひとりひとりの才能が生きてる時だけしか使えないなんて勿体無い。それに……」

 一瞬、畑が言い淀んだ。

「……呪いの甲冑なんてかっこいいだろ?」

 すぐに畑の目に妖しい光が戻った。いたずらな笑みを浮かべている。

「畑くんは、俺に何をして欲しいんだ」

「明日、鎧を着て屋上に来て欲しい」

 見当違いな申し出に臼田は訝しむ。それに勘づいて畑は補足した。

「元々、友達の告白に立ち会う約束だったんだ。鎧に眠った先祖の才能があれば、何か手助けになると思ったんだ。でも生憎僕は……」

 臼田は納得した。鎧を持っていくにも自分一人ではどうにもならなかったのだ。そこに、自分が現れたというわけか。

「わかった」

 臼田は了承した。畑は少し躊躇った後に笑顔を見せた。

 記憶はそこで途切れた。

 風の強い日なのか、木が擦れる音がしていた。当日、臼田は告白に遅れてしまった。それは不慣れな鎧の着用を他の図書委員に手伝ってもらっていたからだった。

 せっかく呼んでもらったのに申し訳ない。

 どう謝るか考えながら屋上に着いた時、桜が舞っていた。綺麗な白い花びらの中に、畑はいなかった。

 季節外れの桜に臼田は目を奪われていた。

「あの子は……」

 掠れた女の声だった。振り返っても誰もいない。

 屋上に風など吹いていない。

 木の擦れる音は、始めからなかった。

 そう気づいた瞬間、濁流が流れ込むように、呻き声がこだました。臼田の背筋が凍りつく。

 あれは桜などではない。畑そのものだ。

 そう気づいた時、臼田は畑の思惑にたどり着いた。

 畑は元から死ぬ気だったのだ。臼田に鎧を持って来させたのは、家系の最後である畑アーデルベルト自身が鎧に取り憑いて締めくくるためだった。

 あの時、言い淀んだのは決しておどけるためではない。短命の家族たちと鎧を介して会いたかったのだ。

 臼田は膝をついた。自分の愚かさがのしかかったからでもあり、もう一つの事実に気づいたからでもあった。

 兜の奥で女が叫びつづける。子を探す親が狂ったように脳内で暴れる。

 鎧に取り憑くのなら畑の声も聞こえるはずだった。

 いくら待っても畑の声は聞こえなかった。

 桜になってしまえば、魂はバラバラになってしまうのか。アーデルベルトは一人で逝ってしまった。

 あの子は気づいてないわ。殺してよ。潰してよ。奴らが憎い。とめどない怨嗟が兜に反響する。

 臼田は頷いた。いいだろう。畑くんが気づくまで、街の人間を殺そう。

 心を支配するどす黒い炎が鎧の重さを焼き切った。

 アルミの扉に突進する。ぶつかってぶつかってぶつかりまくる。

 扉が吹き飛んだ。

 力が迸っていた。何もかもが憎かった。太陽の眩しさすら鬱陶しい。

 目の前には、ウルフカットの女と背の高い男がいた。

「誰だ」

 男が問うた。

 畑くんは元から死ぬ気だった。こいつらが呼ばずともどこかで死んでいたはずだ。でも、そうだったら畑はひとりにならなかった。

 思考は千々に散っていく。即座に怨念が隙間を埋める。

 殺す。全部殺す。

 外道になろう。甲冑の中にはもう臼田などという男はいない。

 そう思ったとき、名前が口をついて出た。

「俺は……鉄と怨念の戦士、アーマーゲドンだ」

 荒い息遣いの中、西洋甲冑は言った。

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