第3話

 畳をばちんと叩く音がした。

「心はぶち殺すに限る」

 道場内に嗄れた声が響き渡る。木戸の祖父、玄昌げんしょうによるものだ。

 木戸と塚本は、放課後に祖父の道場に足を運んでいた。道場は公民館の隣にあった。戦前からある建物で、立派な檜で造られている。そのため、道場は誰もいなくなると、ほのかに檜の香りが感じられた。

 道場の壁には無数の写真がかけられており、木戸たちを見下ろしている。

「歴代の零指れいしだ」

「零指?」

「木戸流を修めたマスターたちのことだよ」

「本当に昔からやってるんだな」

「元は江戸より前からあったらしいがな……。ところで、武術において心技体が必要なのは知っているか」

 木戸が塚本に尋ねた。

「なんとなく」

 塚本が頷く。

「心はまず殺すもの。木戸流はそう提唱している。人間が人間を殴る以上、良心をコントロールするのは難しい。怒りや他の感情で誤魔化しても、後々になって良心が痛むこともある。だから、殺す」

「それじゃあ殺意や闘争心も死んでしまうんじゃないか」

「良心のみ殺す」

「理想が高すぎる」

「できてるじゃないか」

 塚本を見て木戸は笑った。

「塚本。お前は氷川さんに会ったことで圧倒的な自我が完成してしまったんだよ。そして、社会生活を営む中で育まれた良心は、体質の研究で肉吹雪もろとも消し飛んでしまった」

 木戸は言葉をくぎり、塚本の肩に手を置いた。ワイシャツ越しに、塚本の体温が伝わってきた。

「今のお前は最強の空手、木戸流を継承するに相応しいんだ」

 塚本は木戸の手を振り払った。

「馬鹿馬鹿しい。俺は氷川さんに振り向いてほしいだけなのに」

「何も告白だけが、相手に意志を伝える方法じゃない」

 木戸は懐から一枚の紙を取り出した。紙面では、男たちが腕を組み、こちらを睨めつけていた。

「K-1……?」

「そうだ。市でK-1の試合がある。そこには……見ろ」

 木戸が一際大きく映っている男を指し示した。

「名前はワンチャイ。ムエタイで何度も防衛を果たしているチャンピオンだ」

「俺にどうしろと」

「倒せ。最強の男になるところを見せれば氷川さんも、きっとお前を見直す」

「……嫌だと言ったら」

 木戸が目を見開く。

 ちっ、と畳を蹴る音がした。

 塚本の耳から数ミリのところで、足の甲が静止していた。玄昌が道場の端からひと飛びで蹴りを放ち、止めていたのだ。遅れて、風の塊が塚本の耳を打った。

「氷川さんに告白するなと言ってるんじゃない。ただ別の方法もあるというだけだ」

「まあ罪悪感作戦よりマシか……」

 塚本が呟いた。

 木戸の心に迷いはなかった。塚本は木戸流を完成させる男だ。木戸自身、玄昌との修行である程度まで良心を刈り取れたが完全にはほど遠かった。

 類は友を呼ぶ。人を痛めつけても揺れない心を持つ木戸は塚本に惹かれるべくして惹かれたのだと思った。

「大会は11月8日。ちょうど1ヶ月後だ。木戸流をその身に刻め。先生っ」

 玄昌はすでに構えていた。腰を大きく落とし、両手の親指と小指を折り曲げ、残りの指を天に向けて立てている。三本貫手といわれる特殊な握り方だ。空手のどの流派にも属さない異様な構えだった。

「ふぅぅぅっ」

 玄昌の身体から気がみなぎった。伸ばした指が気を練ることによって鋭さを増した。

 木戸流は六指獄ろくしごくともいう。人差し指から薬指までの三本、両の手合わせ、六本の指で相手の急所を刺し、斬る。

 六指獄は、刀を握れなくなった侍によって生まれた武術であるとも言われていた。

「はじめっ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る