後編


「あんたらって仲良かったっけ」

「ふぇ?」

「いや、だから」

 友達が私と教室の前側の席に座るアオとを交互に指差す。意外な組み合わせ、と友達は評した。意外かぁ? と首を傾げたけど、自分の髪を一房摘んで「まぁ、確かに」と納得してしまう。桃色が主張し過ぎない程度のピンクブラウンの髪色は、アオの夜空を切り取ったような真っ黒さに比べると派手な部類に入ると思う。

「仲は……まぁ、悪くはないと思うけど」

 その辺り、いまいち自信がない。この前のアオとのやり取りからも察したけど、『記憶を失う前の私』たちは仲良しこよし、ってわけでもなさそうで。

 じゃあ仲が悪いかというと、そうでもなさそうではあって。

「色々と難しいお年頃なんだよ」

 色々と、の部分はあえてぼやかす。私たちはそこまでハッキリしたものを求める間柄ではないのだ。たぶん。

 ふぅん、と友達が面白くなさそうな顔をする。

「じゃあ最近一緒に登校したり、お昼食べたりしても仲良くないと」

「うぐっ」

 痛いところを突いてくる。いや違くて、と否定しようにも事実なのでどうしようもない。

 いっそ記憶喪失のことを打ち明ければ。

 そんな想いが頭に浮かぶ。そうすれば変に勘違いされることもなくハッピーに高校生活を送れると思うけど。

 けれど話した後の煩わしさとかを考えるとどうにも踏み出せないでいた。

 あれから二日が経っていた。

 その間、記憶は戻ることなく。日々は当たり前のように過ぎて。

 懸念していた人間関係も当たり障りのない会話をしていれば崩れることはなく。勉強もわからないことの方が多かったけれど、どこか新しい町に訪れたような高揚感が後押しして苦ではなかった。

 不思議なもので、二日と少しさえあればこの状況にも慣れてくる自分がいるのだった。

 ただ一つ、アオとのことを除けば。

「別に……普通じゃない?」

 苦し紛れの回答は薄く伸ばされた煎餅みたいにぺしゃんこだった。嘘の強度が足りなさ過ぎる。

「あの不思議ちゃんと仲良くできてる時点でふつーじゃねーよ」

 一刀両断だった。というか不思議ちゃんなのかアオ。

 確かに私以外の友達は少ない……といってもクラスに何人か話し相手はいるみたいで。言動だって別に難があるというわけでもなく。

 どこが、と目線で友達に訴えるとわかってないなあ、とでも言いたげに肩をすくめられた。

 ……何故だかちょっとイラっとした。

「あいつん家、神社でしょ。だからちょっとスピってるとこあるじゃん」

「……はあ」

「それに何考えてるかわかんねーとこあるし。そういうのって相手しづらいしさぁ」

 そんなの。そんなことで。

 頭の中心へ駆け上がるように血が集うのを感じる。

 危うく飛び出そうになる暴言を授業の予鈴が食い止める。慌てて自分の席へ戻る友達を頰の内側を噛みながら睨んだ。

 知るかよ、そんなこと。



「ってことがあったんだけど」

 昼休みになってすぐ私はアオを連れ出して教室を飛び出した。行き先は特に決まっていない。とにかく教室から離れてどこか遠くに行きたかった。

 手を引かれるアオは私の話を一通り聞いた後「ふふっ」と可笑しそうに口元を緩めた。

「……笑う要素あった?」

「ううん、そうじゃなくて。なんか、昔の沙季みたいだなぁ、って思ったの」

 購買に立ち寄って二人分のパンと飲み物を適当に買う。手渡すより先に「こっち」とアオに手を引かれる。

「じゃあいまの……前の私はそうじゃないの?」

 昔の、と前置きを作る意味を考えて。その理由に思いを馳せる。

 アオの動きが止まる。蝉の鳴き声が沈黙を埋めるようにけたたましく響く。

「そうだよ」

 振り返ったアオは笑っていた。

「でもさ、それが普通なんだよ」

 アオが後ろ向きで器用に歩き出す。くるん、くりん、と回転もつけ始める。ふらふらと踊る姿は酔っているようで、だから目を離せないでいた。

 揺れるアオと一緒に体育館に着く。上履きを脱いで中に入ると、外と隔絶されたように空気がひんやりとしていた。差し込む日差しから離れて、舞台の前に並んで座り込む。

「わたしさー、沙季と仲良くなりたかったんだよね」

 昼食もそこそこにアオがそんなことを言う。

「中学入ってすぐくらいまではふつーに仲良くて。それこそお互いの家に遊びに行ったり、泊まったりってこともしてて」

 遠くを見つめるようにアオが視線を斜め上に向ける。天井の向こう側、遥か空の彼方にアオの過去があるのだろうか。

「でも、中学二年生くらいかな。沙季は、なんていうかふりょ……じゃなくて、どんどん大人っぽくなっていって」

「誤魔化した」

「いいでしょ、別に」

 ぷくっとアオが不満げに頬を膨らませる。指でつつくと凹んで、逆側が膨らむ。

「…………ふへっ」

 子供みたいなやり取りに二人して笑った。

「いつの間にか、置いてかれちゃってた」

 溜まっていたものを吐き出すようにアオが腕を伸ばす。その手が何かを掴もうともがいて、でも何も得ることなく床に落ちた。

「だから、お願いしたの」

「誰に?」

「神様」

「………………」

 その突拍子もない発言に言葉を失う。

 神様。かみさま。……神?

 友達の発言を思い出す。繋がらないと思っていたイメージが確かな形を伴って浮上する。

「また昔みたいに仲良くなれますように、って。ずっと、ずうっと、願ってた」

 だから。

「ごめんね。沙季の記憶が失くなったのは、きっとわたしのせいなんだ」

「………………わっかんないよ」

 神様にお願いしてた、とか。

 それが原因で記憶喪失になった、とか。

 あぁ家が神社だからねなるほどね、と頭の中で噛み砕くのが精一杯だった。

 声をかけようとして、伝える言葉が見つからない。

 そこで私は、初めて。

 記憶喪失になってしまったことを恨んだ。

「だよね」

 初めから答えを知っていたようにアオが嘆息する。

「最初は……こんなこと言うのもあれだけど、嬉しかった。また昔みたいに、それこそ本当に昔の沙季と話してるみたいで」

 遠い過去を懐かしむように視線が上を向く。

「でも、昔のままでいようとすればするほど、みんなはそれを許してくれないじゃん。『なんでお前が』『調子に乗るな』『空気くらい読め』って」

「そんなこと、」

「あるよ」

 力強く断言するアオが寂しそうに笑う。

「……だから、もういいんだ。わたしのわがままに付き合わせちゃってごめんね」

 早く記憶が戻るといいね、と言ってアオが立ち上がる。一緒について行こうとして、手で遮られる。

「一緒にいたら目立っちゃうよ」

「そんなの、」

「ちょっとは気にしてよ」

 このばか、と小さくアオが呟く。

 言い返そうとして、けれど、言葉が喉の奥で詰まる。

 ばか、ともう一度だけ呟いて、アオが体育館を後にする。

 私はその姿を追いかけることができない。

 だって。

 アオが泣くのを見たくなかったから。




 教室に戻ると「どこ行ってたんだよー」と絡んでくる友達を適当にあしらいながら自分の席に着く。ろくに食べることのできなかった惣菜パンをむしゃむしゃする。食べ終わってからはスマホをいじったり時計を眺めながらぼーっとしたりした。

 アオが教室に戻ってきたのは昼休みの終わりを知らせる予鈴が鳴ってからだった。友人と一言、二言話しながらアオが席に着く。その目元が薄く赤らんでいるように見えたのは気のせいだろうか。そうであってほしかった。

 初老の男性教師が教室に入ってきて午後の授業が始まる。間延びした声と午後の気怠い空気とが混じって、眠気がゆるやかな波を作りながら襲ってくる。欠伸を噛み殺しながら視線を教室の前側に向けると、ぴんと伸びたアオの背中が見えた。

 その背を見つめながら、想う。

 記憶が戻れば色々と解決するのかもしれない。

 方法なら、ある。アオみたいに神様にお願いすればいい。……いやホントにそれでいいのかよって思うけど。

 でもその色々の中にはきっと、アオがいない。

 それは嫌だな、と心が渋る。

 結局、記憶が戻ったところで全部元通りになってしまっては意味がないのだ。

 失ったからこそ得られたものがあった。

 この出来事に意味があった。

 無理矢理でもいいから理由を作らないと何のために記憶を失ったのか本当にわからなくなる。

 だからこそ、私はアオの『特別』になりたい。

 その想いは好きという感情にも似ているけど、もっと独りよがりで、一方的で。

 それを伝えたときアオはどんな反応をするのだろうか。怒る? 傷つく? 悲しむ?

 どれも想像するだけで頭が重くなる。いくら考えても納得のいく答えは見つからない。

 それでも私は諦めない。

 なぜか、なんて決まっていた。

 私は、アオを。



 夕方のホームルームが終わって逃げるように教室から出ていくアオを私は見逃さなかった。友達との挨拶もそこそこに鞄を引っ掴んで私も教室を飛び出す。

 階段を一段飛ばしで駆け降りると、下駄箱から靴を取り出したアオと目が合った。そしてすぐに目を逸らされる。

「まっ、」

 アオは靴を履いて昇降口を出ようとする。

 追いつけない距離でもないけれど。

 ここで止めないとこの先ずっと一緒に居てくれない気がして心が焦り、手が自分の意思とは関係なく動いた。

「てやこらぁぁぁぁ!!」

 肩に掛けていたはずの鞄が昇降口のガラス戸に吸い込まれるように飛んでいく。あ、やばい、と思うのと同時に鞄がガラスにぶつかり、派手な音を立てて盛大に割れた。アオが驚いて砕け散ったガラスと鞄と私を見る。

「…………逃げるよ!」

 慌てて靴を履いて、惚けていたアオの手を取る。音を聞きつけて生徒が集まり出したのを背中で感じながら、振り返らず一目散に駆け出した。

 太陽はまだ高い位置で自分の時間を主張していて、照らす陽射しの強さに髪が先端から焦げていくようだった。肌を撫でる風もまだまだ生温い。

 それでも。

「せいっ、しゅん! してるなあ!」

 夏の青空の下を駆けていると、それだけで心の水位が上がる。どこまでも行けるような気がして、その高揚感に酔いしれた。

 これが器物損壊からの逃亡でなければ最高なんだけど。

「ちょっ、はぁっ、まって」

 アオの息が切れ、動きが鈍くなったところで走るのをやめる。振り返って、学校からそれなりに離れたからもう大丈夫かな、と私も安堵の息を吐く。

 ひざに手をついて息をするアオの背中をさする。おーよしよしと撫でていると「ばっかじゃないの!?」と噛みつかれた。

「ばか! ばかばか! くそばか! あほ!」

「えー……ひどくない?」

「ガラス割るやつの方がひどいわ!」

「それは……そうなんだけどさあ」

 でも、と言い返す。

「アオだって私見て目ぇ逸らしたじゃん」

「それとこれ関係ある!?」

「だって、ああでもしないとアオ待ってくれなさそうだったし……」

 ああでものああ、があそこまで派手になるとは思わなかったけど。というか、そもそもアオに向かって投げたつもりだったから、結果的にアオに当たらなくてよかったのかもしれない。よくない。

「私だって、……私だって仲良い友達につーんってされたら傷つくしそれがアオならなおさらだしっていうか昼のあれなんだよ私たちお別れしましょみたいな雰囲気出して! 傷つくわ! 周りがどうとかこうとか言ってたけどそんなのより私を見ろよ!」

 溜め込んでいたものが爆発する。頭を熱くするのが陽射しか、アオかわからない。

 どっちだっていい、と心が叫んだ。

「記憶失くして確かに困ったけど……困ったけど! それがなに!? 失くなったならその分たくさん埋め合わせればいいだけじゃん! 私はそうしたいアオと一緒にたくさんの思い出を作っていきたいアオはどうなの!?」

「……っ、わたしだってっ」

 でも、とアオの瞳が揺れる。

「わたしは返せないっ。沙季から奪ったもの、それとつり合うものなんてわたし持ってない」

「つり合うとか合わないとか、そういうことじゃなくて、」

 私は。

 私にとってアオは。

「たった一人の大切な友達なんだから、そんな損得だけの付き合いなんてしたくない!」

 一緒にいて楽しかったり、辛かったり、笑ったり、泣いたり。

 色々なものに触れて、経験して、かけがえのないものを得て。

 私が感じるすべてのものをアオと一緒に分かち合いたい。

 だから。

「ずっと、私と一緒にいて」

 アオを独り占めにしたい。

 他の誰にも渡したくない。

 それが、私の望む『特別』。

 独りよがりで、一方的な、私だけの想い。

 記憶を失ったことを共有できるのはアオだけだから。

 もうこれ以上、私だけのものを失いたくなかった。

「……なにそれ」

 呟くアオの声が震えていた。

「沙季は、ホントずるいよね」

「……アオだってずるでしょ」

「なにが」

「いつも真面目ーって雰囲気出してるくせに、たまに子供っぽくなるところとかさあ」

「………うっせ」

「ほらまたそういうー!」

「うるさいうるさいうるさい」

 道端で二人してぎゃあぎゃあ騒ぐ。夕陽が降ってアオの横顔を照らすと柔らかな顔つきを作り上げる。

「やっぱりさ」

「なに」

「アオは、もっと笑った方がいいよ」

「……必要ない」

「えー勿体無い」

「どうせ見せるのなんて沙季だけなんだから」

「…………………………ひぇ」

 じわじわと頬が、耳が、熱くなるのを感じる。口が吊り上がりそうになるのを慌てて手で隠した。

 言ってやった、と言わんばかりにアオが勝ち誇った笑みを見せる。

 その笑顔を、眩しいと思った。

 いいな、って心があたたかいもので満ちる。

 得たものを噛み締めていると「帰るよ」とアオに手を引かれた。

 掴まれた手を繋ぎ直してアオの手をしっかりと握る。

 アオの温度を感じる。

 その柔らかな熱が、失ったことで得たものの一つで。

 それを大切にしながら生きていきたいと思った。

 多くのものを積み重ねたいと思った。



 失った記憶が羨んでしまうほどに。

 綺麗で、眩しくて、美しい。

 たくさんの記憶おもいでを。

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君が好きかはわからない 真矢野優希 @murakamiS

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