第29話 桧山先生の過去
☆
「お父さんなんて大っ嫌い。お酒を飲んだら暴言吐いて、お母さんに暴力をふるうなんて! 一度や二度じゃないんだもん。お父さんの酒癖が悪すぎるから、住居も学校だって変えることになったんじゃない!」
と幼い桧山先生がお父さんに文句をいう。
それを聞いたお母さんは
「そんなにお父さんのことを悪く言わないの」
と言って桧山先生をたしなめた。
「なんでお母さんがお父さんをかばうようなことをいうの? お母さんは被害者なんだよ!?」
と桧山先生は怒った。
「あたしが小っちゃい頃からお父さんはお酒飲んだら暴れる人だよ。お父さんが良い人だってどれだけ言われても、あたしにはそうは思えない!」
と言われたお母さんは娘の言葉を否定することも、肯定することもしなかった。
「お父さんは誠実な良い人よ?」
「お父さんはお酒さえ飲まなければ、誠実な良い人だって言いたいの? あれだけお酒を飲んだら暴言と暴力を繰り返してきたのに!?」
と語気を強める桧山先生だ。
「私も病気になって、弱気になってるところもあるかもしれないわね。でもお父さんに私の病気で迷惑をかけるかもしれないし……」
とお母さんはため息をついた。
「お母さんの病気のお金は私が稼ぐ。あの人の世話になんてならない! いっぱい働いてお母さんを助けるんだから!」
と桧山先生はお母さんを励まし、自分自身も励ました。
記憶の中のお父さんは酒を飲んで暴れ、お母さんに怒鳴っている姿しか思い浮かばなかった。そういう子供時代を過ごしてきたのだ。
◇
そして3年前の終業式の日、つまり忘年会の日に桧山先生は、お母さんが心配で一緒に病院に来ていた。そして女手一つで頑張り過ぎる姿を見かねた医者に
「たまには休んでちゃんと養生してください」
と心配されていた。
「でも先生、今日は12月25日ですよ? クリスマスだし年末も近いんです。娘と一緒にちょっとでも良いクリスマスと年末年始を過ごしたいんです。ちょっとの残業ですよ? 別にいいじゃありませんか」
お母さんは医者に笑いながら、そう答えていた。
「私も教師になって働いてるんだから、少しは休んでよ。お母さん!」
と桧山先生もお母さんを心配していた。
◇
墨乃地先生が亡くなって1年が経った大晦日に
「お母さんしっかりして!」
と桧山先生は叫んでいた。
「大丈夫ですか? 名前を言えますか?」
救急車に乗っていた消防士は、お母さんに話しかける。ほとんど質問に答えられなかったお母さんはその翌日、病院で亡くなった。
お母さんの遺品を整理している最中に、桧山先生はお母さんの日記を見つけた。
読むかどうするか悩んだ末に読んだ内容には
『必ず毎月おなじ金額、増えることがあっても減ることはなかった。それだけのお金をずっと送金してくれたお父さんに私は感謝しているの。病気と闘いながら、
と遺言のように書かれていた。
桧山先生が10才だった時からお母さんが亡くなるまでの18年もの間、真面目にきちんと振り込まれ続けたお母さんの通帳を見た。桧山先生も働いていたからお金を稼ぐことの大変さを知っていた。
だから1度も忘れず振り込まれ続けている通帳を見て、ほんの少しだけお父さんの見方が変わっていた。とはいえお母さんが亡くなっても、お父さんと暮らそうとは、今さら桧山先生には思えなかった。
桧山先生は教師となり既に働いていた。そして桧山先生はなんの因果か、父親である
父親が角田校長だと知っていたら、セントルミル中等教育学校へ赴任することもなかったかもしれない。だがセントルミル中等教育学校に赴任しなければ、婚約者の
そもそも桧山先生はお父さんが角田校長だとは、お母さんの相続の手続きをするまで知らなかった。それは角田校長自身が桧山先生のお母さんの相続権を放棄する書類のやり取りだけで、そのことに関して何も言わなかったからだ。
◇
そして運命の日は訪れる。桧山先生と
「なんてことをしたんだ! 桧山先生!」
と角田校長は桧山先生に駆け寄った。呆然と立ち尽くす桧山先生を車に乗せてその場から逃げた。下流まで様子を見に行ったが、咲見崎先輩は見つからなかった。そして心ここにあらずの桧山先生に言った。
「桧山先生あなたは私と一緒にいた。いいですね?」
その言葉を聞いてようやく現実に戻ってきた桧山先生は、角田校長の言っていることに力なく頷いた。
「あなたは女生徒に指一本触れていない。揉みあいになったのは私だ。女生徒を橋の上から突き落したのも私だ。警察が私たちのアリバイを崩した時は……。警察には私が女生徒と揉めているのを見た。そして揉みあったすえ女生徒を突き落した。この件に関しては黙っていろ。さもないと殺すと脅されていた、と言いなさい。いいですね?」
呆然としている桧山先生を見て角田校長は
「これは妻と娘のあなたへ苦労をかけてしまった私の罪滅ぼし……
と桧山先生にやさしく話しかけた。
「この事件には目を
咲見崎先輩を突き落してしまった自らの両手を見つめ、桧山先生は後悔するように涙を流した。それを見た角田校長はこの世の全てから守るように、そっと桧山先生の、我が子の肩を静かに抱きしめるのだった……。
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