第5話「強くて優しいキミが嫌い」

 弱々しいその手に引かれて我に返れば、視線の先には青白い顔をした大切な相棒の姿だった。自分が傍にいたらこんな顔をさせなかったなんて後悔を今更しても遅いと分かっている。それでも気持ちは焦りを覚えて、初めてヒカルは失うことが恐ろしく感じた。

 脱力しきったライトを抱えてギアの力を駆使して特殊施設に走る。見た目は何処も怪我なんてしていないように見える彼は確実に衰弱している。人の重みをいま両手に感じている、脱力しきっている体はこんなにも重いのか。それが酷く恐ろしくて堪らない。


「ライトをお願いします」

「全力を尽くします」


 白衣を着た施設の専属の医師は、治療室の中に入っていく。何も出来ないヒカルはただ立ち尽くすしかなかった。

 翌日、ヒカルは施設内から出ることも無く、各機関への説明もアイが赴いた。

 その間も憔悴しきった様子のヒカルは指令室のソファに腰を預けたまま連絡を待っている。峠は越えたが目を覚まさない、心意的な物だろうと医者は言う。その原因にヒカルには見当がつかなかった。ライトの傍にいなかった、駆け付けた時には既に意識が混濁した状態の彼の姿だったのだから、一番先にライトの傍にいたアイも詳細を知らないという、恐らく今回現れたホワイト・サファイアという敵が原因であろうという見解だったが、決定的な物も見当たらない。その日にあった出来事を反芻して見ても、導き出されるものはなかった。

 震える手に先日のライトの体の幻覚が映し出され、ぐっと拳を握り締める。その時、指令室の扉が開き、コテツが息を切らせ駆けてくる。


「ヒカルさん!ライトさんの意識が戻ったみたいっす!」

「!」


 コテツの呼び声に、急いでライトのいる病室へ向かう。ノックもせず扉を開ければ医師と丁度話し終えた頃であろうライトがそこにはいた。顔色も先日よりかは遥かに良い。受け答えもしかっり出来ているようだった。


「ライト」

「ヒカル…」

「良かった目が覚めて」

「ごめん。心配を掛けて」

「良いんだ。俺もすぐに助けに行けなくてすまなかった」

「ヒカルのせいじゃないよ」


 ライトはずっと視線を下に向けてぎこちなく笑う。暫くの間、ライトとヒカルは話をした。

 夕方頃にはニュース番組でブルーの目が覚め無事を報せる知らせが放送され、回復祝いの花や祝いの品などが施設に届いた。

 中には手紙などが同封されていて、その内容は「助けてくれてありがとう」「貴方のおかげで平和に暮らせています」「いつもお世話になっています」などの世辞の言葉だった。

 いつもであれば素直に受け取れるはずの言葉の数々にライトは何も返すことが出来なかった。返事を書くためのレターセットを持ってきてくれたアイが驚いたように目を丸くしている。その表情に申し訳なくなり、ライトは表情を曇らせ俯くばかりだ。


「どうしちゃったのライト。なんだか変よ」

「……分からないんだ」

「何が…」

「どうしたらいいのか、分からないんだ」

「返事がってこと?それなら素直にありがとうって書けばいいじゃない」

「無責任じゃないかなって」

「……それってどういうこと?」


 ライトの言葉にアイは思わず詰めるように顔を近づける。

 それでもライトとの視線は交わらない。焦りを覚えたアイがライトの肩を掴んだ。


「本当にどうしちゃったの?いつものあなたなら嬉しそうに返事を書いていたじゃない。確かに今回はいつもより量はあるかもしれないけど。お礼の手紙なんてお礼の言葉を書いてしまえばいいだけじゃない。考え過ぎよ」


 アイの言葉が妙に心に刺さって痛む。

 本当に自分はおかしくなってしまったのだろうか、そう考える度に追い詰められていく。だが、どうしてもペンを握る手は一向に進まない。そのままペンを置いてしまった。


「ごめんやっぱり今回は書けない」

「ライト」

「無理なんだ、書けないんだ」

「…分かった。疲れているのよ、ちゃんと休めばきっとよくなるわ。お礼の手紙はこっちから纏めて文書出しておくわね」

「ごめん」

「謝る必要なんてないわ。いいのよ気持ちだけで全てに向き合う必要なんてないわ」

「そう…だね」

「また来るわ。お大事にね」

「ありがとう、アイ」


 アイは手紙を手に、病室を去っていく。

 ライトも自分はきっと疲れているのだと思い、睡眠をとる為にも布団を被り目を瞑る。暗闇が視界を支配していく。

 微睡む意識と同時にあの声がする。


「ねぇ、貴方のことは一体誰が守ってくれるの?」

「!!」

「そう。誰も貴方を見てなんてくれないわ。皆が見ているのはヒーローである貴方。それ以外に価値なんてないわ」

「うるさい」

「親は?親戚は?先生は?友達は?皆、貴方という個人を見てくれていたのかしら?いいえ。違うわ、貴方のそのヒーローという称号が欲しいだけよ」

「そんなわけない」

「本当にそうかしら?人心なんて誰にも分からないものね」

「やめろ」

「貴方の事なんてどうでもいいのよ」

「そんなわけない!!」


 ライトは飛び起きる。酷い汗を掻いていた。日は落ちて夜の空には星が輝いている。そよ風が部屋の中に吹いてその都度カーテンが揺れる。乱れる呼吸を正して、ベッドから降りる。

 白い影がライトを手招きしている。


「良い子ね」


 優しい声が耳に届く。


 病室には風が吹き込み、人の影すら見当たらない。

 施設に併設された病院内は慌ただしく医師や看護師が走り回る音と、叫ぶ声が木霊する。

 朝一番に様子を見に来た時、そこいるはずのライトの姿は無くテーブルの上には砕けたままのギアがあった。その光は濁っていて、まるで泥にでも塗れたかのようだった。ヒカルはただ動けなかった様子を見に来たコテツが来るまでただその場でライトのギアを握っていた。


「どうしたらいいっすかね…ヒカルさん完全に心ここに在らずって感じっすけど…」

「どうしようもないでしょう。声を掛けても答えないんだもの、放っておくしかないわね。とりあえずライトを探さないと」


 急ぎ居なくなってしまったライトを探すためにデータベースの中にあるカメラを操作しようと端末に手を伸ばした。だが、何処にも彼の姿は見当たらない。もう既に施設内にはいないのか、焦燥感から焦りが滲み出る。思わず拳を机に叩き付けてしまうアイをコテツは黙って見つめる。

 その瞬間、待っていたとばかりに鳴り響く警報に皆が顔を上げた。

 言葉を交わさずとも分かる、行かなければいけない。他の誰でもない自分たちでやらなければいけないこの国を皆を救わなければいけない。怪物は待ってくれない。いま助けられる命を助けなければならない。

 そう思い至れば足は勝手に動いた。逃げる人々の波を遡っていけば自ずと目的地に辿り着ける。

 まるでヒーロー番組のおなじみの風景のように横に一列に並べば登場人物のお出ましの如く空気は変わる。人々は怯えた表情から一気に希望に満ちた顔をして、ヒーローの名を呼ぶんだ。それが英雄が罪人を断罪する瞬間を心待ちにする瞬間だ。


「なんて滑稽なのかしら。ほらご覧になってお兄様!先程まで逃げ惑っていた虫けらたちがこんな借り物の力を得た人間に希望を見出しているのですよ!その顔のなんて醜いことかしら…」

「本当だな。その希望いまに潰えよう」


 移動の段階で既にギアを切り替え、身体能力果ては防御力まで底上げされたヒーロースーツに身を包めば、強くなれるそう伝えられていたはずだった。

 まるで無敵のヒーローのようになれる。

 この力があって、仲間がいてそうすればきっとどんな敵にでも立ち向かえるであろうそう勇気を胸に抱いて。明日も皆が笑っていられるように。

 どんな絶望が降り注ごうとも、共に戦う仲間がいればきっと―


「!!」


 目を疑った。瞬く内に頭の中を駆け巡る思考は絶望を示唆している。

 例えどんなことがあったとしても仲間さえいればどんな困難にも立ち向かえるはずだったのだ。無敵なのだから。


「なんで、お前がそっちにいる?」

「アハハッ!見まして?お兄様、あの絶望を絵に描いたような顔を!!」


 興奮しきったような顔で、心底嬉しそうな悪趣味な笑みを浮かべてホワイト・サファイアは高々に笑う。その後ろで暗黒な笑みを浮かべるサファイアはただただ楽しそうだ。

 そして、サファイアの前に立ちただヒカルたちを見つめる紫のスーツに身を包んだライトの姿だった。暫く見つめた後に去ろうとする彼に居てもたっても居られなかったヒカルは怒りのままに駆け出した。制止を促すピンクの声すら耳に届かないまま。

 変身が解けていることも厭わずに。握りしめた拳のまま背中を向けるライトに向けてその拳をぶつけた。

 その拳は届かなかった、片手で受け止められたそれは震えたまま、あの時交わらずやっと交わった瞳は光を宿していなくて濁りきった青い瞳は一体何を映している。


「俺は認めない!」

「認めなくてもこれが真実だよ」

「どうしてなんでだよ!」

「キミは考えたことがある?どうしてヒーローをしているのか」

「何を…言って」

「僕らは一体誰の為にこの仕事をしているんだろう」

「…そんなの皆の為に決まっているだろう!」

「そうだね、きっと彼らは不安もなく安心して救われるさ、それを当たり前だとそう信じて今もただ待っているんだろうね。そんな偶像崇拝のような馬鹿げたことはもうおしまいにしよう」

「何言っているんだよ。俺達がいなかったら皆困るだろ!」

「困らないよ。皆自分が一番なんだから、自分さえ助かればそれでいい。だから他者を犠牲にするんだ」

「そんなわけない!どうしてそんなこと言うんだよ、ずっとそう思っていたのかよ!」


 違うって言ってほしい。ヒカルは冷たい瞳をしたライトを睨みつける。


「そうだとしたらどうするの。僕はキミのように聖人君主のような善人にはなれない、そんな気持ちではもういられないんだ」


 ヒカルにはライトの言っている理由が分からない。

 混乱した頭では、言葉の一つ一つが理解が出来なかった。


「でもその為に、守るために!救うために俺たちがいるんだ、何が違うって言うんだ!」

「じゃあ、僕らのことは一体誰が守ってくれるって言うんだ。皆僕らが助けてくれることを当然のことだと思っている。でも僕らは?誰が守ってくれる?」

「言っている意味が俺には分からない!」

「ヒカル、僕は、僕にはもう、キミの炎が見えないよ」

「俺には…お前が敵のように見えるんだ…おかしいだろう」

「……」

「行くな」

「僕は、強くて優しいキミが嫌いだ」


 掴まれていた拳は力なく項垂れて、まるで時が止まったかのように辺りが静まり返る。追いかけなければいけないと分かっているのに、初めてヒカルはライトから拒絶されたことに動揺し、そこから一歩も動けない。その言葉の後には、空が裂けて大きな手がライトを包んで消えていく。その背を掴もうにも、ヒカルの手は空を切って体は真っ逆さまに落ちていく。呆然とした絶望感と共に消えていく炎の気配にヒカルは抗えなかった。


 防衛部隊と、ヒーロー達によるその後の怪物との攻防戦は朝方まで続き全ての熱が静まった時、多くの被害者を出し、その戦火は幕を閉じた。その中には、青い炎を宿していたヒーローの名もあった。だが、その名はその日以降からリストから削除される。

 そして、報じられた報道にヒーロー部隊は口を閉ざすことしか出来なかった。


『レッドとブルーの対立。勝者はブルーか、戦場には闇に消えるブルーに成す統べなく崩れ落ちるレッドの姿』


 という大きな報道の見出しと写真に、防衛隊施設には気まずい空気と覇気のないレッドの姿と同じ内容の見出しが書かれた新聞を破り捨てるピンクの姿に隊員や職員達も黙り込む。その姿を只黙って見つめるブラックの手は拳が握られ微かに震えていた。まるで悲しみを洗い流すかのように降り注ぐ雨は三日三晩続き、暫くは街の中は悲しみで包まれた。


「全くこれだから人間は…言葉の責任というものを軽んじる。炎が揺らぎすぎているこれでは美しくない!…私は貴方の言葉信じていたのですがねぇ…残念ですよ。さて、新たな同胞の顔でも見に行きますか」


 まるでステップでも踏むような軽やかな足取りで、エメラルドは時空の裂け目を通る。足を降ろした先には、館の廊下のような場所でしんと静まり返っていた。

 暗がりの廊下を抜ければ、月の光の当たる場所に目的の人物はただ立っていた。

 あのキレイな青い炎は今はなく、青と赤を混ぜた色が瞳と髪を染め虚ろ気な瞳がエメラルドを視界に捕らえる。そこから感じるものはまるで無だった。


「…新たな同胞よ。貴方の名をお聞かせいただきたい」

「…アメジスト」

「ほう?」


 冷えたような声音が紡ぐ名にエメラルドは笑む。

 アメジスト、それはとても扱いが難しい宝石の一つの名であり、何十年も前に彼ヒーロー達に砕かれた宝石だ。それを彼に与えたということにも驚いたが何よりアメジストを負荷なしに取り込むことは難しい。

 なるほど、面白いと思いエメラルドは口角を上げ手でそれを隠しつつ、訝し気なアメジストを見つめるとお辞儀をする。


「私はエメラルド。こちら側でもどうか仲良くしてくださいねアメジスト」

「エメラルド、無粋な真似は許さないわ」

「おや、サファイア。私は彼に挨拶をしたまで」

「……」

「パーパはなんと?」

「何も、上手く扱いなさいと。それだけよ」

「パーパらしい。なにはともあれ、期待していますよ」


 エメラルドは、ホワイトとアメジストの横を通り過ぎ闇夜の中に消えていく。

 先を歩むホワイトに手を引かれるアメジストはエメラルドの姿を目で追ったが、既に姿はそこには無く、静寂だけが続いていた。



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英雄の断罪 獅子島 @kotashishi

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