第33話 死生のルール

 鎮守院宝泉寺。

 江戸時代創建の由緒ある寺院として、檀家から『宝泉さん』と呼ばれて親しまれているここが、浅利将臣の居宅である。奈良から帰宅した翌日、夏休みといえど寺院に休みなし。朝のお勤めとして境内掃除に従事する将臣の前に、ふたりの女性が現れた。砂利道に囲まれた石張参道をしずしずと歩むその手には、白木の木箱が抱えられている。

「おや、お久しぶりです──相良さん」

 将臣は掃く手を止めて、向き直った。

 声をかけられたふたりは深々と頭を下げて、頬をほころばせる。

「ご無沙汰しておりました。その節はほんとうにお世話になりましたのに、あれからろくなご挨拶も出来ませんで」

「ぼくは何も。方丈も中におりますから、どうぞお上がりください」

 と言って、将臣はふたりの女を母屋へと案内した。

 その節──というのは先々月、世間様が初夏の長期休暇に浮かれる只中に陸奥で起こった事件である。先ほど挨拶を交わした壮年女性、相良春江の母親が亡くなり、葬儀導師の依頼を宝泉寺が引き受けた。岩手の山奥まで出向いた葬儀は何事もなく終えたが、その日の夜に春江の妹が殺害されたことで事態は大きく変わり、大嵐のなか山奥で一夜を過ごす羽目になったのである。

 当時、休暇中であった知り合い刑事がともにいたこともあって、事件はスピード解決を見せたが、その背景には重苦しいものが隠されており、みなが得も言われぬ喪失感をおぼえながら東京へともどったのだった。

 相良春江と、娘の冬陽──。

 彼女らの来訪の意図は分かっている。あの日に掘り起こされた人骨の供養である。


「相良さん。ご無沙汰でしたな」

 父──浅利博臣は口元を緩めて、つるりと剃りあがった頭を撫でた。

「よかった、きっといらしてくださると思っていましたよ」

「もちろんですわ。あの日からしばらくは、警察の方々とのやり取りとか、不動産会社との手続きが忙しくてなかなか──こちらに来ることは叶わなかったのですけれど、ようやく」

「そうでしょうね。あれほどのお屋敷を手放すとなればいろいろとあるでしょう。して、そちらが?」

 と、博臣が春江の手もとに視線を寄越す。

 骨ばった手がおおきな桐箱を胸前に抱えている。春江はこっくりとうなずいた。

「結局、古いものはほとんど土へ還ってしまっておりましたもので、ほとんど回収することはできませんでした」

「なに、すでに還ったならばそれもよいでしょう。フム──いかがされよう。墓石を建てるもよし、当寺には樹木葬という埋葬方法もある。ゆくゆく墓守の手配に困るであれば、それも手でしょうな」

「そうですね──守り人に縛られた人生は、冬陽には継いでほしくありませんから。樹木葬をお願いできますか」

「ははは、違いない。ではそのように。──あれから何かお変わりないですか」

 優しげな瞳を春江に向ける。

 彼女は恐縮したようすで三度頭を下げた。

「おかげさまで。これだけお骨が出土しますと、あの山から死霊が還ってくるやもと、いっとき不安にもなりましたけれど。斯様なこともなく安穏に過ごしております」

「死霊が還る──」

 ふと、将臣の口からつぶやきがこぼれる。

 なんとまたタイムリーな話である。春江は恥ずかしそうに口もとに手を当てて「いえ」とうつむいた。

「あの地域は古くからよく怪異のうわさもございましたもので、ついそういう思考になってしまうのですよ。本気のわけはありません」

「死霊が還るといった怪異の話があるのですか」

 とは、博臣への質問だ。

 自分の父ながら、こういう領域の話について彼が知らぬことはないと確信がある。

 しかし博臣はクッと顎を上げて虚空を見つめた。

「うーん。あの地域に限ったことじゃあないが、山の中にいらァいずれそういうこともあろうよ。山は此岸と彼岸の境目さ」

「そういう──ものですか」


「とはいえ、此岸と彼岸は相容れん。いくら境界が曖昧になろうとも本来、死者と生者は互いに想い合い、なれど決して交わらぬがルールなのだよ。修行たる今生を終えたが最期、いま一度此方に戻るは死霊の不幸というものだ」

 

 といった博臣はにっこりわらって、

「書類を持ってまいります、すこしお待ちください」

 と言い置いて袈裟を翻して部屋から出ていった。将臣も思案ののち、春江と冬陽に挨拶をしてふたたび境内にもどる。


 ──死者と生者は交わらぬがルール、か。

 

 死者との交わりを望む祭、来迎祭。

 此岸と彼岸とをつなぐ門、死霊門。


 ──あの山は曖昧だったのだ。


 将臣は重たいため息をつく。

 それから、お勤めである掃除を再開すべく箒を握った。そのときだった。


「オッ。精がでるね」


 声がした。

 コツコツと革靴を高らかに鳴らして継代の境内の石畳を歩みくるのは、サングラスをかけたニヒルな男。

 ──出た。

 将臣はすこし嫌な顔をした。

 この男、自称ルポライターというが、その職を体言するかのごとく何かしら一波乱終えた翌日あたりに突如出現する、神出鬼没の不審者である。

 将臣は無心に箒を動かした。

「いいなぁ、奈良旅行」

「例に漏れず知ってるわけですか」

「まあね。で、どうだった」

「どうもこうも──貴方どこまで知ってるんです」

「知らねえよ。今回はめずらしく人が死んだって話を聞いちゃいねえもんで」

「人を死神扱いしないでください」

 死んではいない。

 死んでは──。

 いや、死んだのだろうか。

 山を下りた並木剛は泣きじゃくっていた。理由を聞くと、槙田泰全がたった一言「実加が死んだ」とだけ言った。

 並木実加とは剛の妹であり、彼女は十年前の鎮魂祭にて神隠しに遭い生死不明とのことだった。それが──死んだ、と。

 何があったのかと三橋に問うと、彼女は肩をすくめて自身もよく分からないと前置きをいれて、こう言った。

「死霊門から実加が戻ってきたけど、また消えた」

 ────。


「あの、窪塚さん」

 サングラスの男を見た。

 彼は黒眼鏡の奥の瞳をぱちくりと丸くする。

「窪塚さん──でしたよね。お名前」

 以前、一花がもらった名刺にそう書いてあったはずだが。

 男はすこし慌てたように、そうだとうなずいた。

 将臣はじっと男の目を見つめた。

「死霊門ってご存じです?」

「し──死霊門? キミ、それは」

「おや、さっそくヒットだ」

「いやまて。死霊門がなんだって?」

「聞きたいことはまだあるんです」

 なにを。

 男の口端がひきつる。

「貴方が追っているのはなんですか」

「────」

「R.I.P?」

「…………」

 窪塚の目の色が微かに変わった。気がした。

「そう。そうですか、やっぱり──」

 将臣はしばらく視線を巡らせてから、フッとちいさくわらう。

「なるほど、あの日貴方が言った意味がようやくわかった」

「あの日?」

 幾度も、この男はここに来た。

 我々の周りで起きる不可解な事件の根本にある、何かを探りに。

「有栖川だったんですね」

「!」

 窪塚の背筋が伸びる。


「今度は貴方から、いろいろ聞かせてもらう必要がありそうだ」


 と言って、将臣は不機嫌そうにほくそ笑んだ。



(終)

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R.I.P Ⅳ 〜来迎の夢〜 乃南羽緒 @hana-sakura

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