第32話 ブレイクタイム

 ────。

 そこまで語って、剛はいっしゅん口をつぐむ。

 静寂。観光客の喧騒がはるか遠くにあるような感覚だった。

 ひとつ息を吐いてから。

 だから、と剛が絞り出すようにつぶやいた。

「実加ちゃんわらってたでしょ、って。古賀さんそう言ってたんだ」

「────」

 そうだ。

 彼女が消える間際、感謝のことばを口にした彼女は可愛らしく肩をすくめて、わらっていた。

 うつむく足元のコンクリートが濡れる。

 泰全の頬を伝って落ちた涙がつくった染みだった。

 気づかぬうちに、泰全は泣いていた。

「──オレ、ほんとに、……おまえら兄妹に、本当に申し訳ないことを」

 あの日、ただ一言でも「ありがとう」と言っていたら。

 彼女の手をとってともに山を下りていたら。

 あの日の出来事を、逃げずに四人で話し合っていたら──。

 胸中に悔恨が迫る。

 しかし、となりの剛は

「もういい」

 穏やかにわらっていた。


「さいごに実加、わらってくれたから。もういいんだ」


 といって大きく伸びをひとつ。

 そのとき、ピピピと電子音が鳴った。新幹線の時間に間に合うよう設定した携帯のアラームである。


「そろそろ行こうぜ。間に合わなくなる」

「剛、オレ──」

「そういやさ」

 と剛がこちらを見た。やけにさっぱりした顔をしている。

「あの日実加に呼び出されたんだろ。なんの用事だったんだ?」

「え? や、それは」

「龍二たちが見せてきた映像にも、お前のすがたはなかったし──なんだよ。いまさら隠すようなことじゃないだろ」

「まあ──えっと」

「あ、やっぱり告白か」

「えっ?!」

 なぜ、と聞く前に剛がくすくすと肩を揺らした。

「兄貴だぜ。実加がおまえのこと好きだっていうのは、つるんでたらすぐにわかったよ。あいつは気付かれてないと思ってたかもしれんけどさ」

「あ──なんか、龍二や夏生も知ってたみたい。実加から相談受けてたみたいで」

「なんだよなぁ。兄貴の俺に相談してくれりゃあよかったのに」

「いや、それは」

 泰全はうつむいた。

 耳が熱くなるのを感じる。

 しかし剛は気付かない。

「おまえってむかしから地味に女子にモテてたもんな。あからさまに目立っていたわけちゃうけどさ」

「うそ言うなよ! オレ実加以外に告白なんかされたことないし、どう見たってお前のほうが」

「俺の方が?」

「…………」

 泰全は閉口した。

 ずっと胸に秘めてきた。

 自分の性嗜好に気付いたきっかけとなった相手だった。離れていても心のどこかで、ずっとずっと燻っていたこの感情。

 言葉にするには、あまりにも重たくて、

「なんでもねーよ!」

 といってキャリーケースを引っ掴むと、あわてて歩きだす。

 剛はまったく気付いていない。

 それでいい。

 早く、早く帰ろう。

 ふたりは足早に待ち合わせ場所へ向かう。


 ※

「アッ。景一さんだ」

 一花がバッと立ち上がった。

 全員がつられて店入口に目をやると、眠気眼をこすりながらボストンバッグを片手にこちらへ歩いてくる男がいる。黒須景一。どうやら惰眠から醒めてホテルをチェックアウトしてきたようだ。

 こちらが声をかける前に、店の外を指さして言った。

「さっきそこで槙田くんたちに会ったよ。ひと通り見て回ったから先に新幹線の乗り場行って待ってるってさ」

「じゃあおれたちもそろそろ出ましょうか」

「あっはは。これ全部まークンが食べたのか? 相変わらず母譲りの食欲だねえ──おやっ。赤子がいるじゃあないか!」

 と、三橋の息子──冬士郎に目を留めた景一がベビーチェアからひょいと抱き上げる。

 息子はぎろりと景一を睨みつけたが、泣くことはしない。人より格段に泣かない子どもなのである。

「おお、いい目をしてるなあ。お母さん似かな? イッカやまークンを抱っこしていた日々をきのうのことのように思い出すよ。あんなにちいさかったのになあ」

「お会計してきます」

 と、将臣はそそくさと席を立った。

 しかし景一は気にせず一花と恭太郎に笑みを向ける。 

「きのうオレもホテルに帰ってから写真フォルダを整理していたんだけどさ。イッカとまークンのちっちゃいころのが出てきたんだよ。ホラ」

 といって、息子を横抱きしながら器用に携帯の写真フォルダを見せてきた。

 一花と恭太郎は身を乗り出してその写真を見る。画像には男性に抱っこされたちいさな一花が一生懸命スイカを頬張るところだった。一花がアッハ、と微笑する。

「あたしのお父さんだっ。景一さんが帰ってくるまで、存在も知らなかったのに。たくさん写真見たからすっかり馴染んじゃった」

「きのうの祭にはいたのか、本人は」

 ふと、恭太郎が問うた。

 その意味をいっしゅん考える。三橋はちょっと、とたしなめたが、遮るように一花はゆっくりと首を横に振った。

「うーうん。探したけど、いなかった」

「じゃあやっぱり生きてるんだ」

「──わかんないわ。あのお祭りに還ってくるのは、あの村の人たちだけだって」

「おまえの親父が幽霊になってんだとしたら、どんな手使ったっておまえに会いに来ないわけないだろ」

 と、恭太郎は満腹になった腹をひとさすりして、ソファー席からいきおいよく立ち上がる。

「僕らも探してみようぜ」

「え?」

「おまえの親だよ。これまで景一さんがさがしてきたんだろ。まだ見つかってないけど、でもどこかで生きているなら──会えるだろ」

「そうだな」

 景一が張りつめた声を出した。

「──いずれ近いうち、探さずとも向こうから来るかもしれない。おかげさまで今回、また奴らのしっぽをひとつ掴めた」

 といって、意味深に三橋へ視線を向ける。

 その瞬間に脳裏をよぎった単語がひとつ。


 ──そう遠くない過去にも、

 ──おなじように黄泉還りを願う者がいましたね。


「早く行きますよ」

 レジから将臣の不機嫌な声が響く。


 ──遠い大陸の地では、鎮魂への願い唱える言葉があると


「いま行くよ」

 景一はころりと笑顔に変えて、冬士郎を抱いたまま店を出る。


(────R.I.P?)


 いにしえの刻がつづく古都の地に不似合いなことば。

 なぜ、ここに来てその単語が出てくるのか。

「行こう、綾さん」

 一花に手を引かれて三橋は我に返る。

 ともあれようやく、日常に戻れるのだ。

 せっかくの休暇であったはずが、三橋はいま、あの刑事課の仲間たちに会いたくてたまらなくなった。


 一行が東京に戻ったのは、その日の夜七時をまわったころであった。

 

 ────。

 アッ、とさけんだのは三橋である。

 東京駅新幹線ホームから出たところで、ひとりの男と出くわした瞬間のこと。サングラスをかけているため一見するとガラはわるいが、三橋とその腕に抱かれた幼児を見るなり泣きそうな顔で三橋の両腕を掴んだ。

「見つけたーッ」

「り、りきや──」

「おふくろに新幹線の時間聞いてん! 良かったイレコにならんで」

「え? なにしてんの、こんなところで」

「迎え来たに決まっとるやん。一時間くらい前に着いて、改札張っててさ」

「仕事は」

「休んだ」

「なんで!」

「家族失うかの瀬戸際に働いていられるわけないやん。なっ、冬士郎〜!」

 と言って、強面も形無しのデレきった笑みを浮かべてから、男はようやく三橋の背後にいる連れの存在に気が付いた。

「え? どちらさんら?」

「こっちの知り合い。たまたま奈良で会って──帰りが同じ日だっていうからいっしょに帰ってきたの。あっ、と。うちの旦那です」

 三橋ははにかんで男を示した。

 石田力哉──というらしい。なるほど、どうやら三橋とは旧姓で、プライベートでは石田綾乃のようである。いまいち礼儀の足りない一行を代表し、浅利将臣がずいと前に出た。

「いろいろと、綾乃さんにお世話になりました。白泉大の浅利将臣と申します」

「白泉? ってことは──アヤちゃんの後輩かよ」

「十年ブランクを越えた、ね。それでこちらは引率の黒須さん。前にちょっと事件絡みで知り合ったの」

「どうも。黒須っていってもけっこういるんです、景一と覚えていただければ」

「はぁ。綾乃の旦那で、石田と申します。どうも」

 互いにアウトローのニオイを感じたようだ。挑戦的な瞳で挨拶を交わしてから、力哉はふたたび三橋に視線を戻す。

「──オレ、仕事辞めるわ」

「なんで!?」

「っていうか、もう板長には言ってきた」

「なんて!?」

「父親になる時間も取られへん仕事なんざやってられるかって。この令和の時代、職人だなんだってのは古いんじゃって」

「────」

 バッ、と腰から九十度に身体を曲げて、頭を下げる。

「やから出ていかんでください。お願いやから。オレおつむは馬鹿やけど、家族を想う気持ちはだれにも負けへん自信あるし──」

「ち、ちょっと待っ」

「冬士郎のこともちゃんと、もっと向き合いたい。全然構ってやれんでオレのこと父親って認識もしてない現状を打ち砕きたいし──」

「待ってって」

「とにかくふたりともっといっしょに居りたいねん。なあ、分かるやろ?」

「分かった! もう分かったから!」

 と言って、三橋は力哉の背中をバシバシと叩いた。その顔は彼女にしては珍しく真っ赤に染まっている。

「アンタねっ。こんなみんないるところで脇目も振らず盛り上がってんじゃないわよ! 話は帰ってから聞くから、とりあえずこの荷物持って!」

「ハイッ」

 弾けるように荷物を持ち、ついでに息子も抱き上げる。

 まるで忠犬である。

 全員の視線が三橋に注がれる。

 彼女は気まずそうに目を泳がせる。

「なんだ、満更でもないじゃないか」

 ニンマリ笑顔の恭太郎がワハハハッと声を立ててわらう。

 三橋はひとり小声で「うるさいっ」と反論した。

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