3-16. メラニンとメイラード

 新宿・歌舞伎町で売人から覚醒剤を盗み出し、その売人の元締めである暴力団に追われて地元に逃げ帰った元ホストの男、須永遙輝。彼を中心とした、同じ中学の出身者で構成されるグループは、市販のカフェイン錠剤を粉砕して少量の覚醒剤を混ぜて再度押し固め、かさ増しして前崎市内で売り捌くことを計画する。須永と、前崎にいた頃の彼を先輩として慕っていた大学生の桑原陽人と塗装工の永井蓮登の三人が中心となり、当初は自身の手で錠剤を製造。経口、静注、吸引などの手段で試用した。元々錠剤という形を選んだのは、時間に追われる大学生がしばしばカフェイン錠剤を服用し、注射などより錠剤の方が抵抗感がないことに桑原陽人が目をつけたことがきっかけだった。彼は、カフェインよりさらに効く眠気覚まし錠剤として、自身が通う前崎経済大学の喫煙所で覚醒剤入り錠剤を販売していたのである。

 須永が盗み出した覚醒剤は二キログラム程度あり、グラム六万円とした場合の末端価格は一億円を超える。これを現金化した後に海外へ逃亡することが須永の目的だった。そのためには、製造のための人員が必要だった。そこで三人は、同じ中学の後輩たちに目をつけた。最初は高校生の小池海翔と土屋雄大。やがて中学生の原一磨と木暮獅音。須永たち年長三人は、彼ら四人を錠剤製造の工員として、時給三〇〇〇円で雇うつもりだったのだ。そして全員を集めての集会で、眠気覚まし効果のPRも兼ねて錠剤を飲ませ、この街の若者には定番の肝試しスポットである針金山トンネルに向かった。

 大学の喫煙所で覚醒剤入りカフェイン錠剤を販売する行為は警察にも察知されていた。前崎中央高校科学部が調査するよりも前から警察の捜査は進められており、桑原陽人や須永遙輝も既にマークされていた。このため、吉田による通報に対し警察は即応できた。換言すれば、遅かれ早かれ彼らは逮捕摘発されていた。

 それでも、現場を抑えての一斉摘発を行えたのは、科学部の調査研究プロジェクトと通報あってのこと。

「なんか感謝状とかくれるらしい。お前来る? つーか来いよ? 来ないとかマジでねーからな」と木暮珠理は言った。

 事件から一週間ほど経った休み時間の、二年F組の教室だった。珠理は良の隣である竹内淳也の席を占領しており、その竹内はというと教室の隅で梅森、松川と共に涙目でカーテンを掴んで震えていた。教室中の目線が何かと話題の絶えない金髪ギャルに注がれていたが、本人は気にしていないようだった。

「あの、珠理さん、その席……」

 良が言い終わるより前に、竹内がハスキーな声で叫んだ。「どうぞっ! 使って、使ってください!」

「……って本人が言ってるけど」

「あのね、珠理さんね、本人が言ってるからオッケーっていう考え方の先に、学校や職場でのいじめやハラスメントがあるんだからね? ナメられないってのは大事かもしれないけど、それで傷つけられる人もいるからね?」

「お前だってナメられないためにコンタクトにしたんだろ」

「それはそうだけど」と応じてから違和感に気づいた。「それ、珠理さんに話したっけ」

「なんかの流れで聞いたような」

「いや、言ってない。絶対言ってない」

「あー……そういや瀬梨荷から聞いたんだ。良くんヒミツ情報とか言ってた」

「個人情報保護法って知ってる?」

「お前なんでいちいちそう社会派なんだよ。文系か?」

「文系だけど……」

「ああもうわかったわかった」珠理は席を立ち、良の腕を引いて立ち上がらせる。「交換。お前こっち、あたしそっち。これで問題ねえだろ」

「どうだろ……」と応じつつ、良は竹内の席に座る。良の席には珠理が座る。「頓知を利かせただけのような」

「なんでもいいだろ。とにかく、お前も来いよ。細かいことは後で連絡あるから。できれば多紀乃ちゃんにも来てほしかったけど」

 多紀乃は、紆余曲折を経て東京へ帰ることになった。新しい父親になるかもしれない男との関係に不安は残るが、母が立ち直ることを信じてみることにしたのだという。

 多紀乃は、母が野間口と交際しているのは母子の生活のためであり、野間口を愛しているわけではないのではないか、と疑っていた。だが、それを聞いた瀬梨荷は、『多紀乃ちゃんがお年頃だからだよ』と断言した。母親が女の部分を見せることを思春期の少女は激しく嫌悪する。だが、女を見せるとは、裏を返せば野間口への気持ちが真剣だということだ。

「瀬梨荷が言うんだから多分そうなんだよ」と珠理。「大体、生活のためってなら温泉旅行に多紀乃ちゃんも連れてくだろ。二人でしけこむってことはさ、多分そうなんだろ。よくわかんねーけど」

「なんかあったら今度は訴訟だって父さんも言ってたし、僕も信じてみようかなって」

「そうしろそうしろ。殴りに行くならあたしも呼べ。科学部のよしみで……」そこまで言って、珠理は眉を寄せた。「そっか。お前部員じゃなかったもんな。例の感謝状も、科学部宛てっぽくてさ。どうすっかな……」

「そのことなんだけど」良は机の横に吊った自分の鞄に手を伸ばし、封筒を取り出した。「実は珠理さんに見てほしいものが」

「おっ、現金?」

「カツアゲって封筒には入れないと思う……」と応じ、封筒を手渡そうとする。

 その良の手首を、背後から伸びた別の手が掴んだ。

 支倉佳織だった。顔に笑顔が張りついたような、怖い顔をしていた。

「ごめんね、安井くん。それだけは許すわけにはいかない」

「支倉さん。あの、これには色々な事情が……」

「事情は関係ないかな。駄目なものは駄目だから」

 珠理はこれ見よがしに溜め息をつく。「支倉さあ、そいつ嫌がってるのわかんねえ? やめてやれよ」

「いつも安井くんを拉致してるのはそっちでしょ」

「知らねえ」珠理は手を伸ばして良の手から封筒を引き抜いた。

 声を上げる佳織。その拍子に力が強まり、良の手首に痛みが走る。

 珠理は悠々と封筒の中身を取り出し、三つ折りの用紙を開く。そしてにやりと笑った。

「悪いなあ支倉。今日からこいつはあたしのもんだ」

「支倉さん離して。痛い……」

「まだ! 先生に出すまでは無効だから!」逆に手の力が強まる。良の抗議は佳織の耳に届いていないようだった。

 封筒の中身は、科学部への入部届だった。

 ようやく手を離して佳織は言った。「大丈夫だよ安井くん。そこのプリン頭になってるギャルに無理矢理書かされたんだよね?」

「誰がプリンだコラ。メイラード反応とメラニンって名前は似てるけど由来も何も全然違うんだぞ」

「そういう話はしてない」

「お前がプリンって言ったんだろうが」

「そもそも、いつまで金髪にしてるの? あの先輩たちもういないのに、必要ないでしょ」

「髪の話ばっかしてるとハゲるぞ」珠理は入部届をひらひらと振る。「大体文芸部は人がいるだろ。こっちは幽霊含めて三人しかいねーんだから、譲れ」

「他を当たって」と佳織。だが直後、表情に影が差した。「幽霊……?」

「おう。昔の実験中の事故でな」

「何それ。知らない……」

「冗談だって。お前いつまで幽霊だのなんだのにビビってんだよ。忌書も〈ヨミガミ〉もハリコババァも全部科学現象。わざわざ調べてやったんだから感謝しろよ?」

「そ……そんなの、わかったって怖いものは怖いんだから関係ない!」

「これだから文系は」珠理は髪の生え際に手で触れながら立ち上がった。ちょうど教室に予鈴が鳴り響いていた。「埒が明かねえ。チャールズ、放課後化学室な!」

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