3-15. 猛然一撃
バスで十五分くらいの道程が一瞬だった。
絶叫する良と珠理をよそに派手なタイヤの擦過音を鳴らしてドリフトしたRX-8が、路肩の縁石から一〇センチの位置でぴたりと止まった。
「やはりリアの荷重が乗りすぎますね」と吉田は涼しい顔で言った。「着きましたよ、木暮さん、安井くん」
珠理は叫び疲れたのか肩で息をしていた。良も全身に入った力が抜けなかった。信号は辛うじて守っていたが、快適性を一切考慮しない吉田の運転は、後部座席からは絶叫マシンも同様だった。左右に振られて互いの身体が触れることを気にしていたのは最初の数分だけであり、最後には互いの腕をひしと掴んでいた。
「やっぱり性格変わってんじゃん……」と珠理。
「いや、変わってないよ珠理さん。変わってないからヤバい」
「ヨッシー普段からこんな運転してんの……?」
「公道でパワースライドなどしたのは大学生の頃以来ですね。今回は緊急事態ですので致し方なく。本来はクローズドな場所で行うべきです」吉田は運転席のドアを開けた。
前崎駅の周辺には寂れたアーケードの商店街があるが、〈アンバランス〉が位置しているのは商店街より駅に近い、地元民より観光客や出張客、大学生などが利用することが多い繁華街だった。いわゆる盛り場であり、着飾った女性の写真が印刷されたキャバクラの看板や、怪しげなマッサージ店などの案内もちらほら見える。まだ夕方だが、それらの店に勤めているらしき女性や、同じスーツでもサラリーマンとは一見して違うとわかる夜の世界に生きる男たちの姿もある。
あそこですかね、と吉田が指差す先に、バー〈アンバランス〉の、地下にある店舗への案内看板があった。改装中、と書かれたテープが貼りつけられている。
行き交う人の視線が集まっていた。
赤いパトランプを点灯させたパトカーが二台、同じく赤色灯を灯した救急車が一台路駐されていたのだ。その隣には、白やグレーの地味な乗用車が三台並んで停まっている。
「公権力が働いてくれたようですね。納税はするものです」と吉田。
動きがあった。スーツの男に左右を挟まれた派手な髪色の男が階段から地上へと引っ張り出されてきたのだ。彼の姿には動画を通じて見覚えがあった。塗装工の永井蓮登だ。
続いて、細身のパンツにオーバーサイズのTシャツを着た黒髪の若者が同じように引き立てられる。大学生の桑原陽人だった。
近づいていくと、救急車の荷台に腰を下ろして救急隊から応急処置を受ける中学生くらいの少年がいた。耳の周りから後頭部にかけてツーブロックにした髪型は歳に見合わず派手で、殴られたのか顔を腫らしていることから、彼が原一磨のようだった。
そして原一磨の足元に、毛布を被って蹲る、アッシュ系に染めたアシンメトリーなツーブロックの少年がいた。
「獅音!」珠理が声を上げた。
「姉ちゃん……?」顔を上げる獅音。
そして珠理は弟の元に駆け寄り、屈んで正面から抱き締めた。
獅音の手は震えていた。その手が姉の背に触れた。
「ごめん姉ちゃん。俺……」
「無事でよかった。お前、マジ心配したんだぞ」そう言うと珠理は急に獅音から身を離し、腕を掴んで内側を確認する。続いて瞼を開かせ、鼻を摘まむ。
「おい! 何すんだよ姉貴!」
「うるせえ。注射の痕とかないか見てんだろうが。何もされてないな?」
「警察の人来てくれたから」
良も歩み寄って言った。「獅音くん。多紀乃は?」
「いや、まだ来てねーっす」獅音は俯いて応じた。「巻き込んでごめんなさい」
「いや、来てないなら巻き込み未遂っぽいし……」と良が応じた時。
背後から、良には慣れ親しんだ声がした。
「何これ。なんでお兄ちゃんもいるの。珠理さんまで」
振り返れば、紺色のワンピースを着た多紀乃の姿があった。いつもの、少し不機嫌そうな顔だった。
「ああ、よかった……」良はその場に腰を下ろした。張り詰めていたものが切れ、アスファルトから立ち上がれそうになかった。
多紀乃は状況が飲み込めないのか左右を忙しなく見回している。「えっ……これ何? 獅音くんどうしたの?」
「色々あったんだよ」と良は応じた。「てかどうしたのその服。そんなの持ってたっけ」
「お兄ちゃんには関係ないでしょ」
「確かに関係はないけど……」
すると多紀乃は、良に目線も向けずに言った。「……男の子に誘われたから! 一応!」
「おい獅音」珠理は獅音の頭を平手で軽く叩いた。「お前後でちゃんと詫び入れろよ。そのままにしたら許さねえからな」
わかってるよ、とこれも姉に目線も向けず獅音は応じた。
良は深呼吸した。
吉田は刑事らしき男性と何か話し合っているようだった。野次馬は増えつつあり、スマホのカメラもそこかしこから向けられていた。良たちのところにも女性の制服警官が近づいてくる。先に警察官たちに連れ出された二人が、パトカーの後部座席に押し込まれている。永井蓮登は少し揉み合いになっていたが、桑原陽人の方は抵抗する素振りすら見せなかった。
逮捕された永井蓮登と桑原陽人。保護された原一磨と木暮獅音。中毒症状を起こした小池海翔。土屋雄大が姿を見せなかったのは、危険性に感づいたからなのだろうか。これで六人。
同じ中学校の在校生とOBから成るグループは、最後の一人が残っていた。
地下へ繋がる階段から、その最後の一人がとうとう姿を見せた。
髪をまだらな金に染めた、元ホストの須永遙輝である。敵意を孕んだ目を周囲に向けて威嚇しながら、警察官に背を押されてたどたどしく歩いていた。手錠をかけられた拳は赤い血に汚れていた。
「あいつか」と珠理が言い、獅音が頷く。
その須永が、警察官に押された拍子によろめいてその場に倒れた、ように見えた。
芝居だった。不意の動きに警察官の対応が遅れた一瞬に須永は拘束から抜け出し、猛然と走り出した。一重の目が湛える敵意は、救急車の方――良たちのいる方へと向けられた。
「カズマ! シオン! お前ら……」
刑事と制服警官たちが騒然となる。
原一磨は動画をアップロードしバズらせたことで、彼らの計画が発覚するきっかけを作った。獅音は姉に居場所を知らせ、警察の介入を招いた。その怒りが、須永の怒号となったに違いなかった。
良は立ち上がれなかった。
力が抜けていただけではない。これまでの人生で、こうも剥き出しの怒りをぶつけられたことがなかったのだ。須永の叫びは、離婚直前の家庭に響いていた母の叫びとは明らかに異なるものだった。
すると珠理が、獅音や良を背に庇うように立ち上がり、前へ進み出た。
「なあチャールズ。あたし理系だしさ、走れメロスとか教科書以外で読んだことないんだよ」
「珠理さん、何を……」
珠理は良の言葉を無視した。「でも一つだけ、すっげえ印象に残ってる台詞がある」
須永の血走った目が見開かれる。珠理が口の端で笑い、金髪がふわりと揺れる。
気づいた吉田が「木暮さん!」と叫ぶ。
多紀乃が悲鳴を上げる。
獅音が「姉ちゃん!」と声を上げる。
警官たちが口々に怒鳴る。
良も、嗄れた声で「珠理さん!」と叫んだ。
その珠理は、風に吹かれたように横に動いて須永に道を空けた。
そして、突っ込んでくる須永の足元に、ローファーを履いた足を軽く突き出した。
全員が呆気に取られる見事な転倒だった。
足を引っかけられてバランスを失った須永は手錠のために受け身を取ることもできず、顔面からアスファルトに口づけする。その須永を、我に返って次々と集まった警官たちが体重をかけて抑えつける。
片手でガッツポーズを作った珠理は、良の方を見て言った。
「気の毒だが正義のためだ! ……ってな!」
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