3-12. 放課後化学室な! part 2
「念押ししたらわけわかんねーもんが出たってとこかな」珠理が答えた。「カフェイン中毒はともかく、錠剤の方がわかんねえ」
「市販品じゃなくて、それを砕いた私製の錠剤っぽいんですよ」と良。
「最近はこの街の暴力団も随分と大人しくなった。代わりに妙な若い連中が徒党を組むようになったが……それも覚醒剤の類いかもしれないな」
「いや、でもTLC見る限り成分の大半がカフェインなのは確かだし……チャールズ?」
暴力団。妙な若い連中。混ぜ物の入ったカフェイン錠剤。同じ中学出身のグループ。東京から来た元ホストの男。
何かが頭に引っかかっていた。
あっ、と良は声を上げた。
「わかった。珠理さん、混ぜ物って、覚醒剤だよ! それか何かのヤバい薬物!」
珠理は眉を寄せる。「いやいや、そんなんどこで入手すんだよ。やくざってわけじゃないし、ただの同中のグループだろ」
「東京から帰ってきた元ホストの男、須永っていったよね。彼、やくざな連中に追われて逃げてきたって獅音くん言ってたでしょ。追われる理由は? もしも、暴力団が取り扱ってる商品を盗んで逃げてきたとしたら? 売人から、売り物の覚醒剤を盗んで逃げてきたとしたら? それを市販の錠剤に混ぜて売り捌くことで、金に換えようとしているとしたら?」
珠理は会計台の上に身を乗り出した。「桑原陽人って大学生と商売しようとしてるって言ってた!」
「救急車を呼ばなかったのは、後輩を補導させないためじゃない。違法な薬物が混ざっていると知られることを恐れたからだよ。自分のためだ」見開かれた珠理の目を見て良は言った。「珠理さん。例のよくわからないスポット、候補の薬物をいくつかに絞り込んだら特定できる? この前のテキサノールみたいに」
珠理は大きく頷いた。「できる。明日、放課後化学室な!」
「なんかさー、ロータリーの音が聞こえた気がすんだよ。絶対聞こえた」
「康ちゃんとうとう幻聴が」
「ちげーし。ホントに聞こえたんだって。今朝さあ、先生たちの駐車場の方から、なんか、ギュイーンってさ。俺の耳が聞き間違えるわけがねえ」
「手を動かせし」
そんな赤木康平と林瀬梨荷のやり取りから、翌日の放課後が始まった。
珠理の号令で動員された康平は、須永が出所だという錠剤をナイフで切断し、生物室から持ち込んだ実体顕微鏡で断面を確認してはスマホのカメラを顕微鏡の接眼レンズに当てて撮影している。錠剤を一度砕いて何らかの違法薬物を混合して再度成形したのなら、混ぜ方のむらが生じているかもしれない、それを探せという珠理の命で、康平に作業が割り当てられたのだ。
その康平は、スマホで撮影した画像を吉田のPCから化学室のロールスクリーンに表示する。
「どう? これ珠理ちゃんが言ってたやつっぽくね?」
「これは……当たりかもしれませんね」スクリーンの方を向いて、片手にレーザーポインターを持った吉田が言った。「ほら、このあたり。周りは結晶性の、きらきら光るやつですけど、ここは比較的粒子の細かいものが均一に分布していますよね。おそらく手作業での混合、成形ですから、こういうことも起きます。林さん、ちょっといいですか」
「ヨッシーに私が呼ばれるのってメッチャ珍しいような……」
「珍しく起きているので」吉田はレーザーポインターで画像の一角を囲うように示す。「赤木くんから錠剤を受け取って、この部分だけを削り出せませんか? 極細の針やピンセットがありますので、それで」
「めんどい」
「木暮さんや赤木くんよりあなたの方が、この手の作業は得意かなと思いまして。どうです?」
「……しょうがないなあ」瀬梨荷は伸びをしてから髪を後ろに束ねる。「康ちゃんは苦手そうだもんね」
「当たり前だろ。俺の手はハンドルとトルクレンチを握るためにあるんだ」
「赤木くんは引き続き似たようなものを探して、見つからなければ削り粉まで全部、捨てたり払ったりせずに集めてください」
「了解っす」と応じて康平はまた実体顕微鏡での断面観察に戻る。
吉田は続けて瀬梨荷に指示を出す。「削り出せたら、スケールは小さいですがヨウ素デンプン反応をかけてみましょう」
「それ、たぶん片栗粉だから」と白衣姿の珠理が口を挟んだ。「身近で手に入ってその手のつなぎ成分になる粉末って片栗粉かコーンスターチで、どっちもデンプンだからヨウ素デンプン反応で判別できる」
「瀬梨荷この前見てなかったよな」と康平。「青紫になるやつ。温めると消えるんだよ。知ってた?」
「康ちゃん静かに。気が散る」瀬梨荷は早速康平の隣でピンセットを手に実体顕微鏡を睨んでいる。
一方の珠理は、加熱されてスポットの浮き出たTLC板を前に、保護眼鏡を上げて言った。
「やっぱりだ。抽出を低温にするとカフェインより未知物質のスポットの方が大きくなる」
「でも、こうやって同じように抽出されてるってことは、似たような物質ってこと?」と良は応じた。借り物の白衣は肌に馴染まず、保護眼鏡越しに見る珠理の姿は少し歪んでいた。
何もかもが、普通の日常とは少し違う。転校する前に夢想した青春とも。
「水相から有機相への移行は同じように起こってるからなあ。それだけではなんともだけど、違法薬物って大体中枢神経に効く物質だし。カフェインもそうだし。同じような構造は持っていると思う。アンフェタミンかメチルフェニデートか、アルカロイドの類いかはわからんけど」
「コカインは外していいと思いますよ」と吉田。「あれは水に難溶です。最初に水に分散させて濾過した時点で残渣の方に残るはずです。微量が移行している可能性はありますが」
吉田は教室最前の教師用実験台の上に並べた分子模型のうち、殊更複雑で嵩張るものを手に取った。
「あれ、コカインの化学構造」と珠理は良に言う。そして吉田の方を向いて敬語に切り替える。「その場合はどう判別します?」
「エバポレータで溶媒を飛ばして、残渣を再度溶解させてTLCで展開して、なお出るなら微量のコカインかもしれません。しかしもしコカインでなかった場合、クロロホルムと一緒に揮発する可能性があります。最悪の場合みなさんがここでピンクのゾウと仲良しになるかもしれませんから、絶対にやめてください」
「それは嫌っすね」と康平。
「ミイラ取りがミイラってそういう時に言うんだよね」と瀬梨荷。
珠理は腕組みのまま、並べられた分子模型の前に移動する。彼女に従って良も移動し、うち一つを手に取った。
「これは?」
珠理が模型を一瞥して言った。「それはメチルフェニデート。リタリンとかコンサータの有効成分」
「へえ……コンサータって昔の友達に飲んでる人いたけど、覚醒剤なんだ」
「毒も薬も紙一重。使い方次第だよ」
「カプセルの中身を一〇時間かけて放出する非常に特殊な剤型を取ることでADHD適応薬になったんですよ。有効成分の探索だけが薬の進化ではないのです」吉田は自分の言葉に頷いている。
「じゃあこっちは?」
「それはアンフェタミン」
「……こっちは。なんかちょっとだけ長いけど」
「メタンフェタミン。二つ合わせて覚醒剤の王様だな」
「シャブ、エス、スピード。様々ある俗称が示すように、最もメジャーな覚醒剤ですね。……さて木暮さん」吉田は猫背の姿勢を正した。「カフェインとの識別はTLCによる標準品とのダブルスポットで可能として、これらの違法薬物である可能性がある未知物質を、どのように識別しますか? ガスクロやHPLC、NMRを使う前に、この実験室でも可能で、危険が小さい手段を提案してください」
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