3-6. 急性カフェイン中毒

 チーズハンバーグに舌鼓を打ちつつ多紀乃が言った。「珠理さんメッチャ頭いいって本当だったんだね」

「そりゃ珠理さんだし」と良は応じる。

 コーヒーなどに含まれる眠気覚まし成分として知られるカフェイン。近年ではエナジードリンクを初めとするカフェイン含有量を謳う清涼飲料水がプロゲーマーやゲーム実況者を通じて若者たちの間に広まり、カフェインを主成分とする錠剤も薬局で普通に売られている。

 しかし一方で、カフェインは短時間で多量に摂取した場合、急性の中毒症状が現れることがあるのだという。

 サラダうどんを食べる手を休めて珠理は言った。

「短時間にカフェイン単独で大体一グラムとか摂取すれば目眩がしたり、心臓がバクバクしたり、手脚が震えたり吐き気がしたりといった急性症状が出る。ちょうど動画に映ってた小池の症状に似てるだろ? それに、エナドリによく含まれてるアルギニンによって、カフェインの作用は強まることが知られてる。つまり、今回の事件の真相は……はい、チャールズ」

「ハリコババァの呪いなんかじゃない。お酒が飲めない若者グループがノリでエナドリやカフェイン錠剤を大量に摂取したことによる、急性カフェイン中毒である、ってこと?」

 珠理は頷いた。「と、考えていいんじゃねーかな。これも図書館の忌書や黄泉からの手紙と同じく、理性で説明可能な科学現象だ」

「一グラムって一〇〇〇ミリグラムですよね」と多紀乃。「一〇〇とか二〇〇とか入ってるエナドリって実はヤバいってこと? うわ、私たまに飲んでました」

「カフェイン自体はそんなに危ない物質じゃねえよ。風邪薬にも入ってるし。でも三〇分以内に二本とか三本とか飲まないだろ? そういう普通の飲み方なら大丈夫。でもあれ、大体缶のデザイン的にヤバいものっぽい演出してるし、そういうヤバいものをどんどん飲む俺カッコいいぜとか考えちゃう馬鹿もいるんだよ。な、獅音」

「別にそんなんじゃねーし」獅音は鉄板に乗ったミックスグリルだけを見て応じる。

「週明け支倉さんに教えてあげなきゃ」と良。「結構怖がってると思うし」

 珠理は眉を寄せる。「なんであいつの話が出んだよ。勝手に怖がらせとけ」

 でも、と抗弁しようとすると珠理の鋭い睨みが飛んだ。致し方なく話題を変えることにする。

「そういえば……支倉さんとか、珠理さんとか赤木くんとか、瀬梨荷さんも、みんな出身中学同じなの?」

「まあな。ここそんなに高校ないし。康平が来たのはびっくりしたけど、支倉とかはまあ中央高校だろうと思ってたし、瀬梨荷はあたしが勉強見てたし」

「今度の七人もみんなそうなんだよね?」

「だな。狭い世界だろ」

「ちょっと、羨ましさもあるよ」良は黒酢味の絡んだ唐揚げと野菜を箸でつつく。「僕、中学から私立の一貫校で、学区から離れてたから、地元の知り合いみたいな繋がり全部切れてるし」

「そのくらいがちょうどいいんじゃね」と珠理。「結構しがらみだぜ。この街にいる限り、同じ中学の繋がりって一生ついて回るし」

「あ、そうだ」多紀乃がフォークを置いた。「ちっちゃいヤンキーの獅音くんに訊きたいんだけど、やっぱり道の向こうから知らないヤンキーが歩いてきたらオメーどこ中だよって訊くの?」

「そういうこともあるけど」獅音は多紀乃に訝しげな目を向ける。「ちっちゃいってなんだよ」

「中一でしょ? 私の方が背も高いし?」

「……ぜってー追い越す」

「前に父さんが言ってたんだけど、それって名刺交換みたいなものらしいよ」良はどうしてか得意げな多紀乃に言った。「中学の学区ってそのまま地縁だろ? どこ中だよってのは、その地縁が作る集団のどこに所属しているかを明かして、利害関係とか敵対関係とか、共通の知人とかがいるかを探るための、コミュニケーションの初手にうってつけの質問なんだって」

「まーた社会派かよ」と珠理。

「お兄ちゃんさあ、段々パパに似てきたよね……」

「そんなことないだろ……」

 多紀乃ちゃん、と珠理は言った。「こいつ学校でもこんな感じだけど、家でも?」

「一緒に暮らしてた頃はここまでじゃなかったような」

「やめてよ……」と良。変わっているとしたら父親がよく喋るようになった影響だが、あまり考えたくなかった。「そんなことより、怖くないの?」

「怖いって?」と珠理。

「だって、友達の友達くらいの距離感に、ヤクザに追われて逃げてる人がいるんでしょ。遠いはずの世界がすぐ近くにあるってのは、僕はすごく怖いんだけど」

「田舎ってことだろ。ここは。そんなもんだよ」珠理は食事もそこそこに、ぐずついた曇り空の続く窓の外を眺めて溜め息をつく。「なんか今、初めて、お前が東京で暮らしてたってことが実感できた気がする」

「そうかもしれないけど。僕、人より世間知らずだし」

 すると、多紀乃がおずおずと、珠理が広げていたままのノートを指差しつつ言った。「正直、私もちょっとびっくりした。グループのこの七人、高校卒業以上で、大学生じゃない方が多いし」

「大学って遊ぶために借金するバカの行くところなんじゃねーの」と応じたのは、獅音だった。

「考え方は色々だからね」良は二人の中学生に向け言った。「当然大学に行く文化もあれば、そうでない文化もあるってことでしょ。選択は自由だ。でもその後の人生がハードモードになるかベリーハードモードになるかは学歴で決まるって聞くよ?」

「それもまた一つの考え方だろ」と珠理。その話は終わりとばかりに、何か表示させたスマホを隣の獅音に見せた。「カフェイン錠剤ってこういうの?」

「いや、こんな色ついてるのじゃなかったけど」

「じゃあ海外産か……?」

「色って?」と良が訊くと、珠理はスマホをテーブルに置く。

 国内の製薬メーカーによるカフェイン錠剤の商品ページだった。茶色系の色合いの外装箱と、シートに入った錠剤の写真がある。

「薬局で売ってるカフェイン錠剤って、色素でコーヒーっぽいイメージの色をつけたコーティングがされてるんだよ。箱もそういうデザインだろ? カフェイン自体は白いから、こういうのは商品の工夫だな」

 獅音が細く整った眉を寄せる。「真っ白だったしなんか袋から出てきたけど。押して出すシートじゃなくて」

 珠理は深々と溜め息をついた。「お前さあ、そんな怪しいもんホイホイ飲むんじゃねえよ。昨日腹痛くなんなかった?」

「なった……ってなんで知ってんだよ姉貴。二時間しか寝てねーし」

「カフェインの典型的な副作用だよ。腹痛で済んだからよかったけどさ、睡眠薬で強盗とか性的暴行とかされてたら洒落になんねーぞ」

「うるせえ」

「うるせえじゃねーんだよ……」今度は耳を引っ張ることもなく、珠理は片手で前髪を掻き上げる。「錠剤の現物ある?」

「確か……一磨が何個かパクってたと思う。訊いてみる」

「よっし」珠理は頷いて言った。「チャールズ、週明け一応分析してみっから、お前付き合え」

「カフェインなんでしょ?」

「だと思うけど、一応な。小池のやつもどうせ救急車呼んで胃洗浄で安静だっただろうし、そっちは週明け小池が出てきてたら康平に話聞かせるか」

「すっご」と多紀乃が言った。「ほんとに分析とかするんですね。大学の研究者みたい」

「そんなんじゃねーよ」

「でも珠理さん、将来研究者とか化学者? とか似合いそう。この前の中間試験、理系クラスで一位だったんだよ」

 すげー、と多紀乃が声を上げる。

 進学校であるためか、前崎中央高校では定期試験が行われるたびに科目別と総合の成績優秀者上位五名の名前が廊下の掲示板に張り出される。文系クラスは、東京時代の貯金を切り崩した良が五位で、支倉佳織が三位だった。そして理系クラスの一位には、木暮珠理の名が燦然と輝いていた。良は驚いたが、一年の頃から日常茶飯事であるらしく、周りにはいつものこととして受け止められていた。

 だが当の珠理は、嬉しいでも誇らしいでも恥ずかしいでもなく、まるで関心を抱いていないかのように言った。

「それがなんだよ」

「なんだよって……すごいし、立派なことだと思うけど」

 その時、スマホを弄っていた獅音が言った。「救急車呼んでねえよ?」

「嘘。あんなヤバそうな痙攣とかしてたのに?」と多紀乃が応じる。

「須永先輩がなんか呼ぶなって。呼ばれてたら俺も補導されてたし……」

「じゃあ動画の最後でヤバいヤバい言ってるのって、心霊的な何かがってわけじゃないんだ」良はもう一度件の動画を再生する。

『お前撮るな。これガチでヤバいから』と、カメラに近づいてきた金髪がまだらに染まった若者が言う。これが元ホストで、危険な人々に追われて東京から前崎に逃げてきたという、須永遙輝である。さらに彼は、『いいから撮るな! カイト車に乗せろ! やべえって言ってんだよ!』と続ける。カイトとは、前崎中央高校二年の小池海翔のことである。

「ヤバいって、補導のこと言ってるのかな」多紀乃が腕を組む。「なんか、それにしては切迫感あるっていうか……」

「須永って人、実は滅茶苦茶怖がりなのかな」と良。珠理の方を窺って続ける。「支倉さんみたいに」

 だが、珠理はいつものようには反発しなかった。代わりにスマホの画面で時間を確認して立ち上がった。

「あたしもう行くわ。獅音、ちゃんと家帰れよ?」

「帰るよ。うるせーな」獅音はぶっきらぼうに言って、道を作るために立ち上がる。

「珠理さん帰るの?」

「今日バイトあるから」珠理は獅音にお金を渡すと片手を挙げる。「じゃあな。また学校で」

 そう言い残し、珠理は店内を小走りに抜けて店を後にする。

 窓越しにその後ろ姿を見送った獅音が、店内に目線を戻して言った。

「さっきの話なんすけど、うち、大学とか基本NGなんすよ」

「……行け、じゃなくて?」

「なんか、親父が、バカになるから行くなって。特に姉貴は、女だし」獅音はうるさい姉が消えたのをいいことに早速姿勢を崩してスマホを弄り始める。「俺はいいんすけどね。ぶっちゃけ行きたくねーし」

 たった今まで珠理がいた席には、まだ食べかけのサラダうどんが残されていた。

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