2-13. 不都合な幼馴染み

 康平が溜め息をついた。「駿太、ぶっちゃけそういうとこあんだよな」

「去年のクラスT、私の名前間違ってたんだよね」瀬梨荷は自分のスマホに写真を表示させる。

 ピンク色のTシャツに、クラスメイトの名前や愛称が、人気アニメ調のフォントで印刷されている。瀬梨荷の名前は、『瀬利花』になっていた。

 瀬梨荷は淡々と続ける。「表面上は友達思いでみんなの中心だけど、それは、ぶっちゃけ興味ないような相手でも、三〇秒だけ友達みたいに接するのが得意なだけ」

「中島ちゃんが本気っぽいから黙ってたけど」康平は肩を落とす。「あいつ、付き合った女の子のこと全然大事にしないんだよ。自分の都合のいい時だけ呼び出して、言いなりにならなかったら『付き合ってるのに』とか、『俺のこと好きなの?』とか言って追い詰める。そのくせ友達に紹介とかはちゃんとして、女の子の方に自分がちゃんと本命なんだと実感させることは忘れない。でも、見抜かれて、すぐ別れる、っていうか、逃げられる」

「お前らどっちの味方なんだよ」

 呆れ顔の珠理に、瀬梨荷は「中立」、康平は「珠理ちゃんの味方」と答える。

「俺は別にいいよ」と窓越しの山崎悠斗が言った。「目が覚めたろ? あんなやつのことは、切り替えてさ。また一緒に写真撮りに行こうよ。可奈のことはなんでも知ってる。やっぱり、好きな物が一緒な方がいいよ。俺も乱暴だったとは思ってるし、そこは謝るよ。ね?」

「……別にいいって、何? 目が覚めたろって、何? その上から目線なんなの!? 山崎くん、わたしの何? 親同士は親しいかもしれないけど、ずっと同じ学校かもしれないけど、幼馴染みかもしれないけど、それだけだよね? そっちのおばさんとか、わたしのお母さんとかにからかわれて本気にしたの? わたしの意思は? 気持ちは? 悠くんにとってはどうでもいいの!?」

 康平が身を震わせる。「イッツ・ア・修羅場。……良くん?」

「ごめん」良は、言い争う二人から目を逸らした。「僕、こういうのちょっと苦手」

 東京にいた頃、父と母はいつも言い争っていた。より正確には、怒鳴り散らす母に父がじっと耐え続け、その嵐が過ぎ去るのをじっと待つのが良たち兄妹の日常だった。良は文学の世界に逃避し、妹・多紀乃はスマホやゲーム機にかじりついていた。

 思い出してようやく、前崎に来てから当時のことを考えずに日々を過ごしていたことに気づいた。

「人間ってなんですれ違うんだろうな」珠理が呟いた。「アレニウスの式とかギブスの自由エネルギーとかに従えばいいのに。ル・シャトリエの法則でもいいけど」

「人間だからでしょ」瀬梨荷は冷たく言い捨てる。

「正直重かった!」ホームの上の可奈は声を張り上げる。「友達以上だって、なんでもわかってるんだって、なんにも知らないし知る気もないのに、わたしのこと、守ってるのか導いてるつもりなのか知らないけど、そういうのマジで重かったし、気持ち悪かった。この駅でなんとか系が来るのをずっと待ってるのも、わたしが撮る写真にいちいち下らないとかわかってないとか言うのも、鬱陶しかった。わたしが何か言うとすぐ機嫌悪くなるから、そうだね、悠くんの言う通りだねって言わされるのも最悪だし、なんにも優しくないのに優しいね、感謝できないのにありがとうって、嬉しくないのに嬉しいって言わなきゃならないわたしの気持ち少しでも考えたことあった? 特別な時間だって悠くんが思ってたのはわたしには伝わってきたよ。でも、寒くて震えてたわたしのこと、悠くん笑ってただけだったよね」

「構図が決まるの、楽しいって言ってたじゃん」と悠斗は言った。「わかるって言ってたよね。それも嘘? へえ、ずっと俺に嘘ついてたってこと? ならその時言えばいいじゃん。今になって言うの狡くない?」

「それは……」

「いいんだよ。可奈、昔からちょっと思い込みが激しくってそそっかしいもんな」

 その悠斗の言葉が聞こえ、瀬梨荷が自分の身体を抱いて言った。「ごめん、ちょっと鳥肌立ってきた」

「俺、山崎がこんなに喋ってるの初めて聞いた」と康平。

「山崎くんからすれば、逆に文学かも」と良は言った。「筒井くんに中島さんを持ってかれたって思ってるよね。芥川の藪の中とか、スタンダールの赤と黒だって寝取られだし、トルストイも、ツルゲーネフだって、ロシア文学って結構そういうのが」

「青春は文学じゃねえだろ」

 珠理に言われ、「なんとかの式でもないと思うけど……」と言い返す。

「大体なんで苗字で言うんだよ。下の名前で言わなきゃその人になんねーだろ」

「確かに」

 その理由を考えようとした良の思考を、沈黙していた可奈の叫びが遮った。

「だから、それ、なんなの!? 言わなきゃわかんない? わたし、彼氏面しないでって言ってんの!」

「俺は可奈のこと思ってるよ。筒井よりずっと」

「だったらさあ」熱っぽい息を吐いて、可奈は続けた。「なんで写真を抜き取ったの? 〈ヨミガミ〉に見せかけるなら、残しといた方が怖かったよね。なんで見えないインクで書いたの? 『なんでおまえなんだ』って伝えたいなら、普通に書けばよかったよね。結局、悠くんは自分に自信がないんだよね。だからわたしに向けて写真を張り出したりするんだよね。そんなに悔しいなら、筒井くんに言えばいいよね!?」

 また遮断機が下りる。警報音が鳴る。前崎に戻る上り線の電車が近づいている。

 この便を逃すと一時間ほど待つことになる。すぐに移動できるように、四人で目配せを交わす。

 それは、違う、それはと繰り返す悠斗に、可奈はさらに追い打ちをかける。

「……正直、なんか馬鹿馬鹿しくなっちゃった。筒井くんのこと大好きだったけど、あの時の気持ちに嘘はなかったと思うけど、わたし、筒井くんのこと何も知らないし。よく考えたら、手紙で告白とか子供っぽいし。……だったら、とか思わないでね」ホームに電車が滑り込む。可奈は言った。「あんただけは絶対にないから。

 行くぞ、と珠理が号令して全員でホームに上がる。電車が停まり、扉が開く。降車客は三人だけだった。

 可奈が乗車し、悠斗が後を追おうとする。

 だが、二人の間に珠理が立ちはだかった。

「そのへんにしとけよ。いい加減ダセえぞ、お前」

 瀬梨荷と康平が続けて乗り込む。可奈と頷き交わしているのを見て、悠斗も状況を察したようだった。

「君に、君たちに何がわかる?」

「知るか。わかるのは、お前が自分のことだけを一方的にわかってもらいたがってるってことだけだよ」上背のある珠理は、悠斗を見下ろして言い放った。「大体お前、あの写真見たなら、内心思い知ってたんじゃねえの? 自分の入る余地なんかねえって」

 硬直している悠斗を前に、珠理は良の襟首を掴んだ。

「チャールズ、ちょっとそこ立ってろ」

「え、何。電車出ちゃうけど」

「停車時間は何分かあんだよ。東京と違って」

 そう言うと、珠理は良をホームに立たせ、スカートの裾を抑えながら足元に潜り込むように屈んだ。いつもは大きい木暮珠理が、ひどく小さく見えた。

「あの写真、こういう感じのアングルだろ」珠理は片目を瞑り、両手の親指と人差し指でカメラの形を作って良を見上げた。「お前、中島ちゃんとこういう距離感になったことねえだろ」

 良も続けて言った。「いい写真って、被写体のことが本当に好きじゃないと撮れないらしいよ。受け売りだけど」

 発車を告げるベルが鳴る。立ち上がった珠理と並んで良は電車に飛び乗る。

 瞬きもしない山崎悠斗を置いて、扉が閉まった。

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