2-12. ローカル線の無人駅

 放課後にバスで駅前まで移動し、JRの駅舎から少し離れた私鉄の前崎駅へと向かう。昭和か平成の風情が色濃く残るアナログの料金表に、ひび割れの入った案内板。使われてはいないが撤去もされていない駅員の入れる改札ボックスを抜け、塗装が剥げた古びた車両に乗り込む。

 線路は単線で、二両編成。夕方の帰宅時間帯だが利用者は少なく、座席に鞄を置いても誰も咎めない。

 中核都市である前崎市から、西方にあるもう一つの中核都市である上谷市を結ぶ、単一路線の私鉄、信上電鉄である。

 緑が揺れる田畑の中を電車は進む。停車駅はいずれも島式ホームで、屋根はない。駅名表示板はペンキが落ちて茶色の錆に蝕まれており、三駅に一駅程度の頻度で、今にも崩れそうな木造の待合所が設けられている。右手の車窓には、平野の果てである山脈が緑の壁のように聳えている。

 昼休みの狼狽から立ち直った中島可奈は、座席に置いたカメラバッグに掌で触れて言った。

「悠くんとは小学生の頃からずっと同じ学校でね。親同士もそれなりに親しくて。カメラを始めたのも、最初はなんかそういう流れだった」

 地域に同い年の子供はそう多くない。一緒に遊び、家族ぐるみの交流が生まれ、そして同じ趣味を持つのも自然だった。だが次第に、二人の被写体は異なっていった。可奈は人、悠斗は無機物を好むようになっていったのだ。

 可奈が家族や友達を撮る時、悠斗は信上電鉄の車両を撮っていた。やがて可奈が運動部のクラスメイトたちを自分の被写体に定める頃、悠斗は無人の線路脇や草むら、時には田畑に分け入り、信上電鉄の車両が最も映える構図を追求するようになった。

「中三の時だったかな。一回、悠……山崎くんに連れられて電車の写真を撮ったことがあるんだけど……正直、よくわからなかった」

「……化学と生物みたいなもんか?」と珠理。

「ロータリーとボクサー的な」と康平。

「芥川賞と直木賞」と良。

「君たちさあ」瀬梨荷は呆れ顔だった。「人を好きになるのは好きにすればいいけど、それで相手を傷つけるのは、駄目だよね」

 可奈は言葉なく頷いた。

 上谷駅への中間より少し手前の駅で、可奈に続いて全員電車を降りた。スマホのマップを見ると、線路と並行して走る国道沿いにはロードサイド型の店舗が集まっている。可奈曰く、信上電鉄沿線は二〇年ほど前に宅地開発が進められ、可奈と山崎悠斗の自宅もそのような新興住宅地の一角なのだという。しかし事前に喧伝されたように開発は進まず、電鉄沿いでない車生活を前提とした郊外の宅地に人口は吸い寄せられ、駅は無人化された。自動改札の代わりに、JRと共通規格の交通系ICの端末だけが置かれている。

「悠くん、一本後の電車で来るから、お願いします」と可奈は言った。

 珠理を頼った理由を訊かれた可奈は、強そうだから、と答えた。金髪のギャルがいれば、山崎悠斗も滅多な行動に出ないだろうと踏んだのだ。良たちはその判断に大いに頷き、当の珠理は納得しながらも少し不満げだった。

 島式ホームの端、上り線側の一段低いところにある駅舎で待機する。壁には地元の中学校や公民館で行われるイベント、自治会からのお知らせ等が雑多に掲示され、等しく陽光を浴びて色褪せている。

「でも、わたしもちょっと狡かった」古びた木造のベンチに腰を下ろした可奈は言った。「悠くんの気持ちには正直気づいていて、知らんぷりしてたし。手紙のことを言ったのも、たまたま便箋を買ったのを見られたからだけど……正直、ちょうどいいって思ったし。わたしが、筒井くんのことが好きだって知れば、悠くんも察して諦めてくれるかなって」

「喧嘩せずに友達のままでいられるなら、そっちの方がいいもんね」と瀬梨荷が応じた。「でも凄いね、中島さん」

「凄い?」

「だってそういうの、普通男の子の方が一方的に悪いってことにするじゃん。お膳立てしてあげたのに察しもしないバカって言っちゃえばいいのに。私だったら言っちゃう」

 そんなことないよ、と応じる可奈。すると康平が良の肩を抱いて言った。

「なあ良くん。怖いな、女って」

「手紙を勝手に開けたり写真を晒したりする方が怖くない……?」

 珠理が腕組みで頷く。「その通りだ。そのアホにもっと言ってやれチャールズ」

「でも俺は、察するように仕向けられるくらいなら、面と向かって拒否される方がマシだな。そういうことする女の子、大体『傷つけたくなかった』とか言うし」

「それは、あるある」と珠理。「あれセコいよな。自己主張しない自分を正当化してるだけなのに相手への気遣いってことにして、優しい自分を上げる。そういうの一番嫌いなんだよ、あたし」

「珠理ちゃんは激しいもんね、自己主張」

「人と喋るときはちゃんと目を見ろ」

「いや見てるでしょ」

「絶対髪見てたろ」

「さあ……?」康平は良を前に押し出すと背中に隠れた。「良くん後よろしく」

 何それ、と良は応じる。

 まるで会話についていけなかった。男子、女子。男の子、女の子。好き、嫌い。傷つける、傷つけられる。わかる、あるある。語られることのすべてがこれまでの自分の生活から遠すぎて、同い年のはずなのに、珠理たちが急に大人に見えた。

 あっ、と良は声を上げた。

 怪訝な顔の珠理や康平、瀬梨荷に、なんでもない、と応じる。

 すぐに回りくどくてスケールの大きい社会派なことばかり言う父が、息子に経験させたかったのは、これなのではないか。一瞬で手遅れになって、二度と取り戻せないものがこの世にはあると、伝えたかったのではないか。

 その時、踏切が警報音を鳴らした。駅舎の泥と埃で曇った窓の向こうで、遮断機が下りる。前崎を発した下り電車が近づいてくる。

 可奈が立ち上がった。

 ホームで山崎と対峙するのは可奈のみで、良たちは何事もなければ駅舎に隠れている手筈だった。

 数人の乗客が降りて、ホームの端から階段を下りて駅舎を抜けていく。可奈曰く、山崎悠斗は先頭車両の一番前に乗ることを習慣にしており、その言葉通り、降車客のうち駅舎から見て一番遠くにいたのは山崎悠斗だった。

「止まって!」可奈の鋭い声が響いた。「そこから、近づいてこないで。自分がしたこと、わかってるよね」

 窓越しに盗み見る悠斗は、頻りと上着の袖の位置を直していた。だが、落ち着かない仕草とは対照的に、表情は笑顔だった。

 掌を制服のスラックスで拭い、悠斗は言った。

「可奈? どうしたんだよ。何かあった?」

「何それ。わたしの手紙、開けて暖めて書いたこと全部消して、写真も抜き取って、〈ヨミガミ〉みたいにしたの、悠くんだよね」

「ああしておけば、筒井も怖がって可奈に近づいてこないだろ?」

「は? 意味わかんない」

「あいつは、クソだよ」と悠斗。皮肉に笑い、目の前の可奈から目を逸らす。「可奈は騙されてるんだよ」

「読んだのにそんなこと言うの? 何その自信。キモすぎ。筒井くんは……」

「クラスTシャツのこと? 去年の文化祭の」

「わかってるなら……」可奈は悠斗を睨み、そして足元に目を落とした。「本当は、わたしじゃない。悠くんの名前も入れてくれた。筒井くんが何も言わなかったら、わたしも悠くんも、他にも何人もクラスからハブられて、文化祭が辛い思い出になるだけだったのに。本当はわたし、それが嬉しかったんだよ?」

「それが騙されてるって言ってんだよ!」駅舎まで響く声で悠斗は叫んだ。「あいつ、そんなこと考えてない。俺や可奈の名前も入れたのは、俺や可奈にも買わせるためだよ。あんな、クソどうでもいいTシャツ。注文数が三〇以上になると安くなるから。俺らは、あいつにとって、ただの数合わせだったんだよ」

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