2-11. 消えた写真
昼休み、いつものように食堂へ向かおうと席を立った良は、例によって不穏な足音を聞いた。嫌な予感がするより早く、教室の扉が勢いよく開き、学校で一番派手な金髪をした女子生徒が現れたのだ。
「チャールズ、ちょっと来い。一階のPC室!」
「PC室って……確か、写真部が活動で使ってる?」
「そうそれ、とにかくすぐ!」
木暮珠理が口より先に手を出し足を進めるのはいつものことだった。だが、彼女がこうも焦りを見せるのは、常にないことだった。
ともかく珠理の後について階段を降り、突き当たりの図書室を尻目にPC室へと向かう。
いつもは人気の少ないエリアに、人だかりができていた。その中心には、一足先に駆けつけていたらしき赤木康平がいて、その隣には、明らかに憔悴して同じ写真部員らしき生徒たちに肩を抱かれている中島可奈の姿があった。
野次馬をかき分け、彼らの目線が向く物の前に立った。珠理が「なんじゃこりゃ」と言った。
PC室出入口の扉に、写真が一枚貼りつけられていた。
覚えがあった。一度見たら忘れられない一枚。他でもない、可奈が撮影した、夕焼けに照らされてペットボトルの水を浴びる筒井駿太の写真だった。
珠理と良に気づいた康平が近づいてきて言った。
「昼休みに写真を編集しようとした写真部の先輩が見つけたんだって」
「これって、手紙に入れてたってやつだよな」と珠理。
「なんで? なんでこれがこんなところに……」同じ言葉を繰り返す可奈の背を、先輩らしい女子生徒が何度も撫でている。
その女子生徒が「見世物じゃないから! ふざけんな!」と怒鳴った。
気圧されて人垣が乱れる。康平が写真を背にして立ち、「ほら帰った帰った」などと言って野次馬を散らそうとする。
珠理が良の肩に手を置いて言った。
「好きな人の写真だよな。中島ちゃんが大事な思いを込めて撮って、筒井に贈ったはずの」
「僕にはよくわかんないけど、これ、酷いことだよね」
「そうだよ」珠理は扉の方へ歩み寄って、テープで貼られた写真を剥がす。そしていつもよりトーンの低い声で言った。「マジで誰だよ。絶対許さねえ」
「悠くんなの? なんで……?」と可奈。
ふと視線を感じ、良は振り返った。
騒ぎを遠巻きにする小柄な男子生徒がいた。彼の姿には覚えがあった。E組の教室で、机に足をぶつけられて神経質に直している姿が目に焼きついていた。
「山崎くん……?」
目線が合うと、山崎は足早にその場を後にする。
咄嗟に追いかけようとする良。だが珠理が、良の腕を掴んだ。
「やられた」と珠理。「示温インクだけだと思ってた。目に見えないインクは、温度を上げた消せるボールペンに決まってるって思い込んでた。でも、それだけじゃない。むしろそれ以外の手段はいくらでもある」
どういうこと、と問うと、珠理は手にしていた写真の一点を指差した。
写真を傾ける。珠理が指差したところが、よく見ると、何か透明なインクのようなもので汚れている。
珠理はポケットから小さなライトを取り出し、スイッチを入れて写真を照らした。すると、写真の一部――水の冷たさに目を細める筒井駿太の顔の部分が、青く光って塗り潰されていた。
やっぱりな、と珠理は舌打ちする。「これ、ブラックライト。昨日の話があったから持ってきてた」
「じゃあこれって、蛍光塗料ってやつ?」
「蛍光不可視インク」珠理は頷く。「たぶんこれだけじゃない。あたしらは、冷やしたら文字が浮き出た一枚目に気を取られてた」
手紙は、一枚で終わる場合、もっと書きたい気持ちを込めて、白紙の便箋を挟むのがマナーとされている。だから何も書かれていなくても違和感を持たなかった。それが間違いだった。
眉を寄せる珠理と目を合わせて良は言った。
「もう一枚に、ブラックライトを当てなきゃ見えないインクで、何かが書かれてる」
食堂に行くどころではなかった。途中で瀬梨荷も合流し、全員で化学室へ移動する。件の手紙は、科学部による過去の調査研究プロジェクトの資料と共に化学室の書類棚に保管されていた。
康平、瀬梨荷、そして良が見守る中、珠理が文字の浮き出た一枚目と白紙の二枚目を実験台の上に並べ、ブラックライトで照らす。
一枚目は、「筒井くん」と書かれたところがすべて塗り潰されていた。そして二枚目には、殴り書きの文字が浮き出していた。
『なんでおまえなんだ』と書かれていた。
「時系列で整理するぞ」と珠理。「まず、中島可奈が示温インクで手紙を書く。そして筒井の下駄箱に入れる。翌朝、筒井がそれに気づくより前に、何者かが手紙を取り出して開封。文字と写真を確認し、蛍光不可視インクで筒井の名と写真の顔を塗り潰し、白紙の方に『なんでおまえなんだ』と書く。そして写真を抜き取り、手紙だけを戻す。筒井が手紙を回収して、康平に見せて、あたしらのところに持ち込まれる」
「その何者かは十中八九、山崎悠斗くんだね」良は後を継いで言った。「現場を遠巻きにしてた。哀しいことだけど、彼も中島さんのことが好きだった。でも中島さんの方はその気がなくて、ラブレターを書くことまで相談していた。中島さんの気持ちが筒井くんに向いている悔しさから、下駄箱に投函された手紙を覗き見て……写真と文面から、気持ちが覆せないことを思い知って、写真を晒すような乱暴な行動に出た。どうかな、瀬梨荷さん」
「そんなとこじゃない? ディテールはわかんないけど、本人たちに訊けばいいよね」瀬梨荷は気の抜けた炭酸のように言った。
「でも、なんで今日、今、山崎は写真晒しなんかしちゃったんだよ」と康平。「俺たちが調べてるってこと、山崎は知らねえはずだろ。こっそり盗み聞きされてないかは……ちょっと自信ないけど。ここのメンツ以外でこの話知ってるの、駿太と中島さんだけだろ」
「わたしが知らせたから」化学室の出入口のところに現れた女子生徒が言った。
中島可奈だった。つい先刻までPC室の前で頽れていた彼女の声は今も震え、目は赤く腫れていた。だが確かな足取りで化学室に入り、手紙を広げていた実験台に自分のスマホを置いた。
LINEの画面だった。可奈から『筒井くんへの手紙開けたの、悠くんなの?』と、昨日の深夜に送信されていた。返信はなかったが、既読はつけられていた。
山崎は、自分の行いが露見し可奈に悟られたと知った。それで今日になって、写真を晒すような暴挙に出たのだ。
「お願いがあるの」可奈は、眉を寄せる珠理を真っ直ぐに見て言った。「悠くんとちゃんと話がしたい。木暮さん、力を貸して」
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