2-9. 〈ヨミガミ〉
それ以上の追求に中島可奈は答えようとしなかった。だが、次に調べるべきがその山崎悠斗であることは明らかだった。
翌日の休み時間に、良は廊下で窓の外を眺めていた瀬梨荷を見つけて、昨日中島可奈から聞いたことを伝え、山崎悠斗のことを尋ねた。
「いるよ。うちのクラスに。山崎くんでしょ?」
そう答えた瀬梨荷に手招きされ、E組の教室に向かい、扉の影から教室の中を窺う。瀬梨荷が指差したのは、短い休み時間でもたわいのない雑談やふざけあいに余念のないクラスメイトたちから一線を引いたように一人で席に座ってスマホを睨んでいる、小柄で色黒な男子生徒だった。
別の男子生徒が教室を走り抜けざま、その悠斗の机に足をぶつけた。「わりーなトリテツ!」とだけ言って友達の元に駆けていく男子生徒と対照的に、悠斗はじっとその男子生徒を睨み、しかし一言も発せず、自分の机の位置を何度も直す。押しては引く。引いては押す。そしてまた、彼の注意はスマホの小さな画面に戻る。
「あんな感じ」と瀬梨荷。「自己紹介で電車の写真が好き、いわゆる撮り鉄ですって言ってて、それからみんなにトリテツって呼ばれてる」
「愛称、って感じではないよね」
だね、と瀬梨荷は頷く。「ちょっと小馬鹿にされてる感じ。私一年の時も同じクラスだったんだけど、その時からずっとあんなだったよ。一回も話したことないし」
「いじめ?」
「ってほどでもないかな。あっちもあんまり、馴染みたくない感じだし。その方がどっちもハッピーみたいな? そういうのなんていうんだっけ」
「Win‐Win?」
「それそれ。さっすが」教室に入るE組の生徒の目線も構わず、瀬梨荷は良の耳元に顔を寄せて言った。「良くん、私のところに来てる暇あるの? 珠理に言われてるんでしょ?」
それが問題だった。
中島可奈からの聞き取り内容から、最優先で調べるべきは山崎悠斗であることは明らかだった。だが同時に、彼女が語っていた〈ヨミガミ〉のことも無視するわけにはいかなかった。
珠理からの指示は厄介かつ明快だった。
すなわち、その手の話なら、F組の支倉佳織が詳しいから、話を聞け。お前同じクラスだろ、とのことである。可奈も詳しくは知らないようだったが、白紙の手紙、すなわち〈ヨミガミ〉とは図書室の忌書のように、友達から友達、先輩から後輩へ口伝されてこの学校に伝わる怪談の一つのようだった。
F組の教室に戻ると、ちょうど予鈴が鳴るところだった。次の休み時間は、次のコマで小テストが予告されていたため怪談話どころではなかった。結局昼休みになってしまい、良は支倉佳織がお弁当を取り出すのを確認して食堂へ向かった。
食事を済ませて教室に戻ると、まさに食事を終えた佳織の周りから数人の友達が離れ、話しかけるには絶好のタイミングが訪れてしまっていた。良は一瞬で、話せば必ず文芸部へ勧誘してくる支倉佳織と、理不尽な命令を下し従わなければ不機嫌を剥き出しにする木暮珠理とを天秤にかけた。
そして、良は佳織に話しかけた。
「何? 文芸部入りたい? 安井くんなら二十四時間三百六十五日いつでも大歓迎だから!」
「いや、そうじゃなくて」気圧されながらも、良は空いていた佳織の隣の席に座った。「支倉さん、怪談話って詳しい?」
「詳しいっていうか……」佳織は首を縮める。「文芸部で、文化祭の時に部誌を出すんだけどね。去年のテーマがうちの高校の怪談で、私そういうのちょっと苦手なんだけど、みんな盛り上がちゃって結局それで作ることになって……」
珠理が彼女なら詳しいと断言した理由がわかった。佳織の所属する文芸部が作った部誌に、珠理はきちんと目を通していたのだ。思えば康平が化学室へ持ち込んだ手紙を目にした時、珠理は関係する話を何か知っているような素振りを見せていた。
珠理がこの件の調査に乗り気だったのも、そもそも無関係なはずの良を巻き込んだのも、すべては支倉佳織のためなのかもしれないと、良はふと思う。
その時、良の背中を誰かが押した。「安井くん邪魔」と言ったのは、今良が使っている席の主だった。慌てて立とうとすると、その女子生徒は「うそうそ、使っていいよ」と言って佳織と目線を交わし、教室の外へ走っていく。
溜め息をつく佳織。気を取り直して良は言った。
「じゃあ、〈ヨミガミ〉って知ってる?」
「そこ、私が書いたから……」佳織は誇らしいような思い出したくないような、曖昧な笑顔だった。
厳密には、前崎中央高校だけではなく、前崎市の複数の中学校や高校に伝わる怪談なのだという。バリエーションはいくつか存在するが、骨子は共通している。曰く――。
「下駄箱に、真っ白な何も書かれてない手紙が届く。開いて、何も見えなければ、呪われない。でももし、書かれている内容が読めてしまったら、〈ヨミガミ〉の呪いが開けた人に降りかかる」
〈ヨミガミ〉とは黄泉からの手紙の略であり、その手紙が招き寄せる怪異の名でもある。カミに紙を当てるか、神と当てるか、あるいは噛みと当てるかの違いだ。
話すにつれ、佳織の顔はどんどん青ざめていった。
「私が調べた限りでは、その呪いの内容に何種類かあってね。事故死した女の子の呪いで交通事故に遭うとか、身体に身に覚えのない噛み痕がついて、呪いを解かないと噛み痕が段々大きくなって、最後にはヨミガミ様って怪物に噛まれて死んじゃうとか。ラブレターをぞんざいに扱われて自殺しちゃった女の子の霊に連れ去られて、黄泉の国で彼女の花婿や無二の親友にされるとか……」
良はホラージャンルの映画や小説を苦手だと思ったこともなかった。だが、怪談を全く信じていないわけではない。もしかしたらそういう話もあるかもしれない、とうっすら信じている程度だ。
「あるんだね、そういう話」
「うう、もう下駄箱開けたくない。せっかく忘れてたのに」
「大丈夫だって」
「でも開けたらあるかもしれないじゃん。開けるまでわかんないのが怖いんだって。安井くんそういうのない?」
教室の扉が最近怖いことを思い出し、少し違うなと思い直す。ヨミガミ様に怖い物知らずの金髪ギャルをぶつけたら何が起こるのだろう。
ないなあ、などと応じると、佳織は「でもね」と言った。
「この怪談、結末はバリエーションがあるんだけど、入口はなぜか同じなの。だからたぶん私は安全。安井くんも」
「入口?」
「うん。下駄箱の、右から三番目、下から四番目に〈ヨミガミ〉は届くんだって」
右から三番目、下から四番目。
引っかかるものがあった。考え込む良に、可奈が「安井くん?」と言った。
良は立ち上がった。
偶発的に温度が上がってペンの文字が消えた可能性を検証するために温湿度ロガーを入れた筒井駿太の下駄箱は、右から三番目、下から四番目だった。
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