2-8. 写真部の女の子

 前崎中央高等学校は、敷地が校舎と廊下で大きく三つに分かれている。正門から入ると右手に体育館兼講堂、正面から左手にかけて、誰も名前を知らない偉人の銅像が中央に置かれた広場を挟んで校舎が見える。校舎はL字型をしており、長い方が正門に面し、裏側に短い方が伸びている。Lと、Lの曲がり角から斜めに伸びた体育館への渡り廊下で、敷地が三分割されているのだ。

 Lの内側の空間は倉庫や職員用駐車場になっている。そして三分割されたうち、正門前広場でも職員用駐車場でもない空間がグラウンドになっており、体育館と接するあたりに運動部の部室が集まった部活棟がある。

 中島可奈の姿は、グラウンドに面した校舎寄りの木陰にあった。ちょうど彼女の前に数人の陸上部の女子生徒が集まっており、彼女たちが思い思いのポーズを決めた姿を可奈が撮影していた。運動部の生徒たちとの関係は良好なようだった。

 物陰から様子を窺いつつ、陸上部が練習に戻っていくのを見計らって珠理が言った。

「よし。あたしとチャールズで行く。瀬梨荷と康平は待機」

 良は康平と顔を見合わせてから言った。

「瀬梨荷さん、帰ったけど……」

「は!? あいつマジなんなんだよ!」

「頑張ってねって言ってた」

「引き留めろよバカ、文系!」

「理系の選民思想、排外主義、民主主義の敵……」

「まあまあ。みんなで行こうよ」康平は先に立って歩き出す。

 サッカー部が練習しているグラウンドの方に一眼レフを向け、シャッターを切り続ける中島可奈。康平が「中島さん」と声をかけるまで、彼女は良たち三人が近づいていたことに気づきもしなかった。

「赤木くん?」と応じて可奈はカメラを下ろした。つやつやしたボブカットの髪が木漏れ日を受けて輝いていた。制服を着崩す珠理や康平とは違い、可奈はボタンを一番上まで留めて、上着の前も留めて着ていた。

 簡単に自己紹介を交わす。珠理とは互いに顔は知っているが、話したことはない程度の間柄のようだった。上背のある珠理と向かい合うと可奈は上を向く形になり、首から提げたカメラが重そうだった。

 良とはもちろん初対面。だが彼女も、〈図書室の忌書〉事件については聞き知っているようだった。

 本題を切り出したのは康平だった。

「中島さん。実は、中島さんが筒井駿太の下駄箱に入れた、手紙のことなんだけど」

 明らかに狼狽する可奈。だが康平がこれまでの経緯を丁寧に説明すると、可奈は次第に落ち着きを取り戻した。

「それで、科学部の木暮さんまで、わたしのところに……」

「うん。半分不可抗力だけど、見ちゃったことはごめん。中島さんが手紙を送ったこと自体を含めて、誰にも言わないから」

「あの、それで、筒井くんには……」

「復元したってことまでは言った。送り主や内容については伏せてるよ」

「よかったあ……」可奈は自分の胸を押さえてその場で膝を折って蹲った。「あれ? 筒井くんが読んでないなら、よくない……? あれ? 見てない?」

 まだうろたえている可奈に、良は努めてゆっくり言った。「中島さん。手紙の温度が上がるようなシチュエーションに、心当たりはある?」

「夜まで何度も書いたり消したりして、それから」照れ隠しなのか頻りに笑い、そして早口で可奈は言った。「書き損じても直せるようにって消せるペンで清書して、次の朝にすぐ入れたから、たぶん、ないと思う。ああもう、バカみたいだよね。清書なのに書き損じるのがとか考えて、もうそういう性格だからさ、わたし」

「デジタルは容量の限りいくらでも撮れるからいいよな」と珠理。「いつもグラウンドで撮ってんの?」

「うん。体育館とこっちと半々くらい」

「スポーツ写真家なんだね。全然知らなかったんだけど」と康平が言った。

 可奈ははにかみがちに応じる。「そんな、写真家だなんて畏れ多いよ。ただ、競技写真ならちょっと撮れるっていうか、親が買って使ってなかった機材があるから、それだけ。他の部員のみんなは風景とかが多いんだけど、みんな上手いし、わたしは隙間産業、狙っちゃおー、みたいな」

「うちの部活の専属カメラマンじゃん」と康平。「いいのかな。うちスポーツ系の部活はみんな弱小だけど。もったいなくね?」

「でも……みんな輝いてるから」可奈はグラウンドの方を見て言った。

 康平が写真を見せてと頼み込むと、可奈は最初は遠慮がちに断り、やがて根負けしたのかスマホを取り出す。

 各部活の練習風景や、部室で休憩する姿を収めた写真が並んでいた。マウンドの上で投球直前の緊張を漲らせた野球部のエース。歯を食いしばってハードルを跳び越える陸上部員。一方で、体育館の一角で座り込んで汗を拭い、笑い合う数人のバスケ部員たちや、両腕と頭に合わせて五つのボールを乗せてバランスを取るバレー部員、籠手の臭いに顔をしかめる剣道部員のような、彼らの日常を切り取った写真も数多く並んでいた。

 好きなんだろうな、と良は思う。その競技が好きじゃないとスポーツ紙のカメラマンは務まらない、と父が言っていたことを思い出した。被写体への愛ある眼差しがなければ、人の心を動かす写真は撮影できない。

 だが同時に、サッカー部、特にある同じ部員の写真が多いことに、気づかずにはいられなかった。

「筒井ってこれ?」珠理はスマホの画面に並ぶ写真の一枚を指差す。「よく撮れてんじゃん。写真のことはよくわかんねーけど」

 夕焼けを浴びた筒井駿太が、ペットボトルに入れた水を自分の額に注いでいる様を煽り気味のアングルで捉えた一枚だった。練習の後なのか、ユニフォームではなくゼッケンを身に着けている。その場の熱気と、筒井しか感じていないはずの水の冷たさ、その後に彼が足元でベストショットを狙い澄ましていた中島可奈に笑いかけている情景までもが目に浮かぶような写真だった。

 写真のことはよくわからないが、いい写真に違いない。良も珠理に全く同感だった。

 だが、可奈の反応は少し奇妙だった。

「見たんじゃないの?」と彼女は言った。

「今見たけど」と珠理。

「そうじゃなくて……」

 要領を得ない両者。そこで康平が割って入った。「中島さん、ちょっと立ち入ったことを訊いてもいい?」

 いいけど、と怪訝な顔で応じる可奈。康平は珠理と良を交互に見てから言った。

「中島さん、もしかして手紙の中にこの写真を印刷して入れた?」

「うん。入れたよ。ってか見たんじゃないの? え? 見てないの?」

 良は珠理と顔を見合わせた。

 先に口を開いたのは珠理だった。

「第三者だ。そうなるよな、チャールズ」

 良は頷く。「何者かが、中島さんが筒井くんの下駄箱に入れた手紙を、筒井くんより前に取り出して、温めるか何かして文字を消して、写真を奪って、白紙の手紙を下駄箱に戻した……ってことになるよね」

「もう一つ立ち入ったことを訊くけど」康平が静かに言った。「手紙を送ること、誰かに話した?」

「……悠くん」と可奈は呟く。「E組の、山崎やまざき悠斗ゆうとくん」

「友達?」と珠理が訊く。

「わたしの……幼馴染み、かな」可奈は苦虫を噛み潰したような顔だった。「てか白紙の手紙って怖いね。〈ヨミガミ〉みたいだし」

 露骨に話を逸らされていたが、気になる言葉だった。良は「〈ヨミガミ〉って?」と訊いた。

「知らない? あっ、安井くん転校生だもんね。下駄箱に届く白紙の手紙は黄泉からの手紙、略して〈ヨミガミ〉。、って話」

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