2-6. 温湿度測定

 翌日から調査が開始された。温湿度ロガーとはなるほどタバコの箱くらいの大きさであり、PCに繋いで置いた環境の温度・湿度の記録を読み出せるものだった。筒井が手紙に気づいた日とその前日に似通った、あるいはより高い気温で二十四時間のデータが得られるまで仕込んでおくことにする。

 だが、二年の下駄箱の右から三番目、下から四番目である筒井の場所を目の前にした康平は、腕組みになって言った。

「ここ、直射日光そんなに当たらないよな。最初珠理ちゃんが温度が上がったって言った時は、日向に停めてたクルマの中が蒸し風呂になる話とかもあるし、ありそうだなって思ったんだけど」

 測ればわかるよ、と良は応じた。

 一方、中島なかじま可奈かなへの聞き取りの方は、大いに難航した。

 最初は、昼休みに廊下で珠理と待ち合わせて、C組へ向かった。良はまず様子を窺おうとしたが、珠理はいつもの、良にとっては覚えのある調子で、C組の教室へ突入して大声で中島可奈を呼び出そうとしていた。

 慌てて引き留め、筒井が科学部に調査を依頼していること、金髪ギャルの木暮珠理は科学部と誰もが知っていること、その金髪ギャルが中島可奈を探していることがC組で話題になったら筒井に知られて差出人を悟られてしまうこと、そして金髪ギャルは何をしていても目立つことを滔々と説明して、ようやく思い留まらせることができた。

「珠理さんも大概デリカシーなくない?」

「あたしはそういうの馬鹿馬鹿しいと思うから、わざと無視してるだけだ。大体、告るなら直接言えばいいだろ。気に入らねえ」

「それはそうでもないんじゃ。面と向かってでは伝えられない気持ちとか、密かに秘めた恋心を手紙に書くとか、そういうのが青春とか、恋ってものなんだよ、きっと……」

「お前の中にデカすぎる期待っつーか、幻想みたいなものがあるってことはわかった」

「ところで、告るって日本語って素晴らしくない? 想像上の言葉にネイティブスピーカーがいることに感動しちゃうっていうか……」

「徐々にお前の本性が見えてきてあたしは嬉しいよ……」

 本性って、と聞き返すと、予鈴のチャイムが鳴った。

 そして放課後、下校時を狙おうと珠理と示し合わせていたが、今度はタイミング悪く支倉佳織に呼び止められてしまった。

「安井くん。今日文芸部の活動があるんだけど、一緒にどうかな」合わせた両手の指先を絡め、遠慮がちな上目遣いで佳織は言った。「私たち、普段図書室の中にある談話室で活動してるでしょ? 来月から使えるようになるって先生も言ってたし、そろそろ空き教室での活動も最後なんだけど、みんな安井くんに感謝してて」

「僕に?」と応じつつ、「じゃあな安井」などと言いつつ帰路に就く同級生たちに手を挙げて応じる。

「うん。木暮さんと一緒に、呪いの謎を解いてくれたでしょ。安井くんが同じクラスだってみんなに言ったら、お礼が言いたいから絶対連れてこいってうるさいの。迷惑かもしれないけど……」

「迷惑なんて、そんな」

「じゃあ今日、どうかな?」ポニーテールを揺らして佳織が一歩近づく。眼鏡越しの目線が良を真っ直ぐに見ていた。「しつこく誘っちゃってごめんね。今日だけでもいいから、来てくれたら嬉しい」

「それは、あの、色々な不可抗力っていうか、逆らうのが難しい色々が。それに……」

「それに?」と問い返され、答えに窮した。

 文芸部、あるいは支倉佳織のためを思って行動したのは、むしろ珠理の方だ。感謝されるべきは珠理だった。だが、珠理本人は、あまり感謝など望んでいないように見える。お礼を言いたいそうだから文芸部の活動部屋に、などと言った途端に臍を曲げる金髪ギャルの姿が目に浮かんだ。しかし同時に、彼女を差し置いて礼を言われるわけにはいかない。

「やっぱり嫌だった? 文芸部」佳織の表情に影が差した。

「いや、そういうわけじゃ……」

 嫌なわけがない。むしろ入るなら文芸部だ。そう伝えようとした時だった。

 不吉な足音が聞こえ、教室の扉が勢いよく開け放たれた。怒気を剥き出しにして教室に入ってきたのは、木暮珠理だった。

「ひぃっ!」

「おいチャールズ! お前何のんびりしてんだよ!」

「いや、その、これには理由が」

「いいから来い!」

 また襟首を掴んで引きずられ、佳織との話はそこで中断になってしまった。しかし、中島可奈はその時には既に帰宅してしまっており、話を聞くことは叶わなかった。

 思わぬ収穫があったのは、翌日だった。

 筒井が手紙を発見した日の最高気温は二十四℃で晴れ。温湿度ロガーを仕込んだ日も二十四℃で、同じく晴れ。運良く、ロガーを仕込んで一日で、理想的なデータを取れる天候が巡ってきたのだ。

 朝にロガーを回収し、職員室で欠伸していた吉田計彦教諭に預ける。そして放課後、化学室に集まった珠理、康平、良、そして今日は気まぐれに姿を見せた瀬梨荷を前に、吉田は厄介な結果を告げた。

「摂氏六〇度に達してません」と吉田は言った。

 天井に据えつけられたプロジェクターと吉田のPCが接続され、黒板に下ろされたロールスクリーンに測定結果が表示されていた。ロガーが収集した一〇分ごとの温度・湿度を表計算ソフトでグラフにしたものだった。

「ご覧の通り、最高でも四十五℃です。これでは消せるボールペンで書かれた文字も消えそうにありませんね」

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