2-3. 幽霊部員2号

 バスが来るまで半端に時間があるのがよくなかった。保健室で話し込んでしまったために、いつも話し相手になってくれる同級生たちはみな帰宅していた。暖簾に腕押しの問答の末に、良は三階の特殊教室が並ぶフロアにある化学室に連れ込まれていた。

 先客がいた。

 赤みがかかった茶色に染めた短髪の男子生徒だった。制服の上から、自動車メーカーのロゴが入ったブルーグレーのトラックジャケットを、袖を通さずに羽織っている。

「おかえり珠理ちゃん。と、初めまして転校生」その男子生徒が言った。「C組の赤木康平。よろしく」

「このカスも一応科学部員な。幽霊だけど」と珠理。「つーか瀬梨荷のやつ堂々と帰りやがったな。あいつも一応部員なのに」

「えー、瀬梨荷来ねえのかよ」

「お前ほんと瀬梨荷好きだよな……」

「カッコいいじゃん。RX‐7セブンには負けるけど」

 噛み合っているのかいないのかわからない会話に首を傾げつつ良も自己紹介する。「どうも。F組の安井良です。科学部員じゃないです」

「嫌われてんじゃん」と康平。

 うっせ、と珠理は応じた。「それより本題だ本題。悪いけどもう一回説明してやって」

 オッケー、と言って、康平は実験台の上に置かれていたものを良の方へ押し出した。

 『筒井くんへ』と書かれた封筒だった。裏面を返すとハート型のシールで封がされており、シールには何度か貼り直した跡がある。

 目で促され、開けてみる。淡いピンクの便箋が二枚、折り畳まれて入っていた。開くと、隅にマグカップとレトロなカメラのイラストが入った、可愛らしいデザインのものだった。妹からの手紙に、一〇〇均で買ったのだろうこの手の便箋がよく使われていることを良は思い出した。

 だが、二枚とも、何も書かれていなかった。

「これさ、今朝筒井駿太っていう俺と同じクラスの友達の下駄箱に入ってたらしいんだわ」

「嫌がらせとか?」

「どんなだよ」と珠理。

「いや、ほら、暗くて友達が少ないオタクの下駄箱にこういうの入れといて、期待してドキドキしているところを影から見て笑うとか……」

「何、前の学校でやられたことあんの?」

「男子校だったからそういうのそもそも成り立たなかった」

「……なんか、ごめん」

「いじめならLINEとかでやればいいじゃん。大体駿太はあんまそういう感じじゃないし」と康平。「で、気味悪いから科学部で調べてくれって、俺に」

「なんで科学部」

「この前図書室の地縛霊ボコったからじゃね。珠理ちゃんと、良くんが」

「ボコってないし地縛霊でもないけど……」と良は応じた。「そもそも僕は何もしてないし」

 康平が発した『良くん』の前には一瞬の間があった。前の学校でもその前も、もっぱら苗字の安井を呼び捨てかそのもじりで呼ばれていた良にとっては、背筋がむず痒くなる呼び方だった。だが、チャールズよりは一〇〇倍快適だった。

「でも、白紙の手紙って、なんか……」

「珠理さん何か知ってるの?」

「いや、それはいい。そんなことより」珠理は手紙を指差した。「筒井があたしのところにそれを持ち込んだのは、正解だな。それたぶんだぜ」

「しお……何それ」と良が応じた時だった。

 開けたままだった化学室の扉で物音がした。顧問の吉田計彦が、携えていたファイルの類いを取り落としていた。

「三人もいる……生徒が、三人も……」

「いちゃ悪いのかよ」と珠理。

「何が悪いものですか。みなさんもサイエンスの魅力に気づいてくれたんですね。泣けてきました……」吉田は眼鏡を取って着古した白衣の袖で目を拭っている。違いますけど、と言ってしまうのも申し訳なく、良は康平と顔を見合わせた。

「そんなことよりヨッシー、試薬用の冷凍庫使っていい?」珠理は教壇の横にある、準備室に繋がる扉を指差した。

 吉田は眼鏡を掛け直す。「用途は?」

「それ。チャールズが持ってるやつ」珠理は教壇の定位置に収まった吉田と実験台の良、康平を交互に見て言った。「たぶん、書き損じが怖い中身だけ、消せるボールペンで書いたんじゃね? あれって、インクの色素が六〇℃以上になると無色になるから、消しゴムとかの摩擦熱で消せるんだよ。最近春にしちゃ暑かったし、手紙が下駄箱の中で保管されてるうちに六〇℃以上になって消えちゃったんじゃねーのかな」

「冷凍庫は?」と康平が口を挟む。

「マイナス二〇℃以下になると消えたのが元に戻るんだよ。家庭用の冷凍庫でもいけるけど、あれ大体マイナス二〇℃だし、試薬用のやつだと確かもっと冷えたはず……」

「そこにあるのはマイナス二十八℃のモデルですよ」吉田は親指で背後の黒板の向こう側にある準備室を指差した。「以前過酸化水素水保管のために押し切って導入しました。明らかにオーバースペックなんですけどね……」

「使っていい?」

「構いませんが、紙ですよね。密閉できるポリ袋に入れることをおすすめします。結露するといけませんから」

「オッケー。それと、サーモインクってある?」

「ありますが……用途は? 無色になるものではないですよ。対流も見られてあれはあれでいいものですが」

「こいつらに見せてやろうと思って」

「それは……素晴らしい!」吉田は教師用の実験台を掌で叩いた。「ですがどうせなら、身近な物質で実験してはいかがでしょう」

「身近な……」と応じ、ややあってから珠理は手を叩いた。「おい康平。お前原チャ通学だったよな」

「何、パシリ? 勘弁してよ……」と応じつつも、康平は通学鞄から財布とキーを取り出した。

「いいから行ってこい」珠理は出入り口の方を指差して言った。「スーパーで片栗粉、ドラッグストアでうがい薬、ヨウ素入ってるやつな!」

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