Project #34 黄泉からの手紙

2-1. 白紙

 拝啓、妹様

 新しい環境は刺激に満ちており、卒業するまでに慣れることができるのか不安になってきました。中でも、化学室で牛タンを焼いていた金髪のギャルに絡まれ、気づいたら図書室の室内環境汚染について調べていたことが何よりも(物理的に、化学的に?)刺激的でした。田舎のギャルとヤンキーに絡まれたら終わりだと父さんに脅されましたが、まったくその通りだと思います。

 でも、人に振り回されるのは意外と楽しいです。これまで、周りで誰かが騒いでいたことはあっても、僕自身が誰かに振り回されることはなかったのです。(家族のことは除きます)あなたの兄は、無意識に自分の周りにあることを、すべて他人事にしてきたのかもしれません。

 通学のバスは田んぼの中を走っているし、お店は全部国道沿いかショッピングモールの中にあります。夜八時をすぎたら周りに買い物ができるところはコンビニしかなく、使える宅配ビザは一軒だけです。(ウーバーは自転車ではなく、バイクで走っています!)当たり前とすら思わなかったことが、ここでは当たり前のように存在しないのです。東京の便利さしか知らなかった自分が、段々怖くなってきました。

 そちらは、悩み多いながらも前向きに頑張ろうとしている様子が伝わってきます。母さんが悪口を言うのは、どこかにはけ口が必要だからなのだと思います。それがあなたに向かわず、一緒にいない僕と父さんに向けられているのなら、そのままにしておくのがよいと兄は思います。

 あなたと、僕たちの母さんの幸福を祈ります。  良

 

 追伸 眼鏡はナメられると父さんが言うからコンタクトにしたのに、結局先述のように金髪のギャルに絡まれました。父さんはいつも適当なことばかり言っています。



 呪われた図書室について、今朝のホームルームで配られたプリントは、昼休みになっても教室の話題を席巻していた。結局、塗料由来の残留化学物質だったこと。部屋を暖めて揮発させる措置が取られ、早ければ六月にも使用可能になること。保護者の方々からの問い合わせ窓口を設けること。

 しかし、二年C組の教室では、もっぱらプリントが配られるに至った経緯の方が話題になっていた。A組の、派手な金髪で知られる木暮珠理という女子生徒が、部活動の中で忌書の呪いの正体を突き止めたというのだ。

「科学部って凄かったんだな」筒井つつい駿太しゅんたが言う。「部員不足で何年か前に統合されたんだろ?」

「さあ? そうらしいけど」

 潜め笑いを交わしながらこちらを見ていた女子のグループに手を振り、駿太は言った。「つーか康平お前科学部じゃなかったっけ?」

「幽霊部員だけどね」と赤木あかぎ康平こうへいは応じた。「あそこ、真面目にやってる部員は木暮さんだけだよ。去年は何人かいたんだけど、みんなそんなに真面目じゃなかったし、木暮さんとノリが合わなくて辞めちゃったんだよね」

「ノリ良さそうじゃん」

「木暮さんはね。他は駄目だった。レシプロとロータリーの違いもわかんねーし」

「ほんと好きだよな……」駿太の色黒だがあどけなさが残る顔が苦笑いになる。「高専行けばよかったじゃん。そんな好きなら」

「まったくだよ。俺は生まれる時代も通う学校も間違えた」康平は、ペンケースに着けたロータリーエンジン型のキーホルダーを指で撫でた。

 前崎市は自動車産業が盛んであり、メーカーや販売店に人材を送り込むための高専や専門学校が多数存在する。この街の少年たちにとって、先が見える数少ない進路のうちの一つだった。しかし、その進路を進もうとする若者は、偏差値が高くなればなるほど少なくなる。前崎中央高校において、康平は少数派で、駿太が多数派だった。少し前まで、この学校の生徒指導では、『ちゃんと勉強しないとクルマ屋になる』が定番の脅し文句だったのだという。

 時代を間違えたクルマ少年である康平の一方、万年県予選一回戦敗退のサッカー部に所属する筒井駿太は、それでも中学からサッカーを続けるサッカー少年で、今は二年にしてレギュラーの座を射止めている。自宅の部屋は、贔屓にしているイギリスのクラブチームのグッズや選手のポスターが所狭しと飾られている。髪型は、憧れの選手に似せたという黒髪の短髪だった。

 どんな学校でもどんな教室でも、なぜかクラスには中心になって周りを盛り上げる生徒がいる。二年C組ではそれが筒井駿太だった。そしていつも、駿太の周りには女子の壁ができる。彼女たちは駿太目当てでやってきて、駿太と話す言い訳作りのように康平と話す。

 顔ではないのだと康平は確信していた。敢えて言うなら、オーラのようなものだ。

 対する赤木康平は、彼に比べれば地味な方だ。髪を染めてみても、ツーブロックにしても、制服を着崩してみても、クラスの中心からは少し外れている。決して隅ではないものの、自分の言葉がクラスに響いていると感じることは、康平にはほとんどなかった。

 好きな物は、クルマだ。

 特にロータリーエンジンを積んだクルマが好きだった。小さい頃、親戚が乗っていた赤いRX‐7の、他のクルマとあまりにも異なる、巨大な生物の息遣いのような独特のエンジン音が、康平の魂にも火を点けてしまったのだ。

「クルマ屋って何学部行けばなれんの?」

「自動車メーカーなら工学部だろ」と応じた駿太は、また前を通るクラスメイトに手を挙げて応じている。

「いやそうじゃなくてさ、自分のクルマ屋。カスタムPRO SHOP赤木みたいな感じの」

「……自動車整備士?」

「やっぱ高専か。高専だったよなあ……」

「クルマの専門学校行けばいいじゃん。俺の叔父さんもそこ出てメーカーで働いてるよ」

 駿太のこの物言いが、実は少し、苦手だった。

 クラスの中心で笑っていても、相手を冷静に値踏みして、人によっては心からは笑わず、誰にでも分け隔てなく接する優しい男子生徒を事務的に演じているような時がある。中学三年の時に初めての彼女ができてから、高校二年の今までに、康平が知るだけで五人の恋人の間を渡り歩いている。すぐに別れてしまうのは、親密に接すれば誰でも、彼の冷たい部分に気づかずにはいられないからなのではないかと思う。たとえば、少し前まで『勉強しないとクルマ屋になる』と生徒指導の先生が言っていた学校で、クルマの専門学校に行けばいいじゃんと平然と口にしてしまうような。

 誰にでも、大なり小なり似たようなところはある。だからそれを理由に駿太を責めることはない。たとえ中身のない笑顔のためにどんなに苛つかされたとしても、友達と名のつく関係には常に笑顔を返すことが義務づけられている。

 だが、その日の駿太は、雰囲気がいつもと少し違った。楽しそうに笑っているか、つまらなそうに笑っているか、あるいはただ人間関係のために笑っている顔ばかりの駿太が、いつの間にか、表情に不安を覗かせていた。

「康平、木暮さんと仲良い?」

「まあ、普通に話すけど。中学同じだし」

「じゃあちょっと、調べて欲しいことがあんだけど」

 そう言って、駿太は机の中から何か取り出して、康平の机の上に置いた。

 封筒だった。筒井くんへ、と書かれている。

「何これ」

「下駄箱に入ってた」

「すげ。ラブレターってやつ? 実物初めて見た。出す人いるんだ」

「いいから、中見てみろよ」

「……それヤバくね。プライバシー的に」

「じゃあ俺が開けるから」駿太は何度か開け閉めして糊が弱ったハート型のシールを開け、中の便箋を取り出した。

 受け取り、意を決して開き、そして康平は首を傾げずにはいられなかった。

 二枚入っていた便箋は、いずれも白紙だった。

「気味悪くってさ。ヤバい呪いとかだったら嫌だし……調べてくんね? 科学部で」と駿太は言った。「実は俺、先輩から聞いたことあるんだよ。そういう噂」

 不安が半分、もう半分は、一応科学部である自分を介しての木暮珠理という話題の女子とのワンチャン狙いだろうな、と康平は思う。

「噂って?」

「下駄箱に届く白紙の手紙は、死人からの手紙らしい。……ま、ありえないと思うけど」鼻で笑う駿太には、心なしか虚勢の色が混ざっているように見えた。

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