1-11. グリーンモール前崎にて
だが、部活問題に決着がついていないのは事実だった。
同じクラスの支倉佳織は、三日に一度は良を文芸部に勧誘してくる。そのたび、何か理由をつけて入部するともしないとも明言せずにやりすごした。善意に甘えているようで苦しかった。そして自分が、向けられた善意を角が立たないように断る方法も、受け入れる方法も知らないことに気づいた。同性だったら、入る、または入らないと雑に一言告げてしまえばそれで済むのに、相手が女子になった途端に、頭がごちゃごちゃになって、何を言えばいいのかわからなくなってしまう。
松川、竹内、梅森の三人組は、雑談している時の居心地は素晴らしいが、何か相談をするような間柄ではなかった。妹にこんなことを話すのは気恥ずかしかった。超ウケるんですけど、と笑われてしまう。
そして、悶々として過ごした週末のことだった。
梅雨に備えて靴を買うという父の運転で、郊外のショッピングモールに向かった。市の北の方にある〈グリーンモール前崎〉である。駅前からは路線バスが通じているが、客の大半は自家用車で訪れ、巨大な立体駐車場に停める。周辺はロードサイド型店舗が密集しており、隣の敷地には巨大なホームセンターが見える。
父、安井弘行は、靴が好きな男だった。機能性やデザイン、素材、等々のこだわり要素にそれぞれ特化したものと、定番の数足を常備せずにはいられないのだ。そして買う時は、事前に目標を定め、合致するものがあれば即決する。今日は『滑りにくく、歩きやすく、革だが耐候性に優れた、黒ではないビジネスシューズ』とのことだった。
とはいえ、付き合いで行くといいこともある。車を降りると、父は五〇〇〇円札を良に渡した。
「活字に限り、予算内で自由に買っていい。一時間後目安で連絡するから、それまで一時解散」
「ありがたや……」
「できれば金以外で親の威厳を発揮したいのだが」
「十分発揮してるよ」
「ヤンキーにカツアゲされそうになったらすぐに連絡すること」
「大丈夫だって」財布をサコッシュに入れて良は応じた。
引っ越して最初の週末に、荷物の片づけもそこそこに訪れて以来だった。その時は果てが見えないほどの巨大さに圧倒されるばかりで、結局隣のホームセンターで買い物をして帰ってきてしまったのだ。
家族連れ。若者のグループ。最上階にあるシネマコンプレックスから、感想を言い合いながら降りてくる若い男女。スターバックスに行列ができ、通路は気を抜くと他の通行人と肩がぶつかってしまうほどに混雑している。
モール内案内図を確認してから書店へ向かった。大手の靴のチェーン店とは建物の反対に位置していた。
モールに入居しているのは、前崎市を中心に県内に多数の店舗を構えている書店チェーン〈上杉屋書店〉だった。手前に雑誌、児童書のブース、コミックコーナー。レジ前に新刊と話題の本の平台、文庫コーナー、学習参考書や資格試験の本。始めて入るのに安心感がある店内で、値段を見ながら文庫を四冊買った。うち一冊は、担任の畑中から薦められた司馬遼太郎の時代小説だった。
時計を見ると、まだ父との待ち合わせには時間があった。ひとまず、歩き回ってみることにして、店舗最上階の三階から一階まで見て回る。そして、買った本を読んで待とうと二階にあるフードコートに足を踏み入れた時だった。
大人の腰の高さほどの仕切りで区切られて並ぶテーブルの一角に、見知った顔があった。田舎は狭いからみんなショッピングモールに集まるし、大体顔見知りに会うんだと、父が半ば冗談のように語っていたことを思い出した。
気づかなかったふりをして、通り過ぎようとした。だが向こうが気づいてしまった。金髪のギャルだった。
「チャールズ!」と木暮珠理が言った。
向かいでは林瀬梨荷が、テーブルに半ば突っ伏すようにしてスマホを弄っていた。彼女もまた良に気づき、上体をゆっくりと上げてひらひらと手を振った。
ひとまず手を振り返す。そのまま立ち去るべきか思案していると、珠理に手招きされてしまった。
近づいていくと、珠理が自分の隣の空席を指差す。
「な、なんですか。カツアゲですか……」
「ちげえよ。まあ座れって」珠理は片手で椅子を引く。
「ひっ……」
「良くん一人?」と瀬梨荷。
「いや、父親と来てて。用事済ませてあとで待ち合わせして帰ろうって……」と応じて腰を下ろしたところで、テーブルの上に意外なものが広げられていることに気づいた。
教科書、ノート、単語帳、受験参考書。すべて珠理を中心に放射状に並んでいた。一方、瀬梨荷の方にはモバイルバッテリしかない。
「テスト勉強……?」
「家は弟いて落ち着かねえし」と珠理。「図書館とかはちょっと遠いし、なんか座ってると変な目で見られるし。ここが一番落ち着く」
「うちらの指定席だもんね」瀬梨荷は笑う。
私服姿を見るのは初めてだった。珠理の方は黒い細身のパンツにパーカーで、椅子にデニムジャケットが掛けられていた。大して瀬梨荷の方は、肩の出た少し韓国っぽい黒いワンピース姿だった。
何買ったの。本だよ。まだテストまで日があるのに。私服いいじゃん。地味だけど逆に東京っぽい。逆にって何。等々。世間話を必死で乗り切っていると、不意に瀬梨荷が言った。
「意外でしょ。珠理って超真面目なの」
「そっちが不真面目すぎんだよ」
「いや、珠理が超なんだって。去年の期末だってヤバかったじゃん」
「赤点に言われるとなんかバカにされてるっぽいんだけど……」
「してませーん」
「どうだか」
「もしかして」ふと思い当たって良は言った。「学校の図書室で勉強とかしてた?」
珠理はノートを見ていた目線を上げた。「誰があんなところで。支倉がいちいち絡んできてうぜーんだよ」
「支倉って、F組の支倉さん?」
「そうそう」代わって瀬梨荷が応じた。「中学の時に、珠理とちょーっと色々あってね。今めっちゃ険悪になって、そのまま」
「それはどうでもいいんだよ」と珠理。「それよりチャールズ、お前文芸部入るの?」
「決めてはいないけど……」
「いいじゃん文芸部。今日も本買ってるみたいだし」瀬梨荷は青いマニキュアに彩られた指で良の買い物袋をつついた。
「答えを引き延ばすのはクソ野郎のすることだぞ」珠理の目は問題集に戻っていた。「入るにしろ入らないにしろ、さっさと決めろよ」
「それなんだけど」と良は言った。もういっそ、彼女たちに相談してみようと腹を決めたのだ。
文芸部には誘われ続けていること。入部を迷っていること。引き延ばして申し訳ないと思っていること。それ以上に、彼女の善意に、どう対応したらいいのかわからないこと。支倉さんが男子だったらこんなこと考えないのに、とまで言ってしまった。
「良くん男子校だったんだ」と瀬梨荷。「なんかそれっぽいかも」
からかうように笑っている瀬梨荷。だが、珠理は音を立ててシャープペンシルを置いた。
「……完全に恋じゃねーか!」
「ひっ……!」
「やっぱり時代は清楚で真面目なポニテ眼鏡か。ちくしょう、あたしもグラサン買おうかな」
「ギャルが極まるからやめときなって」乾いた笑みの瀬梨荷。「それに、良くんのはそういうのじゃないと思うよ」
「じゃあなんなんだよ。ドキがムネムネするやつじゃねーのか」
うーん、と顎先に指を当てて、瀬梨荷は首を傾げて良を見た。「言ってもいい?」
「うん。お願いします」
「怒らないでね」
良はもう一度頷く。
良と瀬梨荷に目線を往復させる珠理。その瀬梨荷は、両手を膝に置き、にっこり微笑んで言った。
「ただの下心じゃない? それって」
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