1-8. モルモット
そして翌日の昼休み。
引っ越してから、父は帰りが東京時代とは比べものにならないほど早くなり、毎日の夕食を自炊するようになった。しかし父に任せるとどんな料理も濃い味になるため、良も台所に立つ機会が多くなっていた。
昼食は、学校の近くにあるコンビニで買ったものを食べるか、学食を利用することが多い。その日はコンビニの周期で、良は松川たち三人と一緒に教室の端の方に固まって食事を済ませていた。
休み時間は、身体の大きい竹内が何かのライブイベントの神演出について語っているのを聞いたり、痩せた体型に見合わずタフな松川による青春18きっぷを使った珍道中の話を聞いたりしているとあっという間に過ぎていく。おかげでこの二週間あまり読書が捗らず、代わりに声優の名前と全国の鉄道路線名に詳しくなってしまった。そして放っておくと梅森を突っ込み役としてヒートアップしてしまいクラスから白い目を向けられる彼らを制止する役目が、いつの間にか良のものになっていた。
「そういやヤッシー大丈夫だったのか?」と梅森が言った。「なんかぶっ倒れたんだろ。図書室で」
「うん。ちょっと呪われちゃって。でも大丈夫」
「じゃああの噂って、本当……?」竹内が大きい身体を小さくさせる。
松川が即座に言った。「馬鹿馬鹿しい。何か別の原因があるんだろ。俺は信じないぞ。馬鹿馬鹿しい」
「でも呪いじゃないらしいよ」
「違うんだ。よかった……」リラックスする竹内。少し専有面積が広まった気がする。
「結局どっちなんだよ」梅森が上体を良の方に傾けて言った。「呪いなのか、呪いじゃないのか」
「僕が呪われたから、呪いじゃないって、木暮さんは言ってたけど」と良。「そういえば、学校がやった調査の話って聞いてるの?」
「水性塗料だから本来安心、調べても何も出なかった、だから学校に責任はないものと考えております、ってやつだろ」いかにも非を認めない謝罪会見のようなものまね混じりで松川が応じた。「親がキレてた。図書室とか使わないから俺はどうでもいいが」
「文芸部とかは死活問題かもなあ……」梅森が教室の対岸の方を見た。
つられて目線を向けると、支倉佳織がいた。ちょうど友達と一緒に広げていた弁当箱を畳み始めたところだった。
気づいた彼女と目が合って、良は慌てて目線を戻した。
竹内が青い顔になっていた。「原因不明ならやっぱり呪いなんじゃ……」
「そんなわけあるか馬鹿」松井はあくまで否定派だった。
「噂とか聞いたことあるの? ほら、学校の七不思議的な」
「ヤッシーさあ、そういうの俺らに訊くなって」梅森は肩を竦める。「俺ら部活とか入ってないし、そういう話を教えてくれる先輩ってのがそもそもいないんだよ。なんかあるってのは聞いたことあるけど」
「うちの学校、歴史はあるしねえ」と竹内。
「歴史だけは」松井が鼻で笑う。
「前の学校はそういうのなかったのか?」
梅森に訊かれ、良は腕組みになる。「私立の歴史が浅い学校だったし。全然なかった。でも、あるところにはあるんだねえ……なんか感動」
「そこ感動するとこかあ? ヤッシーって……」梅森は途中で言葉を切った。
すると、良は後ろから肩を叩かれる。振り返ると、ブラウンのセルフレームの眼鏡にポニーテールの、支倉佳織の姿があった。左手を後ろに回し、右手で前髪を直していた。
「ね、安井くん」両手を後ろに回して彼女は言った。「部活のことなんだけど……考えてくれた? 昨日、変なことになっちゃったし」
「文芸部?」
「うん。どうかな? 入部届の用紙、先生にもらってきたんだけど……」
佳織は、言葉の通りに入部届と書かれたA4の用紙を両手で差し出した。部活名の記入欄。氏名とクラス、住所、保護者のサインと緊急連絡先の記入欄。
良はその用紙を受け取り、「ありがとう」と応じた。そして、まず見学、だから直近の活動日を訊こう、と考えをまとめた時だった。
教室前方の引き戸が勢いよく開いた。
穏やかな教室への闖入者に視線が集中する。だがそれを物ともせず教室に入り、教壇を踏み越え、そして支倉佳織を押し退けて良の前に立った。金髪のギャルが。
「ひっ……」と良は悲鳴を上げた。
木暮珠理は良の前に仁王立ちして言った。「ちょっと来いチャールズ。あたしにはお前が必要だ」
「ひぃぃ……」
「ぐねぐねしてんじゃねーよ。行くぞ」
またも襟を掴んで引っ張られる。助けを求めて松川たちに目線を送るが、彼らは揃って笑顔で小さく手を振っている。まるで国旗を振る市民に応じる皇族のようだった。
「木暮さんっ!」声を張り上げたのは、やはり佳織だった。「昨日といい今日といいあなたなんなの!?」
珠理は眉根を寄せて佳織を睨んだ。「おめーらが騒いで、大人たちがなかったことにしたがってる図書室の謎を解くのに、こいつが必要なんだよ」
「安井くんをどうする気?」
問われ、珠理は少し斜め上を見上げて考えてから言った。「ヒト官能試験の被験者。わかりやすく言えばマウス、ラット、またはモルモット」
「モルモット……?」
予想だにしない答えに虚を突かれたのか呆然としている佳織。その間に、良は教室を引きずられて廊下へ連れ出されていた。
尚も首根っこを掴まれたまま良は言った。「あの、モルモットって。まさかまたあの部屋に」
「あの部屋で、お前は何を感じた? それが呪いの正体を解く鍵だ」珠理は手を離した。「人体って、最高に優秀なセンサーなんだよ」
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