1-2. 悪いことは言わねえ
前崎市は、関東地方の北の外れに位置する中核都市の一つである。人口は三十七万人で、県庁所在地よりも多い。かつては炭鉱や生糸の生産で栄え、昭和期の国内旅行ブーム時は東京圏から多くのスキーリゾート客を迎えたが、景気の後退に対抗する次なる地域振興の一手を打ち出すことができず、衰退の一歩を辿りつつある。コロナ禍を経ても、東京からの移住者が増えることはなかった。むしろ若者たち、特に女性が東京圏へ流出する一方なのだとか。
新幹線は各駅停車しか停まらない駅前には全国的に有名なシャッター通りのお化け商店街があり、近年ではこれを逆に利用した映画やドラマのロケ誘致が盛んになっている。主要な農産物はりんごだが、青森に比べると全国的な存在感は薄い。主要産業は県内にある自動車メーカーの工場とそれに連なる機械産業だが、これも昨今押し寄せるEVシフトの波に押し流されようとしている。リチウムイオンバッテリの工場を誘致しようという計画はあるが、地域振興効果は少々大袈裟に語られている節がある。もう一つ、電子機器製造業が主要産業として挙げられるが、これもメーカーが倒産の危機に陥って海外メーカーに工場ごと売却されてしまった。果物と小麦の生産が盛んであることからそれらの加工品が有名、ということになっている。市内に多く存在するうどん屋がその証拠とされているが、お昼時は讃岐うどんチェーンの方が混雑しているのだとか。
空洞化した駅前に代わって、郊外に大小二箇所ある、いずれも大型駐車場を備えたショッピングモールが大いに栄えており、市民の文化的な生活を支えている。それぞれ周辺にはロードサイド型の店舗が集まっており、若者や家族連れが好むアミューズメント施設の類いも駅前ではなくモール周辺に位置している。
JRの他には無人駅だらけの私鉄が一本あり、郊外の新興住宅地に繋がっている。だが、車を持たない市民の生命線になっているのは、駅前から放射状に伸びるバス路線である。とはいえ路線によっては一時間に一本かそれ以下。始発である前崎駅から三〇分もバスに揺られれば、左右には遮るもののない田園風景が広がっている。
どこにでもある地方都市と乱暴に語ってしまっても嘘にはならないし、むしろ正鵠を射ている。それが前崎市である。
東京では大手新聞社に記者として勤めていて、今は前崎支社で地域面や文化面を担当している父親の仕事の都合で、新しい住まいは駅前に近い。良の、前崎中央高校への通学は、三〇分に一本ある路線バスに乗って十五分ほどになる。
転校してきて驚いたのは、学校の駐輪場に停まっている、生徒が通学に使っているスクーターの多さだった。以前の学校では、自転車通学者さえ珍しかったのだ。東京圏のあちらこちらから生徒を集める私立の進学校だったため、自転車通学圏に住んでいる生徒は逆に珍しかったのだ。良も、ところどころすし詰めになる電車に三〇分ほど揺られて毎日通学していた。スクーターに乗る生活など想像もしたことがなかった。
父は『免許は取っておけ。すべての人には移動の自由が必要だ』などと言っているが、教習所に通う気にはなかなかなれなかった。
だが、通学にも慣れてくると、結構な時間をかけて自転車通学したり、いっそ原付バイクを使ったりする生徒たちの気持ちが少しわかるようになった。三〇分に一本というバスの本数が、半端に長いのだ。加えて、三〇分に一本とはおおよそであり、正確には三十五分程度であることが多い。そして、バスは時刻表通りに来ない。バス停でぼんやりしながら同じ制服を着た生徒がスクーターで走り去るのを見送るうちに、父の言う移動の自由という大袈裟な言葉の意味が理解できるようになった。とはいえ父は記者稼業が身に染みつきすぎたためか、いつも大袈裟で社会派な物言いをする。
しかし転校から二週間が経ち、幸い下校時間と今一つ合わないバスをバス停で待ち続ける代わりに、所属する二年F組の教室で放課後の時間を潰すことができるようになった。
「やべー人がいたんだ。化学室に。三階のさ。化学室で牛タン焼いてたんだよ。金髪のギャルっぽい人が、白衣着て!」
痩せていてひょろりと背が高い
松川は隣の、ころころと太った
更に隣の、クラスで一番背が低い
「有名だよ。科学部全員シバき倒したとかで。安井がそうならないことを祈ってるよ……」松川は、鞄に着けた何かの鉄道ロゴのキーホルダーを忙しなく触っていた。
竹内は、白地にピンクのマフラータオルで顔の汗を拭う。ライブツアー2022、などと書かれている。その竹内は、目を泳がせて言った。「中学の頃、嫌がらせしてきた先輩三人を病院送りにしたとか……ヤッシーくんも気をつけてね」
「関わらねえ方がお互い幸せってのあんじゃん」梅森は鼻を鳴らして笑う。彼の親指の爪は何かの塗料のようなもので汚れている。「人種がちげー。世界がちげー。そういうのあんだろ。近づかねえのがヤッシーのためだぜ」
「そんなやべー人なの。三年生?」
良が訊くと、三人は顔を見合わせた。答えたのは竹内だった。
「二年だよ。僕らと同じ」
「でも……」良は放課後の教室を見回す。バス待ちや待っている生徒に合わせて雑談している生徒が合わせて十五人ほど残っている。「あんな金髪の人いないし」
教室に並ぶ同級生たちの髪色は、かつての学校ほど黒一色ではない。少し明るい色に染めていたり、凝った髪型にしていたりする生徒もいる。だが、化学室で見かけた金髪牛タン女子のように、大人が一見して眉を顰める髪色は一人もいない。
「あの人理系クラスだから。文系クラスの俺らとはそんなに関わりないし、だから安井もまだ見たことないのかも」と松川。
「AとFで、端と端だもんねえ」竹内はのんびりした口調で言った。
前崎中央高校の二年生は全部で六クラスあり、AからCが理系、DからFが文系である。三年になると、A組とD組はそれぞれ理系特進、文系特進クラスになり文理それぞれの成績優秀者が集められる。とはいえ二年でもテストの結果で平均点を取るとABC、DEFの順に優秀なのだという。進級時に、一年時の成績順にA、B、C、A、と割り振るためだ。
良は転入する時に、このようなクラス分けの仕組みを後に担任になる畑中から解説された。良がF組なのは、F組だけ人数が一人少なかったから、来年は文系特進のD組を狙って勉強に励んでほしい、とも言われた。
かの金髪牛タン女女子が理系と言われると意外な気がした。理系は勉強が好きな人、文系はそれ以外の人が進むものだと思っていたし、派手な金髪と勉学は、良の中ではあまりしっくりこない組み合わせだった。それも、一番成績優秀だというA組。
考え込んでいると、竹内が持ち前のハスキーな声で言った。
「安井くん、なんで化学室なんか行ったの?」
「畑中先生に、文化系部活なら一階の図書室周りか三階の特殊教室らへんだって言われて……」
「うち別に部活強制とかじゃねーからな」梅森は胸を張る。「入らなくてもいい。堂々と帰宅部でいい」
「梅森くんはどこも入ってないの?」
「おう。この学校、模型同好会がないからな!」
「松川くんは……」
「鉄道研究会があれば入るが、ない」松川は自分の言葉に力強く頷く。「それに俺は、馴れ合わず、一人で自分の道を究めたい」
「竹内くんは……」
竹内は消え入りそうな声だった。「アイドル研究会とかあれば……できれば声優専門で……」
つまり、みな帰宅部ということだ。
良は安堵せずにはいられなかった。他にも帰宅部がいるなら、無理して部活に入らなくてもいい。入ったとしても、二年から馴染むのは難しいかもしれないのだ。
だが、彼らのように他に夢中になっているものがあるわけでもない。
「ヤッシーなんか興味ある部活とかあったのか?」
梅森に訊かれ、「ないわけじゃないけど」と良は答えた。
松川の眼鏡がきらりと光った。「……運動部か? 運動部は、敵だ」
「まあまあ」竹内はやはりのんびりと言った。「ほら、合わない人っての、いるでしょ……?」
「それは正直わかる」良は苦笑いで応じる。
「前の学校では? 部活、何かやってたの?」
竹内にそう訊かれ、良はどう答えたものかと少し思案した。
前の学校で所属していた部活は、名前は文芸部だったが、最初は部長の影響で事実上のハードSF研究会になっていた。活字ならなんでもよかったためそのまま所属していたが、良が中学三年になった頃には世代が入れ替わり、今度は事実上のアニメ同好会になった。部員とも次第に話が合わなくなり、高校に上がった時には幽霊部員になっていたのだ。
良は黒板の上に掛けられた時計を見た。時刻表通りなら、そろそろ学校前のバス停に向かった方がいい時間だった。
「文芸部。幽霊だったけど」と良は応じた。
すると、梅森が「そりゃお気の毒に」と言った。
「文芸部、今活動休止中だぜ。幽霊のせいで」
「幽霊……?」
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