第20話 終戦

 アイスランドに助けに来たのは北野だったので樹は驚いた。軍用ヘリ、チヌークのコックピットから北野はシグルズ学園の校庭に降り立った。

 北野は「樹さん、あんたも悪運が強いな?」と微笑んだ。

「卜部はどうした?」

「知りませんよ」

「とぼけるな!」

 樹は寒空に吠えた。

「とぼけてねーよ!」


 英樹は京都御苑近くのビジネスホテルに宿泊していた。

 那智がニュースで復讐法を廃案にすると言い出したので、英樹は唖然としていた。Xデーまで残り3日だ。兄に連絡を入れた。INTERPOLに取調べを受けたが、諸外国から那智は悪玉と見なされており、ジグルスから運び出した手榴弾などを返してもらったそうだ。


 平安大学のラグビー部が選手権大会に向けて猛練習を重ねていた。しかし、ある日、悪質なタックルにより、チームのエースである選手、竹山たけやまが重傷を負う。この事件をきっかけに、さまざまな問題が浮上してくる。


 事件に関与した選手の関係者や、その背後には合法ドラッグの使用や密売が絡んでいることが発覚する。ドラッグの影響により選手や関係者の行動が異常化し、チームの絆が崩れていく。


 警察に協力して合法ドラッグ撲滅のために働いていたラグビー部顧問の橘らは、警察に裏切られ、弁護士の紅子以外の9人全員が逮捕・収監されてしまう。 橘は謎の敵がドラッグで稼いだ金を使って神経ガスによるテロを起こそうとしていることに気づいたが、誰も聞く耳を持ってくれない。 ところが、橘らが逮捕される原因を作ったVTuberの墓村はかむらって男性から、謎の敵がドラッグの製造に使っていた場所がかつては研究所で、爆発事故によって閉鎖されたこと、その事故で大怪我をした北野という軍関係者が何かを知っているはずであることを知らされる。 そして、その北野とは橘らの因縁の敵、『ゴーレム』だった。

 ゴーレムは、ユダヤ教の伝承に登場する自分で動く泥人形。「ゴーレム」とはヘブライ語で「未完成のもの」を意味し、これには胎児や蛹なども含まれる。

 作った主人の命令だけを忠実に実行する召し使いかロボットのような存在。運用上の厳格な制約が数多くあり、それを守らないと狂暴化する。


 ラビ(律法学者)が断食や祈祷などの神聖な儀式を行った後、土をこねて人形を作る。呪文を唱え、「אמת」(emeth、真理、真実、英語ではtruthと翻訳される)という文字を書いた羊皮紙を人形の額に貼り付けることで完成する。ゴーレムを壊す時には、「אמת」(emeth)の「א」( e )の一文字を消し、「מת」(meth、死んだ、死、英語ではdeathと翻訳される)にすれば良いとされる。


 また、ゴーレムの体にはシェム・ハ・メフォラシュ (Shem-ha-mephorash) が刻まれている。これは、『旧約聖書』「出エジプト記」14章の第19節を縦書きで下から上に書き、その左に第20節を上から下に、その左に第21節を下から上に綴り、それを横に読んだ3文字の単語の総称であるとされる(ヘブライ文字で書くと、19、20、21節ともそれぞれ72文字になるため、3文字の単語が72語できる)。


 ラビによる創世記の解釈の中には、生命の息吹を吹き込まれる前の土人形としてのアダムをゴーレムとするものもある。

   

 卜部は留守によって監禁されていた。横須賀のどぶ板通りにある寂れたバーの地下にあるワインセラーだ。

 留守は、結束バンドで身動きの取れない卜部の鳩尾に、ボディーブローを叩き込んだ。

 留守は今にも吐きそうな顔だ。

「言え!紅子はどこにいる!?」

 留守は一時期、飛車ひしゃ出版で編集マンをしていたことがある。作家の卵の頃は誤字や脱字、ストーリーにもインパクトがなく、ベストセラー作家の兆しなど皆無だった。弟が殺されたのは、きっと俺への当てつけだ。

「誰が言うかよ……」

 卜部は唾を留守の足元に吐いた。紅子を愛しているのは樹だけじゃない。あの野郎、彼女を不幸にしやがって!ここから出たら思い切りぶん殴ってやる。

「いい気になるなよ?」

 留守はいつの間にか手にしていた、ダガーナイフを卜部の首筋に充てがった。

 

 Xデーまで残り2日

 北野は『ゴーレム』というハンドルネームでドラッグを売り捌いていた。

 ゴーレムこと北野が収監されている刑務所に潜入した橘は北野にテロについて伝える。 すると北野は橘が追っている謎の敵が友人の樹であり、那智を倒すことを計画しているのだと言う。

「この会は樹の絶好のターゲットだ」

 橘はテロ計画を止めるためにかつての仲間を集めることにする。


 まず橘が全ての罪を認めると証言することで、バラバラに収監されていたメンバーを審問のために橘が収監されている刑務所に集める。 そして、Xデーの午前11時、所長が演出する囚人らによる歌舞伎に乗じてメンバー全員と北野が脱獄すると、北野以外のメンバーは樹が狙う平安大学に向かう。講演会まであと3時間しかない。  

 演目は『仮名手本忠臣蔵かなでほんちゅうしんぐら』だ。寛延元年(1748年)8月、大坂竹本座にて初演。全十一段、浄瑠璃作者で座本の二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作。通称「忠臣蔵」。赤穂事件を題材に、時代背景などを室町時代(南北朝時代)に変更した演目である。

  

 あらすじは次のとおりだ。時は暦応元年(1338年)二月、塩冶判官高定は、足利尊氏の代参として鎌倉鶴岡八幡宮に参詣する足利直義の饗応役を命じられる。しかし塩冶判官は指南役の高武蔵守師直から謂れのない侮辱を受け、それに耐えかねた判官は殿中で師直に斬りつけるが加古川本蔵に抱き止められ、師直は軽傷で済む。判官は切腹を命じられ塩冶家は取り潰しとなる(大序、二段目、三段目、四段目)。判官切腹の際に高師直を討てとの遺命を受けた家老の大星由良助は、浪士となった塩冶家の侍たちとともに師直への復讐を誓い、それを計画し実行する(四段目、十段目、十一段目)。


 この他に複数の段にわたるエピソードとして、早の勘平のエピソードと加古川本蔵のエピソードがある。


 塩冶家譜代の侍である早の勘平は、刃傷事件の際に腰元のおかると逢引をしていてその場に立ち会えず、おかるの故郷の山崎に、おかるとともに駆落ちする(三段目)。おかるの父与市兵衛のもとで猟師として暮らす勘平は、山崎街道で猪と間違えて人を撃ち殺してしまう。勘平が撃ったのは、与市兵衛を殺して金を奪った斧定九郎であった。暗闇の中で勘平は自分が殺したのが定九郎であることに気付かず、定九郎のふところの金を奪う(五段目)。与市兵衛の遺体が見つかり、与市兵衛の女房や塩冶浪士の千崎弥五郎、原郷右衛門から与市兵衛を殺して金を奪ったと責められた勘平は切腹する(六段目)。一方、京都祇園の遊郭に売られたおかるは一力茶屋で由良助と出会い、おかるの兄寺岡平右衛門は仇討ちへの参加が認められる(七段目)。


 加古川本蔵は塩冶判官とともに直義の饗応役を命じられた桃井若狭之助の家老である。本蔵の娘小浪は由良助の息子力弥とは刃傷事件の前に婚約していた。小浪は力弥に嫁入りするため、本蔵の妻戸無瀬とともに東海道を歩いて力弥のいる京の山科に向かう(八段目)。小浪と戸無瀬のあとを追って山科に現れた本蔵は、判官を抱き止めたことで師直は軽傷にとどまり、判官は切腹塩冶家はお取り潰しになったことを後悔しており、わざと力弥に討たれて師直館の絵図面を由良助に渡す(九段目)。


 会場内は外部から密閉された状態になっていたことから、ガスが液体の状態で既に会場内にあることに気づいたメンバーはガスを中和する薬品を大学内にあるものを使って作る。


 紅子はイヤホンに耳を澄ませていた。応接室に電源タップタイプの盗聴器を仕掛けてあった。

《杉野の奴、文系のくせに生意気なんだよ。ヤクくらいでギャアギャア騒ぎやがって。俺に逆らうからあんな目に遭うんだ》

 その声は那智のバカ息子、那智翔之介なちしょうのすけだった。官邸前で友人たちと撮影したり、障害者に対し心無い言葉を吐いたり、あまりの所業だ。

 こんな奴がいるから、いつまで経っても五流の国なんだ。紅子の殺意は頂点に達した。


 卜部は平安大学の目と鼻の先にある廃ビルの屋上からスナイパーライフルで、那智の命を狙っていた。風がピュウピュウ吹いている。今にも雪が降ってきそうだ。どぶ板通りにある監禁室から脱出出来たのは運が良かったとしかいいようがない。留守は急激な腹痛に襲われ苦しみ出した。恐らく急性虫垂炎だ。その隙に卜部は逃げ出したのだ。

 背後に妙な気を感じた。敵は増上寺だった。殺しのスキルを那智に認められ護衛として引き立てられたのだ。

 増上寺は元剣道部だ。日本刀をビュンビュン唸らせ、襲いかかってきた。卜部はホルスターから麻酔銃を抜くと、増上寺を夢の世界へ送り込んだ。

 気を取り直し、スコープを覗き込み標的を探す。

 ✚……✚……✚……!!

 トリガーに人差し指を掛けた。

 

 一方、橘は会場内で見かけた樹を追い、彼を説得しようとするが、2040年代に樹が勤めていた研究所で起きた事故の間接的な原因を作ったのが橘であることを知らされ、愕然とする。 そこに北野が現れ、樹を説得しようとする。


 その間に、液状のガスが会場内に設置されたウォーターサーバーの水であることに気づいた英樹が薬品を注入して無害化する。英樹は罪悪感と恐怖感から首相側に寝返っていたのだ。

 ところが、壇上のウォーターサーバーが1つだけ残っていた。 これを樹がガス化するスイッチを入れるのを妨害するために橘は電源をショートさせて会場の全てを停電させる。 そこに市川警部が現れて樹を逮捕し、英樹は最後の1つにも中和剤を注入する。

「おまえ、どうしてだよ? あんなにはりきってたじゃないか」

「那智はプーチンそっくりだ、彼に逆らった者はどうなった?」

「那智を倒さないと、日本は真っ暗だ」


 そのとき、銃声が聞こえた。

 応接間に橘たちは向かった。

 部屋は硝煙で充満していた。リノリウム床に那智が倒れていた。血の海が出来つつあった。

 リボルバー拳銃を手にした那智Jrが冷笑を浮かべていた。

「アンタの脳の病は既に手の施しようがない。アンタより、僕の方がこの国の王にはふさわしい」

 那智首相は痙攣していたが、やがてピクリとも動かなくなった。

 橘は那智Jrの声に耳を澄ませ、ハッとした。

 墓村の声に似ていた。墓村はプーチンの仮面を被ったVTuberで、ワクチンを独り占めしたどこかの市長や、芸能人を誹謗中傷しつつ金を貰い続けていたクソ議員を射殺しブレイクした。

「こんなクソみたいな時代は終わらせなければ」

 物陰に隠れていた紅子が手榴弾を那智Jr目掛けて投げたが、不発に終わった。

 那智Jr、紅子、そして卜部も逮捕された。

 護送車に乗り込んだ樹は溜息を吐いた。

 思い描いたようには行かなかった。

 紅子は留守の弟を殺してしまったことに罪悪感を覚えた。絞首刑って苦しいんだろうな?神様、助けて!

 樹は全てが終わったと満足していた。

 これで誰も苦しまなくて済む。

 護送車の窓から見えた赤い空に宵の明星が光った。

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復讐時代 鷹山トシキ @1982

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