第3話

第二章 吉村元男による新梅田シチと日本庭園構想


現行の建設に関わる法制度のもと 野生の 自然を設ける地表面を確保するため、空地制度を活用して、建築家と協力して建物の容積と配置を決定し、地表面に自然の緑と水を基本とした環境を吉村は作り出しました。また、中自然や運河の系統を配置し、高層建築と空中庭園のつながりを表すために、垂直軸として大噴水を設置しました。


この地表面計画における空地制度とは、都市計画、建設に関わる法制度の一つで、建物の建設に伴って必要な空地の割合や使用方法を定めるものです。この制度を活用することで、建築物だけでなく、周囲の自然環境も配慮した計画を実現することができました。


建築家との協働によって、建物の容積や配置について意見を交換し、建築、地表面計画を作り上げました。この計画では、自然の緑や水を重視し、自然環境を再現するための中自然や運河の系統の配置によって、自然の景観や水の流れを形成しました。さらに、高層建築と空中庭園を結ぶために、水の垂直軸として大噴水を設定しました。









環境創造都市の聖なる野生の公開空地:二棟連結超高層の斜め下の「中自然の森」

新都市の敷地の三つの区分のうち、南の2区について、どのような公開空地をうみだすかが新都市の共同体の結束をつくうえで重要なカギになった。すでに中心ゾーンは都市広場機能、北のゾーンは花野里山となって、近い将来でも、3棟目の建物は立たないことになった。この結果、残るゾーンだけが、新都市・新梅田シテイの結束の象徴となる位置に置かれることになる。このゾーンにどのような公開空地を生み出すか。このゾーンが新梅田シテイ全体の大きなテーマになった。このゾーンにはすでに、ホテル棟と事務所棟の建設が予定されている。この北側には、二棟の連結超高層の建築がその下部に広場を抱えて接している。このゾーンに公開空地と設けるとすれば、この三者に囲まれている条件こそ、新都市の共同体のシンボルの場所性を勝ち取ることができると、地表を受け持つランドスケープ側の思考がたどりつくことになる。原が担当する二棟連結超高層建築の下部に設けられた都市広場は、他のゾーンを統合する力を持つことはなく、新都市全体の象徴性を獲得する場所性を、備えていないこと。上部の空中庭園と同じく、地上で二棟連結超高層建築を結び付けるだけの機能に限定されていたからである。その結果、新梅田シテイを統治する新しい都市の中核は、二棟連結超高層建築群の間にある空中庭園直下の広場ではなく、空中庭園から南へ斜め下のゾーンにこそ、その象徴性の場所にふさわしいというランドスケープ側の主張が通ることになった。そして、この主張にそって、このゾーンに、「中自然の森」と名づけられた地下階と連続する凹空間の公開空地が登場することになった。

地球環境時代のコモンズは、森である:共同体の中核になる鎮守の森の思想

円形のコモンズでは、緑の聖俗一体型の鎮守の森を中自然の森のモデルとしてあげておいた。鎮守の森型コモンズである。鎮守の森の特徴は野生の森すなわち生物多様性のある生態系の森であり、野生の森が装置化されたことによって、集落や都市と一体的に存在しうる。このような生態系の森の野生が、街区の中核にあることで、共同体は結束を高め、力を持ち、未来に向けて持続的な集団として発展を遂げうるのが鎮守の森であった。その背景は、森は生態的な意味に、信仰と神話の物語を付加し、参道などによって構造化されることによって、俗界である都市や集落と一体的な関係を持ち共同体の中核としての位置を獲得する。聖俗一体のコモンズである。

一般的に森は、開発の対象になり、森を切り開いて集落や都市が建設される。森は破壊の対象である。しかし、鎮守の森では、森は象徴とシンボライズされることによって、共同体の中核になる。乾燥化し、人工化した都市に野生の生態系を取り戻すためには、装置化された聖なる野生という考え方が求められる。それが、野生が核になる都市づくりの狙いである。

装置化された聖なる野生を都市に創るには、位置、形態、規模を考えなければならない。それが環境インフラストラクチュアの条件である。すでに環境先行型で、コンペが始まる前に、私はキャナル案とコロシアムガーデン案を提出しておいた。そのうちコロシアムガーデンが、今日の中自然の森であり、この位置をめぐって、忍耐強い長い会議が続けられた。


地球時代の都市のコモンズは、森である

新梅田シテイに求められるコモンズとして凹空間の森は、敷地に対して、どの場所にあり、どのようなしつらえである必要があるか。三つの視点から読み解く。第一に、今日の都市に求められているコモンズは、地球環境時代という21世紀の都市を取り巻く時代状況から答えられねばならない。都市はどんどん自然から遠ざかり人工化していっている。この都市の反自然性が地球温暖化など地球規模の環境問題を引き起こしているとすれば、都市は自然の容量の中で生きられる存在であることを示さねばならない。都市におけるその表象は、円形に囲われた地球の形態である。都市の中核に丸い地球を抱くことで、地球の容量の中でしか生きていけないというメッセージを植え込むことができる。「地球の庭」である。地球の庭については、のちにのべる。

第二は、地球の庭の中心に、中自然の森を位置づけた。森を敷地の中央に据えることである。聖なる神が地上に降臨し、地上は天空と連続性を持つ。鎮守の森はこの天との呼応することによって、集落は安定化し、安全と安心が人々の心にもたらされ、人々の結束が保たれる。こうして集落は持続的発展を遂げる。コロシアムガーデンで提案した中に、森を導入したのは、聖性をもつべき森であり、地球を表象するものである。その森は地球環境時代に地球人が抱かねばならないコスモロジーの中核である。

第三は、この森は、建築群が作り出す都市空間に生育する。しかし、森の中に入れば、見通しが悪いし、座って談笑する空間も制限される。全ては植物や昆虫などの動物たちの主体空間になる。中自然の森は、視覚上、都市から完全に遮断される。この視覚的遮断こそ、森が核になって都市が存在している証となる。

こうして、ホテルと事務所棟に囲まれた直径70メートルの円形の空地が誕生した。円形に囲まれた中自然の森である。その円形こそ、地球を表象する形態であり、中自然の森を「地球の庭」と呼びかえた所以でもある。


中央軸の誕生

連結超高層建築の形式はおのずから敷地の中央に広場を生むため、「中自然」「中央広場」「花野」と言う敷地中央を貫通する公開空軸が形成できた。これはすでに決定された<中央・周辺型公開空地>の中央部に位置する公開空地であり、この実現にあたって大阪府の行政の推進力が決定的であった。これができる過程について、建築ディレクターである原は、は次のように延べている。

 「プロポーザルコンペの最初から、建物の計画と公開空地計画は一体となってエスキスされた。マスタープラン作成時においては、特に、新梅田シテイ協議会と吉村元男氏とわれわれは、公開空地計画に多大のエネルギーを費やし、大阪市総合計画局建築指導部との事前相談を繰り返した。その間、幾枚ものディスプレイパネル、「中自然」や「花野」などの空地模型をつくり、計画を充実させていった。結果、出来上がった新梅田シテイの公開空地は、単なる外構計画の域に留まらず、都市部における環境計画のひとつのありかたを示しうるものになったのではないかと思われる。」


地表生命軸―花野と中自然の森と中央フォーラム

私は、地表のコモンズとしての中央軸は、地表生命の軸として捉えている。

巨大超高層建築時代における「自然との共生」を実践するランドスケープとして、二つの風景を見る視覚と軸を設けた。地球に棲息する人間を含めた生物生命を宿す地表の風景を見る視覚としての水平軸と、地表から見る宇宙の風景の視覚としての垂直軸がそれである。

第一の水平軸のランドスケープは、街区の主要な二つのオープンスペースに生育するそれぞれ異なる生物群によって、自然生命と共生する新梅田シテイの理念を表現した。ひとつは「中自然」の森、もう一つは、ワイルドフラワーが咲き乱れる「花野」である。「中自然」の森は、所有者である四社の異なった事業主体が、一つの街「新梅田シテイ」を建設するための真の結束のシンボルとして、街区の中央に建設された。いわば、「現代の鎮守の森」である。四季折々の花が咲く「花野」は、人工的に作りあげられた新梅田シテイが「気候や太陽系の運航という自然のドラマと共にあるシティ」であることを表象するものである.

「空地計画の基本姿勢としては、建物の余りのようではなくて、公開空地に積極的な文化性・意味性をもたせ、個性ある内容を抱合したものにしようとした。

公開空地を「周辺・中央空地型」のパターンにしたがって配置する時、建物がこのような配置を可能にする形態を備えていなくてはない。空地と建物との相互の関連性を見定めつつ、空地と建物の連係をはからねばならない。最大限に近い公開空地が必要であるこの敷地の特性と、二つの超高層の頂部を空中庭園で連結するニュータイプの超高層のファーストスケッチが設計構想の始まりに示され、この建築形式が必然的に二つの建築の間の空地を生み、これが公共的性格をもった広場を生んだ。この広場と「中自然」、「花野」を結んで敷地全長に延長されたものが、長さ250m、幅員54m、面積13500m2の「中央空地」である。」


空地の中核になる「中自然」は、失われていく自然のシンボルである。都市開発が進むにつれて失われていく自然を、公開空地によって回復させていく姿勢を示している。

 「中央空地」で行われるイベントへの参加や、日常的な散策の場としての活用をとおして、さまざまな思い出をつくり、そうした記憶が都市の意味を形成していく。」






環境創造都市を南北に貫く中央生命軸異なる三つの空地の連続が、コモンズをつくる

環境創造都市を貫ぬく環境インフラストラクチャーが形成された。中央空地生命軸である。凱旋門型の二棟連続超高層建築が中央空地軸=地表生命軸をまたいでいる。凱旋門の上部にある空中庭園の真下には、祝祭広場がある。その北に花野里山、南に中自然の森・地球の庭があり中央空地の其々接して繋がっている。中央空地軸は、この三つの異なる空地が連なって成り立っている。南北にやや長い矩形状をした新梅田シティの敷地であるが、その矩形の真ん中を中央空地が南北に貫いている。その幅は凱旋門がまたぐ建築の内法すなわち中央空地ワンダースクエアによって、いったん狭められ、中自然の森に向かって再び開かれるという構造になっている。中央広場はタイル舗装面が広がる空地であり、イベントがない場合の日常は、見通しがきく広場である。しかし、中央空地の北の花野里山、南の中自然の森は、広場の様相とは全く異なり、森が繁茂しその中に入ると見通しがない。其々の森に入ってしまうと、入る前に見た都市のざわめきが消え、コンクリート、ガラスの建築の壁も見えなくなる。都市のど真ん中にいながら、都市が森の中で突然消えてしまう。そして、目に入ってくるのは豊かな植物群だけである。植物のない人工の中央空地と中自然の森や花野里山とは全く対照的な空地である。このような異質な空地が中央空地軸でつながって新梅田シテイの骨格を創る。この三つの空地が新梅田シティの中央を貫く新都市の環境インフラストラクチャーとしてのコモンズを形成することになる。

中央空地軸としての環境インフラストラクチャーといえば、都市の顔になる見通しのきくビスタのある大通りの風景である。街を貫き大通りに面して建物が並ぶ。そこは視覚的に強い統合性がある。大阪の御堂筋やパリのシャンゼリゼ大通りなどが大都市の表の表情のある風景として都市を代表する風景になっている。

しかし、新梅田シティの中央空地軸は、見通しのあるヴィスタを持っていない。見通しがないにもかかわらず、中央空地軸が都市の骨格になりうるのは、第一にその軸線にそって自由自在、気ままに歩けること。そこは自動車の走る道ではない。歩行者専用道路である。第二は、歩く速度によって風景が次々と移り変わることにある。見え隠れの中央軸である。

この二つの条件は、自動車が走る大通りの単調な一本道都は根本的に異なる構造である。自由気ままな歩行者空間と移り変わる風景との組み合わせが、新梅田シテイの都市軸になったのが都市コモンズである。


















プロセス

初めに造園家に依頼:依頼者が手にしていた、一冊の本から始まった

私が新梅田シティに造園家として従事するきっかけになったのが、拙書「都市は野生でよみがえる」(学芸出版社1986年刊)だった。出版して数年後の1990年、私の事務所にハウスメーカーの日本最大の会社である積水ハウスの社員の方々が私の大阪のオフィスを訪れた。JR大阪駅の貨物操車場に隣接した住工混合地帯に4社が別々に所有する約4㌶の工場地を一体的に開発し、事務所棟、ホテル、商業施設、観光施設等の複合建築群からなる都市建設に関して、造園家としての設計依頼であった。4社とは、ダイハツ、青木建設、東芝、積水ハウスといった日本の有数の企業である。4社はお互いに隣接する所有地を一体的な都市開発のために、開発協議会を組織していた。その協議会の設計チームの主要メンバーで、敷地の最大の面積を有していた積水ハウスの社員が、4社が一体開発によって建設する土地を、環境を主体とした都市としてつくり、そのために力を貸してほしいと造園家の私に依頼してきたのである。そして、この時に依頼者が手にしていたのが、拙書「都市は野生でよみがえる」であった。

建築家は、まだ決まっていなかった

依頼者は、都心に新たにつくる建物が超高層建築群であったとしても高さを競い過密を促進するのではなく、人間がそこで生きられる環境をまず最優先にした街をつくりたい。環境があって初めて建築物も街も生きる。環境が主体にした都市づくりこそ、来るべき21世紀に向けた新しい都市建設の理念であるという趣旨のことを私に語った。

そして、このような都市建設の理念が「都市は野生でよみがえる」に書かれており、その考え方にもとづいて、一体開発の都市街区を建設したいという依頼であった。私は、本書で主張していた、環境の重要性を、野生の自然に着目し、人工化し、乾燥化し、自然破壊は進行する都市にあって、どのように都市に自然を取り戻し、都市が人々の住まいと生活の場として、都市が大自然のなかでどのような位置にあるべきかなどについて、造園家として様々な提言をしてきただけに、本書に注目した依頼者に、謝辞を送ると同時に、そのような理念に基づく開発を決断した勇気に敬意を表し、依頼を承諾した。依頼者に改めてこの開発事業に従事する建築家はどのような人物かを聞いた。しかし、驚くべき答えがかえってきた。「まだ、誰に建築を依頼するか、どのような建築を建てるかは決まっていない。建築設計者はまだ白紙の状態である」と。


開発理念を造園家に先行して依頼

私は、再開発街区において、建築家あるいは都市計画家が未定である段階で、造園家に開発の理念を先行して依頼したことに驚くと同時に戸惑った。超高層建築群での都心再開発事業の設計にあたって、建築家や都市設計家がまだ決まっていない段階で、造園家である私に、この事業の重要な開発理念を打ち立てるという依頼は、異例中の異例だった。

この開発事業にあたっては、すでに超高層建築群すなわちオフィス、ホテル、商業施設、観光施設などが予定されており、建築群の内容がほぼ決定されてスタートしている筈である。敷地に対してどれほどの容量があるのかなどの見当は、大阪市の開発基準や建築規制などから検討されている。建築家や都市計画家が決まらなくても、事業主である協議会のメンバーの中核に日本最大のハウスメーカーがあり、都市開発も手掛けているプロの集団であるから、おおよその一体開発の方向性は既に組み立てられている。私に造園を依頼してきた時期は、開発事業の最も中心の街づくりの理念をどうするかの段階であった。私への依頼は、街づくりの理念を創る段階で、建築設計家を決める前に、造園家にまちづくりの指針をうちたてるように依頼してきたことだ。これは大きな開発事業ではあまり例がないことであった。開発の中で、ひときわ大きい超高層建築が敷地全体に与える影響力は大きい。建築が周辺から見られるランドマーク、そこに収容される多様な施設群とそのヴォリューム、訪れる人の流れ、投入される建設費用、労働力、周辺への景観や環境への影響など圧倒的に超高層建築群が与える敷地や周辺への影響は大きい。にも拘わらず、敷地の開発の理念にも相当する造園計画を建築設計家を決める前に、造園家に依頼しかたのであった。





第三章 日本庭園の概念・原理に関連した小林のプロジェクトからの考察


本章においては まず 日本庭園の 概要*原理を 概観します。 そこから これまで過去50数年 私の行ってきたプロジェクトを振り返り そこに 日本庭園の考えや 技法が 何處に 応用され 具現化されてきたかを図説により探ってみます。まず プロジェクトの 概要を のべ そのご それらの プロジェクトでの 日本庭園の 概要*原理と 技法を 模式図で もって しめし その後の 考察に つなげます。



日本庭園の概念・原理より


これまでの この 分野における数多くの先行研究 そして 私の 研究をもととして 日本庭園の概念・原理より 都市開発計画に適用が 妥当な要素としては下記を挙げます。


A.自然界の美しさと調和を表現する

B.無駄を排除し、必要最低限の要素で美しさを追求する

C.空間の活用 をめざし適切なスペースの配置やバランス、間隔の配慮を行う

D. 非対称の要素を組み合わせてバランスをとり動きやアクセントを加えます

E.水と緑にあふれて

F.四季折々の美しい風景を楽しむことができるよう


そして その 手法と しては:


吉村元夫 中瀬勲 伊藤ていじ 小林紘一

【空間構成に寄与】

結界 結界

縮景・借景

見え隠れ 見え隠れ

真行草

反り 直線の変形 直線の変形 反り

天地人 七五三 美の三角形 美の三角形

隅掛 隅掛け 灰色の空間

折れ曲がり

生け捕り 縮景・借景

物語 運動の視覚化 シークエンス

折れ曲がり 隅掛け

布石の構想

遠近法

縁取り効果 界隈の構想

重畳 重畳 重畳

省略兼帯の術

人間尺度

時間の経過 地位のシンボル計画

五感・気配



上記の 手法のなかより 本文にて 考察の 要素とするのは:


【日本庭園環境都市への試み】

結界

縮景・借景

見え隠れ

直線の変形 反り

美の三角形

折れ曲がり

シークエンス









シアトル日本庭園における概念・原理より



シアトル日本庭園において 表現されている 日本庭園の 概念 *原理 および デザイン手法を 模式的に 示すと:







実例より



小林が 関わった実例から:


北大阪公園都市  (三井物産、阪急、積水)〈未完>

福原学園キャンパス (福原学園)〈未完>

多摩ニュタウン16住区(福原学園)

ステイラクーム・ノースショア複合開発計画〈未完>


ワシントン村 (ひょうご県)

ボストン-美川 村 (北陸ミサワホーム)

Rainier Vista Residential Village ( Seattle Public Housing)


を あげて 日本庭園の作庭理念が どの様に そこに 反映されているか (実務当時は 全くそのような考えは していなっかったのですが)私が 行ったことで あらわれていると いまは おもっています。また 出来ていないのか の 考察を 模式的に表してています。


そのまえに パリに います 友人の 成瀬博さんよりの たよりを まず 引用します。


私はすでにフランスに住んで45年以上経ってしまいました。その間一貫して日本を売り物として仕事を取りたくないと思い続けてきました逆に日本に帰ったときに、おフランス帰りを売り物にしたくないと思っています。すなわち日本人であるという ことを大前提として、自己規定をすることを避け、自分は何者かを考え続けながら地球の片隅に生きていると言う感じなのです。



とはいいながらも、西欧人からすれば私はどう見ても日本人なので、日本人だからということで仕事に就けたり、注文を受けたことも沢山あります。


一方、私は単なる庭園あるいはPaysageの注文も受けることがあります。そんな時私 は日本を意識しないで設計をするのですが、必ず出来上がったときに日本的だといわれます。私はフランスに住んでる時間のほうが日本で過ごした時間より多くなってし まいましたが、どうも日本人であるらしい。それは好みの問題なのか、思考あるいは論理の組み立て方の問題なのか、癖なのか、ものの見え方の問題なのか非常に興味があるところです。


そのためにはその土地を良く観察しそこで手に入る材料で自分たちの持ち合わせてい る技術を最大限に利用し、見えない世界を見えるようにする庭園造りが有ったらいい のではないでしょうか。それゆえ造る場所と人と時間とその置かれた環境によって全く違った庭園が出来るのがいいのではないでしょうか。それが世界の豊かさを増強するようになれば素晴らしいことだと思います。



ここよりは、以下の手順で進んでいきます。


日本庭園の概要と原理の概観: 日本庭園の基本的な特徴や設計原則、庭園の目的や哲学について概観します。これにより、後続のプロジェクトでの応用や具現化の背景を理解することができます。


過去50数年間のプロジェクトの振り返り: 過去に行ったプロジェクトを振り返ります。各プロジェクトの概要、目的、および関与した役割を述べます。また、各プロジェクトにおいてどのように日本庭園の考えや技法が応用され、具現化されたかについても触れます。


日本庭園の考えや技法の応用と具現化の図説: 各プロジェクトでの日本庭園の考えや技法がどのように具現化されたかを、模式図やイラストを使って視覚的に示します。具体的な要素やデザインの例を挙げながら、日本庭園の美学や特徴がどのように取り入れられたかを説明します。


考察: 前述の具現化例に基づき、プロジェクトでの日本庭園の考えや技法の有効性や効果について考察します。また、これらの応用から得られる洞察や改善点についても論じます。


ワシントン村 (兵庫県)

1988年、兵庫県三田市のワシントン村の開発


5万人規模の住宅地として計画されているこの住宅地の一部のマスタープランです。日本の兵庫県とワシントン州貿易経済開発局の共同事業として実施された。 土地計画、開発、景観デザインの特徴は、自然環境、歩行者のための安全な循環、街路レベルでの多様な空間体験、日本の新しい住宅開発には珍しいオープンスペースに重点を置いています。 ワシントンビレッジの住宅地にあるこの公園は、ワシントン州のイメージを反映させたデザインになっています。 トーテムポール、丸太のピクニックシェルター、橋、池、日時計、子供用遊具、フィットネスルート、花崗岩の露頭、芝生の草地など、北西部の自然の常緑樹や文化的要素を豊富に取り入れた静かなレクリエーション空間である。自然環境との調和、歩行者の安全な移動、日本の新興住宅地にはない多様な空間体験の実現に重点を置た。











































レニエビスタ 住宅地複合かいはつ 公園化構想


シアトル低所得者を 中心とする 既存の 複合住宅地に おける 再開発で優良な 既存木が ある しきちです。西側には 保存緑地帯を 有し レニエ山への 眺望もある 良好な 敷地です。雨水の 浸透策も もられた 公園と 道路が 設置されています。











ボストン-美川 村 (北陸ミサワホーム)


石川県美川町鹿島地区開発マスタープラン


日本海側、金沢市近郊に位置する美川町の新興住宅地、鹿島地区の開発計画です。日本の伝統的な住宅デザイン、洋風住宅、標準的なプランのバリエーションなど、伝統を重んじながらも進化を続ける住宅購入者のためのプランを提示しました。持続可能な開発、手頃な価格のデザイン、デザインの混在、和風住宅と洋風住宅の間の伝統的なエリア、コミュニティアメニティなどを主なコンセプトとしています。美川のプロジェクトは、道路、散歩道、ポケットパーク、ダイバーズ・ネイバーズ・クラスター、遠くの山々など、展開するシステムで住宅街を構成しています。




























福原学園キャンパス (福原学園)


公園化構想

福原学園キャンパス再開発のマスタープランとデザインガイドラインです。 計画案では、エントランスを機能別に明確化し、景観軸とゾーンを設定することに重点を置いている。 この計画の目標の一つは、美的・環境的側面からのインプットを提供しながら、デザインとエコロジカルパターンを形成することであった。 この計画では、自然生息地や学生のための教育の場として、持続可能なデザインの概念を導入しました。



















北大阪公園都市  (三井物産、阪急、積水)〈未完>


北大阪・茨木レイクサイドニュータウン計画


人口5万人を想定したニュータウンで、敷地を分析し、アーバンデザインコンポーネントを策定した。自然環境の保全、オープンスペースの創出、地区公園の設計に重点を置いた。また、既存の都市デザイン計画の要素を取り入れた、複合施設、住宅、オフィスなどの立地計画ケーススタディを行いました。

















多摩十六区開発景観計画1994年


約4,000戸からなる多様な住宅地の形成を目指した160ヘクタールの大規模開発である。環境計画、都市デザイン、ランドスケープアーキテクトのサービスを提供し、マスタープランを改訂・更新しました。既存の地形、植生、景観を維持しながら、適切な道路と敷地のレイアウトにより、強いコミュニティ意識を促進することに焦点を当てました。















ステイラクーム・ノースショア複合開発計画マスタープラン1990年


旧市街の北側に位置するこの住宅地は、さまざまな構造と密度の1,500戸の住宅が建設されました。また、18ホールのゴルフコース、公園、オープンスペース、ピュージェット湾とオリンピック山脈の美しい眺望も計画された。






新梅田環境シチー (積水ハウス)

大阪














比較一覧表


概念*原理


ワシントン村 Rainier Vista ボストン村 福原学園 北大阪公園都市 多摩16 Steilacoom 新梅田

A.自然 A B B A A A B

B.簡素 B B B

C.バランス A B A B A A B A

D.非対称 A B B B A B B C

E.水と緑 A C A A A B B A

F.四季 NA NA NA NA NA NA NA NA

デザインの 手法

ワシントン村 Rainier Vista ボストン村 福原学園 北大阪公園都市 多摩16 Steilacoom 新梅田

縮景・借景 A B B A A A A A

見え隠れ A B B C A A C A

直線の変形 反り A B A C A A B C

美の三角形 NA NA NA NA NA NA NA NA

折れ曲がり A B A C A A B C

シークエンス A A C A A A

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日本庭園と環境創造都市を 考える @koichikobayashi

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